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メモ書き 木庭顕『クリティック再建のために』/まえがき

〔自分のための読書メモ。自分用手控えのため私見が混入しているので、同書を必ず参照いただく必要があります。加筆修正中です〕

木庭顕『クリティック再建のために』講談社選書メチエ,2022.


〇クリティックと物的論拠、言葉の問題との関係
「もちろん、クリティックが批判的な思考、ないし批判的な議論一般、と深い関係にあることも間違いない。様々な認識や価値観を鵜呑みにせず疑ってかかり、それらには簡単には従わない、という態度、あるいは鋭く対立する認識や見解を考慮するという態度、は明らかにクリティックの基礎にある。しかし、クリティックが批判的思考一般に解消されるわけではない。なぜならば、クリティックは、批判的な思考のさらなる前提のところにもう一段吟味の手続を構築するからである。特定のことをすべきだと言い立てる人がいるとして、それに従わず、その論拠を糺し、反論する、ということは大切なことである。しかしさらに進んで、提出された論拠をデータをつかって吟味し、また使われた概念の明晰度を疑う。いうなれば論拠の論拠を問う」(木庭・クリティック5-6頁)。

ここで言われている「データを使って吟味」が主に物的論拠の問題につながり、「使われた概念の明晰度を疑う」が言葉の問題につながっている。つまり前者はアンティクアリアニズム実証へ、後者はソシュール強調の言葉の恣意性、さらにレトリック論へと通じる。「高度な言語活動」はもちろん両者にかかるが、色調は異なる。



〇クリティックの反大勢性、体制・権威破壊性
「しかるにわれわれが抱える最も難しい問題は、認識の技術的精度によっては解決しえない。全ての技術が尽きたところで、それらの技術が及ばない射程の視野を獲得しなければ問題を解決できない。つまり特定の認識方法の前提を問い直すということが課題になる。しかし特定の認識方法を根底から問い直すということは、その認識方法を支えとする特定の社会組織原理を根底から覆すということを意味する。クリティックの伝統というものは、この破壊的な知的活動が自由に展開されることが保証される、否、それ自身を原理とする稀な社会組織形成の伝統である」(木庭・クリティック9-10頁)。

非常にラディカルな知的伝統であり、そのため際立った、あるいは自覚的な「個」により担われてきた。その基調は大勢に抗する気風であり、意味不明の概念融解(日本では特に漢文調檄文風気勢、瞑想気分風世界との一体化思い込み)の否定であり、混然一体の集団主義への拒否である。こうして、個人の自由最後の一人へと通底していく。



【メモ】
〇アンティクアリアニズム:アンティクアリアンな思考様式ないし探究、鑑定的理性.




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