編集者の苦しみは“確信犯”的に生み出される
デジタル迷宮で迷子になりまして 第1話
編集者をやっていると、原稿を書いたり編集したりしながら、どう表現するべきなのか、考えを伝えるのにこの言葉で適切なのか、何度も考える。関連の文献を参考にしたり、ネット検索して言葉の使用状況を調べることも多い。言葉を扱う仕事だからこそ言葉に縛られる。私の場合、それゆえかなりの遅筆である。
それにしても、ここ10年ほどで、さまざまな人が書き散らす言葉を目にする機会が増えた。特にSNSは、その手軽さもあって雑多な言葉が並ぶ。もちろんプロの原稿ではないので、何をどう表現しようが自由だ。しかし、この言葉の洪水は、少しずつわれわれ編集者を苦しめる。無責任な言葉には、正しいことをひっくり返す力が備わっているからだ。
「確信犯」という言葉がある。知見のある読者なら「ああ、あの話をするのね」と思うだろう。それくらい、この言葉の意味については多くの議論がある。確信犯は法律用語で、端的に言えば「悪意がない犯行」のことだ。よく宗教的な考えに基づいて実行されるテロなどが例に挙がるが、正しいと“確信”して行われた犯罪を指す。
ところが現在では、「悪意を持って行われる行為」という意味で使用されることが圧倒的に多い。犯罪=悪いというイメージから意味の変遷があったようだが、本来は誤用だ。
しかし、今や辞書にも通俗的な表現として「悪意がある犯行」と第二義に表記されているし、文化庁の調査によれば大方が「悪意ある行為」という意味で使うという結果も出ている。
まあ、言葉など時代に合わせて意味が変わってくるものだ。だったら多くの人が理解しうる意味で使えばいいじゃないかという話になりそうだが、確信犯は法的な表現に関わるので、一朝一夕に第一義を変えられない。ここから編集者の葛藤が始まる。
状況は、第一義の悪意のない確信犯に不利だ。しかしそれゆえに、第一義のみが正しいと確信している人もそれなりにいて、不用意に悪意のある確信犯を使おうものなら「こいつわかってねえ」というレッテルを貼られてしまう。では、悪意のない確信犯を使おうとしても、そもそもその意味で使う場面は限られているし、多くの人は確信犯には悪意があると思っているので、文意が通らない可能性が高い。
正しい意味だと誤解される。通俗的な意味だと突っ込まれる。では、どうするか?
編集者はここで「別の言葉に言い換える」という選択をせざるを得ない。ライターが書いた原稿であっても、誤解を避けて変更するだろう。
しかしその一方で、最初から第一義の意味を知らない人は、悪意がある確信犯を堂々と使う。私の悩みなど、どこ吹く風だ。結果として、SNSをはじめとするデジタルテキストのフィールドで、悪意のある確信犯が確信犯的に使われ、悪意のない確信犯は悪意ある確信犯に加速度的に取って代わられることになる。
このような確信犯的に書かれるテキストは、さまざまなエラーを引き起こす。最近特に話題に上るネット上のデマもそうだ。単に聞こえのいい話を、出所も確認せず、よかれと思ってSNSに確信犯的に投稿し、確信犯的に拡散させる。むしろ、それが確信犯だから、始末が悪いのは確信犯と同じだ。
一方で確信犯的なデマもある。ウソと知りつつ、誰かが困るとわかっていながらデマを拡散する確信犯だ。要するに、デマは確信犯、または確信犯から引き起こされる確信犯的行為の産物なのである。
知る者は語らず、無知は語る。デジタル上の膨大なテキストがそれを加速させる。デジタルの迷宮が、今日も編集者を迷わせる。
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