台湾周遊(9) ふたたびの高雄 【世界旅行記026】
2012年8月12日(日) 台湾 花蓮 → 高雄(台鐵 自強号)
台湾を1周して、高雄に戻ってきた。ゆとりをもって10日間の予定を組んで滞在したが、それでもあっという間だった。台湾の人は親切だから、1人でもまったく困ることはなかった。むしろゲストハウスでも街なかでも、1人だからこそ、たくさんの会話が生まれて楽しかった。
高雄で游さんと再会し、約束していた臭豆腐を食べに連れて行ってもらった。専門店で食べる臭豆腐は、屋台のようなきつい匂いはまったくしなかった。ただ、想像以上に辛く、一緒に頼んだ梅ジュースをゴクゴク飲んだ。游さんは、そんなに辛くないという。
ところが、梅ジュースを飲み始めた游さんが悲鳴をあげた。梅ジュースを飲んだとたん、辛さが何倍にもなって襲ってきたという。游さんは食事の終盤になって梅ジュースを飲んだが、わたしは最初から飲んでいた。そのせいで、最初から激辛に感じられたのだ。臭豆腐と梅ジュースの組み合わせは恐ろしい。若干の敗北感を残して、台湾旅行の集大成・臭豆腐体験は終わった。
そのあと2人でお茶をしているとき、游さんが台湾の古い写真をたくさん見せてくれた。そこには、日本統治時代と国民党がやってきてからの台湾の比較が載っていた。明らかに国民党時代の方が、古い時代の写真に見える。悲しいことに、時代が逆行してしまっている。
蒋介石の息子・蒋経国が死んだ次の日、游さんの家ではご馳走が出たそうだ。いまでも本省人と外省人のあいだには、相いれぬものがあるという。「英語を話す人がみなアメリカ人ですか。違うでしょう?中国語を話す人は全員中国人でなければいけないのですか」
穏やかな物言いの游さんが、めずらしく少し強い口調になった。平和な国で何不自由なく暮らすわたしたち日本人が、台湾の現状に思いをはせるのはなかなか難しい。台湾には徴兵制度がある。独立を謳おうものなら、いまにでも中国が攻めてくる。そういう状況のなかを彼らは生きている。本で読むような本省人と外省人の差別の傷あとも、まだ消えてはいない。
大陸の人と台湾の人は、同じ顔に見えても、中身はまったく違う。台南で観光しているとき、強引に人を押しのけたり、大声で怒鳴ったりするような品の悪い人をよく見かけた。そういう人は例外なく、大陸の人だった。なぜそうわかるかというと、彼らは大陸からの観光客で、ツアーのバッジを胸に付けているのだ。それが目印で、ああこの人もやはり大陸の人か、とわかってしまう。
もちろん、大陸の人が一律に行儀が悪いとも思わないし、その逆もまたしかりである。ただ、実際にわたしが街なかを歩いて感じた結果は、上記の通りなのである。自分でも嘘ではないかと思いたくなるくらい、あまりにギャップがあった。
李登輝が司馬遼太郎との対談で語った「土地の悲哀」「台湾に生まれた悲哀」が、もしかしたら台湾の人々の優しさ、穏やかさを生んでいるのかもしれない(それに加えて、日々大勢がオートバイに密着して乗っているから、自然と仲よく穏やかになるのではないかとわたしは密かに思っているが)。
台湾の旅は終わった。自分の意志とはいえ、これからまた大陸に戻るのかと思うと、後ろ髪をひかれる思いがする。台湾で親切にしてくれた人の顔が次々浮かぶ。自強号のなかで、わたしの席に寄ってきたハチを叩き潰してくれたおじさん。全然言葉が通じていないのに、ことあるごとに話しかけてきてくれた隣の席のおじいさん。ワンタンにソースをかけてしまったわたしに、遠くの席から醤油と小皿を持ってきてくれたお姉さん。花蓮の宿でデポジットを返し忘れた日本人の子に、わざわざ届けに行ってくれたスタッフのおばさん。「この1年の旅でなにか見つかるといいわね」と後押ししてくれた台北の宿のオーナー。そして、台湾での旅をコーディネートし、ことあるごとに助けてくれた游さん…。
数えきれない笑顔と優しさに感謝して、台湾に別れを告げる。明日の飛行機で、香港へ戻る。
「台湾の話、これでおわる。脳裏の雨は、降りやまないが。」
(司馬遼太郎『台湾紀行』より)
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