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世界の3大宗教について

私は京都の霊峰比叡山の麓、修学院で70年前に生まれました。生家は禅宗の一派、臨済宗の信徒で、幼い頃とてもかわいがってもらった『はる婆ちゃん』に連れられて総本山大徳寺に精進料理を頂きに何回か行った事があります。今でも月に一度『ゴーマイデース』と言って若いお坊さんが托鉢に来られます。

お婆ちゃんが健在であった頃お婆ちゃんと話をしに、京都弁の中でもお婆ちゃん言葉を話すちょっと変な米国人の若いお坊さんが再々来られて、私も何回か座敷での会話に入れてもらった事があります。お坊さんのいつも明るく前向きな人柄に感動したものです。

幼稚園と高校、大学はキリスト教系の学校で勉強させて頂きました。特に高校生の頃は毎朝チャペルで賛美歌を歌い、聖書を読んでイエス様を礼拝していました。社会人になって初めて担当したのが中近当向けの輸出で、接する相手の多くはイスラム教徒でした。

そういう事情で世界の3大宗教に係わってみて、今思うのは根幹の部分に大きな違いは無いという事です。生きている全ての人間は例外なくいつか死にます。そして自分は死んだらどうなるかと悩む人は多くいます。私は今から3年前に大病を患って半年間入院しましたがその後、徐々に回復して元気になりました。

入院中しばらくは痛みにより寝返りはできない、トイレにも行けない寝たきりの期間がありました。その頃自分の死を意識しつつ今回の入院の意味について考えました。退院できたら残った人生を今までの半生とは一味違った価値観を持ち、もっと明るく前向きに生きたいと願いました。つまりできれば一隅を照らせるような存在になりたいと思いました。

その事もあって、先日地元の修学院にある大徳寺派の禅華院というお寺で自分の来世の名前である戒名を頂きました。戒名や位牌は仏教発祥の地である印度にはないもののようですが戒名を頂く授戒会で仏弟子になって自分の死を更に強く意識出来た事は今後の人生を大切に生きる上で意味のある有益な事だと思います。自分の死を想定するなんて縁起でもないと思う人もいるでしょうが、今の私は大変すがすがしい気分です。

仏教は紀元前500年にインドで布教が始まりました。

ところで、お釈迦様やイエス様の生い立ちについては日本人の間ではかなり知られていますが、イスラム教の創始者であるモハメッドについてはほとんど知られていないと思いますので簡単に紹介しておきます。

孤児であったモハメッド

イスラム教の始祖モハメッドは紀元後570年アラビア半島でクライシ族の支族ハシム家に生まれました。日本では飛鳥時代より少し前のまだ文字による歴史が不明確な時代です。生まれた時すでに父は亡くなっており、6歳の時には母も亡くなりました。その為、祖父の手で育てられるのですが、やがてその祖父も亡くなり、叔父に預けられました。

成長して25歳の頃、商人として才覚を顕し15歳年長の未亡人ハディージャと結婚して7人の子供に恵まれて幸せに暮らしていました。

そして40歳の頃メッカに近いヒラー山の洞窟で瞑想していると突然神の啓示を聞きました。神の遣いが現れ、マホメッドが神の使徒である事を告げられたのです。啓示を与えた神の遣いはその後何度かモハメッドを訪れますが、やがてアラーこそが唯一神である事を説きはじめました。

妻のハディージャはイスラム教で初の信者になりマホメッドは布教を始めました。その頃のアラビア半島はイランから始まった拝火教とも呼ばれるゾロアスター教を崇拝するササン朝ペルシャとキリスト教の国である今のトルコのイスタンブールに首都のある東ローマ帝国が勢力を争っていました。

キリスト教は暦の元になった西暦0年に今のイスラエルの地にイエス様が生れた後に世界に広まりました。一方、仏教は紀元前500年にインド(今のネパール)の地で後にお釈迦様と呼ばれる釈迦族の王子ゴータマ・シッダルタが悟りを得た事で始まりました。

その事からすると、仏教・キリスト教・イスラム教の世界3大宗教が成立したのはそれぞれ約500年の年代差がある事になります。

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