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学歴コンプレックスをどうするか

・必ず聞かれる「どこの大学?」

大学を出ていない私は、40代になった今でも学歴コンプレックスを持っている。
新しく出会う人にもプロフィールのひとつとして聞かれるし、求人にも「大卒必須」と書かれていて、その度に大学に行かなかったことを思い知る。

結婚した時も、初対面の義理の兄に「どこの大学?」と挨拶がわりに聞かれた。ちなみに義兄は早稲田大学出身^^;;
そういうとき私は「服飾の専門学校を出まして」と言うけれど、それも地方の小さな学校。都内の有名な学校でないことにも引け目を感じてしまう。

・大卒ではない、「手に職」の経歴

簡単に経歴を書くと、地元の商業高校を卒業。簿記は1級まで取ったけど履歴書を埋めるくらいしか役に立たず。
その後、服飾の専門学校で縫製を学んだ(はず)だけど、技術職ではなくアパレル販売員に就く。

それはそれでとても楽しかったけれど、不景気の波に煽られて会社の業績も悪化。このままでは将来が危ういと思い、広告代理店に転職。

未経験でどうやってグラフィックデザインの仕事に就けたかといえば、趣味でMACを買って使っていたので、仲間のライブポスターやカレンダーなどの販促物をポートフォリオにして面接に臨み、採用していただくことができた。

転職を重ねる度にスキルアップをしていき、人脈もできたところでフリーランスになった。

・フリーランスの大変さを実感

会社員時代は朝出社して朝帰り、仮眠をしてまた出社・・・という地獄のような日々もあった。若かったので変なテンションで楽しんではいたけれど、フリーランスになれば時間は自分の思い通り、やりたい仕事を選別できると思っていた。甘かった^^;;

結論、会社で雇われて働く方が安定もあり気が楽だ。
会社の社長なんて、遊んで呑んでゴルフしてと思っていたが、最後には責任を負ってくれる。今まで守ってもらっていたんだなと痛感した。

・資格取得のために「司書・司書補講習」へ

デザインの仕事を始めて10年経ったところで一度立ち止まってみると、同級生はだいたい結婚して出産、二人目まで産んでいる子ももちろんだし、離婚・再婚まで経験している子も。私なんて一度も経験してないのにー!笑

デザインの仕事は手に職とはいえ、国に認められた資格ではない。漠然とした不安と将来を見据えて、本が好きだったこともあり「司書・司書補講習」を受講することに。

自宅から通いきれる距離ではなかったため、大学の近くのシェアハウスに入居することを決め、デザインの仕事から一旦離れてみることにした。

・資格取得後の現実

講習はとてもとても楽しかった!キャンパスライフというものを楽しみつつ、勉強も頑張って無事に司書補を取得することができ、地元に戻ることに。
「司書」を取得するには実務経験も必要だし、図書館での仕事をしてみたいと思い就活をした。

しかし現実は厳しかった。地方の公共図書館ではボランティアやパートの方の人気が大きく、まず空きがない。市立図書館に出た欠員補助に滑り込めそうだったけれど、それだけを生活の糧にしていくにはとてもじゃないけど食べていけるお給料ではなかった!^^;;

地方だし、車通勤は当たり前。なのに駐車場を確保するのも自腹。1日の交通費は50円と言われた。それではバス代にもならない。ナメンナヨ!爆笑

都市部では職場として大学図書館もあるし、専門の派遣会社が入っていることが多いのである程度「仕事」として成立はするけれど、そのためにわざわざ上京して一人暮らしをして、いわゆるビンボー暮らしをするまでもないなという結論に至った。

・デザインの仕事に復帰、その後

地元のデザイン事務所からお声掛けいただき、デザインの仕事に戻った。そこで今までとは違うクリエイティブな部分をたくさん学ばせていただくことができた。

結婚を機に、夫の仕事の都合で上京しなければならなくなったが、在宅で仕事をいただくことができ、社員として席を置かせてもらった。ありがたい!デザインの仕事を続けていくこともいいなと思い始めていた。

そんな矢先、夫に中国への転勤の辞令が。今度こそ仕事を完全に辞めなくてはならず、泣く泣く退職をした。

・5年の中国生活

詳しくはまた別で書きたいと思うが、私の仕事はとにかく家族をサポートするこになった。日本で出産し、まとまった予防接種が落ち着いた生後10ヶ月で子どもを連れて渡航した。

現地で子育てしながらも、語学の勉強は続けた。週に一度家庭教師に来てもらい2時間ほど勉強するだけだったが、子どもが幼稚園に入園したタイミングで、大学の語学短期留学へ通うことができた。↓辛かった期末テスト

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・帰国後すぐ「日本語教師養成講座」へ

帰国して幼稚園探しをしたが、いわゆる待機児童になってしまう。順番待ちの番号でしか子どもを呼んでくれない幼稚園ばかり。
途方に暮れていたところ今の幼稚園と出会い、ご縁あって途中入園させていただけた。

中国での経験を活かし日本語教師を目指すべく講座を始め、勉強に集中できると思った矢先にコロナで幼稚園が休園になり、2ヶ月も家庭保育をすることになってしまった。春にするはずだった私の入院・手術も夏に延期。

予定は狂いまくったけれど、何やかんや今年の4月で修了できる見込みとなった。

・今後のキャリアについて

簡単な経歴のはずが、かなり端折ったが流石に20年分ともあると少々長くなってしまった^^;;

昨年末に就活をし、ある専門学校から日本語教師として採用のご縁をいただいたが、いろーーんな事情を鑑みて、どう考えても働けないなとお断りせざるを得なかった。

その求人票を職安にもらいに行った時のこと。いつもの「大卒必須」と書いてあり窓口の人に「あー無理ですね」と門前払いを食らった。

結果、大卒でなくても書類審査、面接もしていただけたし、内定までいただけたわけだけれど、つまり「大卒」というフィルターで受けにくる人をまず選別していることがよくわかる。

そして職安窓口のスタッフ。彼女も当然の如く「大卒」なのだろう。

大卒じゃなくても「人」をみてくれる会社はたくさんあります!
職安窓口の職員のフィルターなんて関係ないです!まずは面接を受けさせていただくことが大事なので、とにかくダメ元でも履歴書を出すべきだと思います!!

さて。
ここまできて「日本語教師」の仕事を非常勤で探すことも考えてはいるが、以前取得した「司書補」を活かし、学校司書を目指そうと思う。そして経験を積み、いずれは「司書」を取得したい。

特にこれから受けに行く地域は中国人が多いところなので、子どもの語学サポートに協力できたらという希望を持っている。(日本語教師の勉強が活かせればいいなという、淡い期待かもしれないが。)

日本と中国で二つの大学には通ったが卒業したわけではない。
なので、我が子が受験生になったら私も一緒に勉強し、大学に行こうと思う。

専門学校や司書補を取得したときの単位をどうにか使ってなるべく短い期間で卒業できないかと、その方向で考えていたのだが、夫いわく「せっかく行くならもっといい大学目指しなよ!」とのこと。。

どこをどう受験するかはわからないが、私の人生の中で必ず大卒だけは取りたいと思う。そして老後を見据えて、デザインの仕事の経験と日本語教師の資格も活かしていきたい。

とりあえず髪の毛も学生ぶりにブリーチしたい!笑
(再・学生デビューを目指します!w)

☆ヘッダの写真は中国の大学のキャンパス。2枚目はテスト風景。テスト勉強、本当に本当にがんばりました!!!

ライフハックというよりは改めて自分への喝を入れた記事になりましたが、公言することで目標を一つずつ実現していこうと思います。お読みいただき、ありがとうございました。

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