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自伝・回顧録、あるいはそのような物語(2)

前回は、自伝を書くときの目的の話をしました。
今回は「人に見せる」目的を持った人が「読んでもらう」ために気を付けることをお伝えします。

出だしはどう書く?

 私は昭和38年4月21日の日曜日、午前11時半頃、京都市の産科病院で生まれた。菅家の長女であった。

 はい、アウト。
 これは履歴書を箇条書きから文章に直しただけです。
 こういう書き出しをする人が、次に書くことは決まっています。
「父の名は○○で当時×歳、母の名は△△で×歳の時の子どもだった」。
 いずれかのタイミングで書き残すにしても、その情報は冒頭でなくてもいいです。
 その次に書くこともだいたい見えています。
「小さい頃の性格はコレコレで、□□幼稚園では仲のいい▼▼ちゃんといつも一緒に遊んでいた。●歳の時には、両親や兄弟の◆◆と一緒に旅行へ行った。この時の思い出は――」
 はい、思い出という感情表現が出てきて、ここにきてようやく自伝らしくなってきます。
 ようやく、です。
 つまり、ツカミが弱い。

 他の人に目を通してもらいたいのであれば、少し工夫をしてみましょう。

当時の風俗と一緒に語る

 一番簡単なのは、その時代背景と一緒に書いてみることです。

 おそらく自伝を読んでくれる人は、筆者自身よりも若い。ということは、筆者が生まれた時代は過去、つまりその人にとっては異世界なのです。

 私だったら、東京オリンピックがあって日本が戦後の復興を高らかにうたいあげた時代、とか、白黒テレビさえ充分に普及していなかった、とか、京都の町にはまだ市電が走り、大路から一歩入れば未舗装路も残っていた、とか書きます。露路で転んだら、キズにいっぱい土がつくんだよねー、みたいな体験とかも。アスファルトだったらキズはできるけど、キレイなもんですよ。

 読んでくれる人が知っているものとは違う世界だったのだ、と打ち出すことで、興味を引きましょう。
 朝の連続ドラマから想像するしかない風俗。写真でしか見たことのない空が充分に開けていた光景、そういう異世界感を伝えて、読者をその時代に引きずり込み、「そんなときに生まれた自分を語るよ、どう?」と、自分の人生の物語にいざなうんです。

 履歴書は読む気がなくても、ちょっと前の時代を描いた連ドラは見てみようかと思いますよね。「へえ、京都に市電が」「これだったらドラマで見たあんなのかな」「うわあ、この世界に生きるってどんな感じだったんだろう」とか、そういうふうに思わせられたら、次に進んでもらえます。

大事なことを最初にガツンと書く

 さて。
 ジュリアス・シーザー(カエサル)の自伝だったら読んでみたい。
 スティーブ・ジョブズの自伝は実際にベストセラーになった。
 小野小町や楊貴妃だったら興味津々!
 ……なぜでしょう?
 もちろん彼らが有名だからですね。
 何かを成し遂げた人は、どのような経験を積んで高名に至ったのか。そんなの、もう聞いてみたいことだらけです。

 じゃあ、自伝を読んでもらうためには、冒頭から「私はこれを成し遂げた!」とか書いちゃえばいい。
 いやあ、そんなものはないよー、としょんぼりしないでくださいね。「私は他の人の目にはこう映っているだろうが」でもいいです。
 もっと言えば「自分の人生最大の後悔はこれだ」は、書く勇気は必要ですが、読者には強い訴求力があります。
 要は、私はこう自己評価をしている、他人からはこう見えているはずだ、そこで、その評価の根幹となったのは――という誘導ラインなわけ。

 身近な人へ向けての自伝だと、手に取ってくれている読者が筆者に感じている印象は、現在のものです。
 その「キミの知っているこういう私が、どうやって形成されたかを語るよ」と、まず共通認識を持ち出して話の糸口にする。

 もっと広い読者層を想定しているのであれば、一番の自慢なり後悔なりをアタマにガツンとやって、さてこういう自己評価をしているワタシはどうやって育ったか、教師にでも反面教師にでも使ってくれ、とある意味開き直ってさらけだす。

 ミステリでよくある倒叙というやつ。
 現在はこうだ(殺人は起こった)、じゃあそこに至るまでは?(動機やトリックは?)という謎かけに近い書き出し方です。

★「ミステリの倒叙は犯人側からの叙述のことでは」とのご指摘を某編集さんからいただきました。↑ の時系列が逆転しているのは「一般的な倒叙の定義」でした。すみません。

 自己分析や他人の評価、人生最大の○○から書き出すこの方式のほうが、その人の人生観が冒頭からバッチリ出るので、親切かつ効果的な方法ではないかと思います。

順番はどうする?

 前回おすすめした、カード式の思い出整理法、やってみましたか?

 まずは、書きたいことをつらつらメモにしてみましょう。
 並び替えのできるカードやレポート用紙を活用するのは、自分用に書く時と同じです。ただしこちらは別に完成形を想定しますので、あまり熱心に書き込まないこと。そうでないと本番で息も絶え絶えになってしまいます。

 自伝は、基本的には時系列がいいと思います。
 時代があっちこっちに飛ぶと、判りにくくて不親切です。

 注意するのは情報の取捨選択。

伝えるべきことは何?

「読んでもらう」ために書くのであれば「書きたいように書いてはいけない」。これ、基本です。
 読んでもらえるように書く努力が必要なんです。

 とはいえ、努力の方向性が判らない人も大勢いるでしょう。
 そんな時には、さきほどの「大事なことをガツンと書く」を思い出してください。
 自分はこんな人物だ。他人からはこう見えているはず。一番の後悔、一番の幸せ。伝えたいことを冒頭に宣言する、という話でしたよね?

 とすると、目的(注1……後述)が明確になります。
 その「最初に書いた大事なことを伝えるための自伝」にするのが目標です。

 自慢があるのなら、そこへ至る苦労、人からの援助などなど。
 他人の評価はこうだろう、と書き起こすのなら、それをひっくり返して、しかし自分ではこう思っている、と持っていくのがセオリー。
 後悔があるのなら、過ちまでの経緯。
 最大級の幸せを書き残したいなら、どんな道のりがあってこそ辿り着けたのか。

 目的に関連する事象を中心にピックアップすると、まとまりのあるコンパクトな自伝になり、読んでもらいやすくなります。

 幼稚園時代、ほとんど毎日一緒に遊んでいたSちゃんの家で、なんの拍子か飼い犬に噛まれてしまった。Sちゃんのお母さんはお詫びにと私に本をくださった。たしかアラビアンナイトの絵本だったように記憶する。
 ただ本をもらうのではなく、犬に噛まれてというところが、今となっては、すったもんだの小説家人生を送る予兆だったようにも感じる。

 前段は過去の事実です。犬に噛まれた。本をもらった。以上終わり。
 しかし後段は、それを「ひーひー言いながらも今はなんとか小説家を名乗っていられる自分」との関連。
 犬に噛まれたのを覚えている、以上終わり、ではなく、こうして最初の名乗りと絡ませてやると、その名乗りに至る経緯、という一本の筋が通ります

 経験のすべてが目標にからまっているわけではないでしょう。
 ぜーんぜん関係ないけど書きたい記憶もあるはずです。
 だったら気構えず、「ぜーんぜん関係ないけど、この頃~」みたいに書いちゃえばいい。もしかしたら、書いているうちに、気が付かなかった自己形成の源を発見できるかもしれませんしね。

〈事件ブロック〉にまとめる

 人生は強制マルチタスクでございますゆえ、出来事はいっこいっこ順番通りにやって来てはくれません。たいてい、仕事ではアレとコレを同時に処理して、家庭ではソレも問題で、てな具合でぐちゃぐちゃになってる。

 読者が自伝をほうり投げないのは、せいぜい同時進行3つまで、ではないかと。
 3つくらいまでの混在だったら、時系列で書いていってもなんとか区別してくれると思います。

 けれど、それがあまりにも長期間にわたる、とか、3つなんかではすまない、とか、それぞれを深く語りたい、とかとなると、別の手段がいいですね。

 判りやすく、事件ごとにまとめるのはどうでしょうか。

  この時期はAとBとCとDが同時進行で襲いかかってきた。
  まずAについてまとめて記すと、

 てな感じで。
 Aについて一通り語り終えたら、

 Bの発端はAのはじまりに遅れること○ヶ月、○月○日の会合だった。

 などと、時間を巻き戻してしまえばいいです。

 メモをカード型にする意味がお判りいただけましたか?
 時系列に並べていたメモを、事件ごとのまとまりで並び替える(注2)んです。
 そうすると、すっきりスムーズな内容になりますね。

あれもこれも書きたいんだけどどうしたらいい?

 スッキリスマートスムーズ簡潔。
 いやいや、それでは自分が満足できない。
 あの昼休みの大笑い、あの夜の飲み会、あの人の話、この人の仕打ち。
 書けば書くほど、内容が増えてしまう。

 気持ちは判ります。
 自伝ですからね。自分が主人公ですからね。語りたいことは山のようにあるのは当然です。
 全部が全部スッキリスマートスムーズ簡潔に結びつくわけもないから、枝葉も茂るし横道も増える。

 でも、それ、たぶん目的を見失なってます。
 今回は「人に読んでもらうため」の自伝の話ですよ?
 書きたい欲望は、前回で言うところの「思い出を整理したい」のほうが目的になりませんか?

 ではどうするかというご提案なのですが。
 ノート、またはファイルを二つ準備して、「人に読んでもらうことを目的とする〈作品〉」と同時に「自分が書き連ねたい欲に忠実な〈思い出の記録〉」に分けるといいんじゃないかと。

 書きたい欲望はとても大事です。
 自分が生きてきた証を正直に残すんですから。
 しかしそれは自分の楽しみであって、誰かに押し付けて読ませ、その人の時間を奪ってまですることじゃあない。
 読んで欲しければストイックにその目的を達成するべく、努力してほしいのです。
 そして、自分のためには、書きたい欲を別に発散するのです。

 すべてを読ませようとは思わないこと。読んでもらえるだけの努力、この場合は、話題の取捨選択と語りの順序、をしっかり計画してから取り組んでください。
 でないと中途半端なものになってしまって、結局、誰にも読んでもらえず、自分も不完全燃焼――てなことになります。

どんな文章で書けばいいの?

 自分が書きたいように、が基本です。
 けれど、文体や書き方によって効果は違います。

出来事を淡々と書く

 私感を交えないのでハードボイルド的なスマートさが出ます。
 が、行間を読んでもらって共感させなければならない難しさがあります。極論すれば、事実の描き方によって正反対の意味に受けとめられることもあります。
 うまく書けば、こちらから心情を提供するのではなく読者が想像してくれるので、よりいっそう深い感情を伝えることができます。たぶん。

心情をしっかり書く

 個人的には、せっかくの自伝なのですから、考えを明確に書いてしまうのがいいと思います。怒った、泣いた、など、単純なことでかまいません。
 ああも考えた、こんなに困った、など、当時の気持ちを丁寧に拾うのもいかと思います。
 力のある人は、もっと掘り下げて、貧血が起こるほどの怒り、や、体重が3キロ減った、など、表現を楽しんでください。
 恨みつらみを書くのは諸刃の剣。これは後述します。

当時と考え方が違っていたら

 もう正直に「当時はこう思ってこうしていたが、今にして思うと」など、きっぱり書いてしまいましょう。自分の成長を確かめられますし、若気の至りというヤツを読者に反省として伝えられます。

許せんヤツを名指しするときの注意

 おすすめしません。
 他の人に読んでもらうんですから、下手をすると名誉毀損なんてことになります。
 怒りは決してボカせるものではなく、ずーーーーーーーっと抱いているでしょうけれど(私もそうです!)、書き記すのなら名前はボカしておいたほうが安全かと。
 身内だけに限定して読ませる、むしろ非難を表明したい、なら別です。遺言状と自伝の違いをしっかり見極めて、その後の波紋の覚悟を決めて書いてください。

まとめ・自伝を書く上で大事なこと

 読んでほしいと思って書くのに、読んでもらえない。
 その要因はいくつかあります。

 これまでに書いてきたように、

  1. 履歴書的データの羅列

  2. 判りにくい

  3. つまらなくて興味がなくなる

  4. 膨大すぎる

 が主なところ。

  • ツカミをしっかり。冒頭の宣言も活用。

  • 冒頭の宣言に関連付けるように書くとまとまりやすい。

  • 時代背景も書き込んで異世界(?)への興味を刺激する。

  • 時系列に囚われすぎない。事件並びも視野に入れる。

  • 書きたいことを全部突っ込まない。

 のがオススメであり注意点でもあります。

小説作法との接点

 心情を書くにあたっては、嬉しいならその嬉しさが充分に伝わるように書き残せれば最高ですね!

 父母と遊園地に行って楽しかった。

      VS

 父母が「誕生日だからね」と、特別に遊園地に連れて行ってくれた。乗りたいものにはすべて乗せてくれ、おやつもたくさん食べた。チュロスがおいしかった。そのとき初めて、人は笑いすぎると頬が痛くなるんだと知った。帰りは電車でぐっすり眠ってしまうほどはしゃいでいたのだ。
 思えばこのときの頬の筋肉痛は、成人した後の~(冒頭宣言の内容につながる)

 このあたりになるともう小説の書き方に近くなってしまいますので、自分が楽しんで書ける範囲で。

注1・2

 物語構造や、ストーリーを考える上では、

注1 ―― テーマ
注2 ―― 物語構造の組み方/シノプシス処理

 となります。
 何度もお伝えしているはずですが、すべてがテーマに貢献すると美しい構造になると私は思っています。
 自分の過去を振り返り、あの思い出によってこんな感情を獲得した、あの感情によってこんな考察をするようになった、と、今の姿のモトになるものであることを示していければ、アナタという人間像がまざまざと立ち上がってくるはず。

 けれど、あまりにも「すべてがテーマにっ!」というのは余裕がなくて息苦しく感じることもあります。
「関係ないけど、こんなことも」という気持ちで、エピソードを緩急を付けて投入したいものですね。

 ……というわけで、2回にわたって自伝、自叙伝、その手法での小説、を語ってきました。

 私自身はというと、愚痴の矛先がこの世からいなくなってから、じっくりとスナオなヤツを書こうかな、などと。
 お心当たりの方々、御覚悟めされい。

みなさまのお心次第で、この活動を続けられます。積極的なサポートをよろしくお願いします。