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介護がいきなり始まって、あっけなく終わった話

忘れもしない9月16日、同居の82歳の義父が食道癌の診断を受けた。そして、11月23日の朝に亡くなった。この間に経験したことを、書き留めておきたいと思う。

①じいじの食道がんは見つかったときにはすでに手遅れだった。

本人曰く、6月ごろから食べ物を飲み込みにくい感覚があったらしい。その頃にちゃんと検査をしていたら状況は変わったのかもしれないと思うと悔やまれる。
死んだ人を悪く言っちゃいけないけれど、朝から晩まで好きなだけビールを飲み、おつまみを食べていた。自分は癌家系じゃないとたかを括っていた。
いよいよおかしいと感じて、消化器内科に行くといった日、嫌な予感がした。Googleで食道がんを検索したら自覚症状出たら手遅れという恐ろしいフレーズが何度も出てきた。
だから、大したことないだろうって出かけていくじいじと、何も知らないばあばを、この先、どうやって励ませばいいんだろうと、わたしはとんでもなく先廻りして考えていて、自分でも不思議だった。
ちなみに、この不思議な先回りの感覚は、じいじが死ぬまでずっと続き、ばあばからは何もかも寛子さんの言う通り……と言われる。
残念ながら、じいじは最初の診断で緊急入院を言い渡され、入院して3日で家族を呼ばれ、ステージ4Bの食道がん、抗がん剤、放射線、何も治療できることはない、余命半年と医師から告げられる。
入院中のじいじに、何も治療することがないなら家に帰ってきたらどうですか、ひとり病院でどんな気持ちでいるのか心配ですとLINEした。ありがとうしか返ってこなくて余計心配になった。

②セカンドオピニオン

長男である旦那の意見で急いでセカンドオピニオンを受けようということになった。入院したままセカンドオピニオンは受けられないルールらしく、急いで退院になった。
ただし、どこのセカンドオピニオンを受けるのか、何科に申し込むのか、そういうことも家族が全部決めなくちゃならなかった。病院にツテなんてないし、ネットで検索するしかない。何科って言われても消化器?くらいしかわからない。でも実際には内科(抗がん剤)と外科(手術)で対処が違うから、それを踏まえてどこにデータを送るかを決めるということだった。手術はできないと断言されたこともあって、内科に申し込んだ。今かかってる病院はヤブだから転院した方がいいとか、がんならがんセンターじゃなきゃ信用ならないとか、食道がんの権威が築地にいるとか、そもそもセカンドオピニオンなんか意味ないとか、親族、友人、ネット、いろんな情報が錯綜した。そのせいで、じいじはもちろんのこと、言い出しっぺの旦那も完全にフリーズしていた。
毎晩、2人で夜中まで話し合って、方針を決めた。治療の見込みがなかったとしても、じいじが生きてる限り、目の前に何でもいいからタスクを作ってあげようと。じいじはまだ現実を受け入れられず、何かの間違いだろうと言っていた。だから、自分がどうしたい、こうしたいというのをなかなか聞き出せなかった。選択する力が無くなっていた。それでもタスクを一個ずつこなすことはできる。何かをやっているうちに、なんとか自分で自分のことを決められるまで気持ちを持っていってあげたかった。結果的にセカンドオピニオン、それから、サードオピニオンまで受けることになった。でも、セカンドもサードも診断はほぼ同じ。セカンドオピニオンの先生にはさらっと余命3ヶ月と言われてしまう。み、短かなってるやん!
そして、効くかどうかわからないけど、抗がん剤治療やった方がいいですよと両方の病院から言われた。主治医にその結果をもって相談すると、ただでさえ短い残り時間を抗がん剤で苦しむなんておすすめできないとはっきり反対された。副作用で歩けなくなる人もいる。それを聞いてじいじは余計に混乱してしまい、やっぱりどうしたいか自分で決められなかった。医師からはもう一度自宅で家族と相談してくださいと帰された。
この頃、ばあばはまったく状況を飲み込めておらず、流動食しか食べてはいけないじいじにハンバーグを食べさせたりしていた。主治医からは窒息しますよと怒られた。慌てた私は、流動食のレシピの本を買って勉強しはじめた。

③飲めない、食べられないの始まり

孫と唐揚げを取り合うくらい食いしん坊だったじいじが10月上旬、ついに水も飲み込めなくなり、再び緊急入院した。まだ暑い時期で脱水が心配だからと、CVポートを入れる手術をすることになった。胃ろうも点滴も嫌だ、最後まで自分の口から食べたいと言っていたじいじも、このときには諦めて医師の意見に従った。CVポートで栄養を摂って体力が回復すれば、また食べられるようになるかもしれないと家族は励ました。
でも、本当は、新しく買ったミキサーも、流動食ゲルも、レシピ集も、使う機会はもうないんだとなんとなくわかってしまった。
このころのばあばはやっぱり状況が飲み込めず、抗がん剤をやるべきだとしきりに言っていた。「副作用で苦しむより残りの時間を大切にって言われてもねぇ、残りの時間がないから治してくれって言ってるのにさぁ」と医師のアドバイスを禅問答のように繰り返し、〇〇さんは抗がん剤で治ったのにと、悔しそうに言っていた。
わたしは、じいじが退院するまでに、これから何が起こるのか、癌末期の症状を調べておこうと思い、Amazonで『がんの最後は痛くない』という本を買った。数多ある本の中でなぜそれが目に止まったかはわからない。ただ、痛くないといいなぁってぼんやり思ってたからかな。
届いた本を読んでみてたまげた。痛みの取り方が書いてあるのかと思ったら在宅医療を勧める本だった。最期まで家で過ごして亡くなる人もいるんだなぁ、そんなことしたら家族は大変そうだなぁ、うちはチビが2人もいるし無理かなぁと思っていた。でも、「家は患者の痛みを和らげる」というフレーズが頭に残り、結局、この本に書かれているとおりになっていった。

④在宅医療のはじまり

コロナ禍で入院したら大好きな孫には会えない。面会は全部禁止。じいじはすっかり元気がなくなり、家に帰りたいと言うようになった。
「無理に抗がん剤なんかしないで最後まで家で好きなYouTube見たり、静かに暮らして、散歩して、孫と遊んで、過ごした方がいいんじゃない」とわたしは、自然とそんな言葉を言うようになっていた。本の影響もあって、在宅で看取るって、うちでもできるのかなぁって考えるようになっていた。
主治医にもいったん家に帰ることを勧められ、すぐに訪問医と訪問看護師が来てくれることになった。在宅医療チームのサポートの手厚さ、的確さはまた別の機会に書きたい。とにもかくにもこの方々のおかげで遅すぎず早すぎず、家族は悔いのない判断ができた。
10月下旬。訪問医と相談して、家に帰ってきたじいじが不安にならないように、丸山ワクチンを打つことになった。驚いたことに、先生の訪問がない日は家族が注射しなきゃいけなくて、私も練習して、生まれてはじめて人の皮膚に針を刺した。3回目の注射を打つころ、じいじはもう呼びかけても返事をしなくなった。意識のない人に注射をするのがどうしても嫌で、あとは旦那にやってもらった。

⑤寝たきりになる
痛みと倦怠感でベッドから起き上がれなくなった11月上旬、訪問医が「入院しますか?」とばあばに聞いた。ばあばはずっと在宅医療に納得していなくて、入院した方がいいんじゃないの?と言っていた。入院しても治療できないからと説明しても、人は病院で死ぬものだからと強固な姿勢だった。そこまで言うならと面会できるホスピスを探したけれどどこもいっぱいで入れなかった。看護師さんにお願いして、じいじにこのまま家でお世話されるのでいいか聞いてもらった。看護師さんや医師の問いかけにしか反応しなくなっていたから。そしたら黙ってピースしたらしい。前に立ってたばあばの陰になってわたしにはそのピースが見えなかったけど、それ聞いてよくわからない涙が出てきた。わたしが無理に家に引き止めちゃったのかとずっと気にしていたからホッとしたのかな。

⑥せん妄がはじまる
11月中旬、夜中、しきりにベッドから起き上がったり、痰が引っかかって危ないから、家族が隣で寝てあげた方がいいですと看護師さんから言われる。
初日、ばあばが「これはわたしの仕事だから」と添い寝をかって出たが、動くのを静止したり、嘔吐したりで一睡もできなかったらしい。そしてばあばは、朝起きて開口一番、「今日は誰か代わって」とあっさり仕事を降りた。
それで、2日目は私が添い寝することになった。まさか、嫁の私までシフトに組み込まれるとは思いもよらず、でもしゃあないよなぁと、3歳児を寝かしつけてから82歳のじいじの横で寝る。客観的に見るとかなり極限な気がするけど、別に辛くはなかった。
夜中、私がくしゃみをしたらじいじが目を覚ました。驚いたことに、もうずいぶん前からちゃんと喋れてなかったし、私のこと看護師と間違えてたのに、そのときははっきりこっち見て「え?ここで寝るの?」と言った。どうやら、私に添い寝してもらって、びっくりしすぎてちょっと生き返ったらしい。

⑦御臨終
3日目がまたばあば、4日目は呼びつけられた義弟が添い寝した。そして5日目の朝、がぁがぁイビキを立てて爆睡している旦那の横でじいじは亡くなった。まだ医師が言ってた余命にも辿り着いてなかったし、あまりに早く、あまりにあっけなかった。
でもみんな本当に疲れていて、あと1週間続いていたらみんな倒れちゃってたかもしれない。そういうのわかっててじいじは死んじゃったのかなぁって思ったら涙が出てきた。

コロナ禍の闘病、私たち家族がたどった経緯が何かの役に立てばと忘れないうちに書いた。

子どもたちの反応とかどうやって死ぬことを伝えたかとか、その都度やってきた選択のプロセスで書ききれてないこともいっぱいあるから、追加していきたいと思う。

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