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第二話 インド5

海から吹く風は確かに気持ちが良かったのです。

でも、世界で2番目に長いと言われるそのビーチは、僕の想像した楽園とはちょっと違っていました。ゴミが大量に散らばっているのはここも例外ではないらしく、海は茶褐色に濁り、また空は厚い雲に覆われていました。砂浜の方方に、そして波打ち際のいたるところにまで、雑然と屋台が放置されていたりします。唯一、新鮮に感じたのは数頭の馬が颯爽と走っていたことです。もちろん、野良ではなく、観光客を乗せたり写真を撮ったりするための、仕事をする馬でした。

僕はここでも、一人二人くらいは取材ができないものかとカメラを持参していたのですが、そのカメラを見るや否や、すぐに馬の連中に囲まれ、「乗ってみないか」「写真を撮れよ」と押し売りに困らされたものです。結局、なかなかカネにはならないとわかり渋々去っていきましたが、どこを歩いても海水浴客たちから「そのカメラでぜひ撮ってくれ」などと絡まれ、連日の戦いの傷を一人のんびりと癒すことはできなかったのです。

戦い。ジョージ・タウンに流れ着いた翌日から取材は始まり、10日間で20人のインタビューに成功した僕は、とにかく疲労困憊だったのです。いえ、実はカメラの録画ボタンを押し忘れていたり、マイクの電源を入れ忘れていたりと、実際には17人しか収録できていなかったのですが。もちろん、予想通り、それらの取材は簡単にはいきませんでした。

初めての取材は、思い出すだけでも情けなくなってしまいます。屋台街の一角にカバンと靴の店を張った親父におそるおそる話しかけたのは、いかにもぎこちなく不自然でした。趣旨を説明しようとすればするほど話は混乱していき、両者訳もわからず「取材」は進んでいきます。タブレットを持つ手は震え、マイクのケーブルは焦るほどに絡まり、続々と集まってくる野次馬で緊張が増すと、挙げ句の果てにカメラは落とすわ、バッグのスリングに足を引っかけて転びかけるわで、その時の自分の表情を思うといたたまれなくなります。おまけに、逃げ帰るようにして戻った宿で、インタビューのデータが全く保存されていなかったという凡ミスに気づき、愕然となったのでした。

この10日間、そんなことを何度も何度も繰り返し、ようやく緊張することに慣れてきたという程度ですが、トンネルのレモン売りの少年、チャイ屋の青年というよりは少年、リキシャの親父、牛遣いのおっさん、サリーの仕立て屋、売店の青年、グアバ売りのおじさん、薬局と床屋の店主、バイクのメカニックなど、様々な人を撮りました。

そして、バンガロールという別の街へ移動する前日に、気分転換を兼ねてこのマリーナ・ビーチへやってきたのです。最後の1週間は「インドのシリコンバレー」と呼ばれる世界でも注目の街で取材をしてみたいと思い、帰りの航空券はあらかじめバンガロール発-東京行きを買っていました。

そもそも、インドはインドでも、なぜチェンナイだったのか。
理由はなかったのです。

かつてイギリス植民地時代にマドラスと呼ばれたこの街の名は、小学生の頃に「マドラス、ボンベイ、カルカッタ」と語呂を繰り返して覚えた記憶があります。確かにこの街が、世界史の嫌いでなかった僕が歴史資料集を繰って「いつか大人になったら行ってみたい」と思った場所の一つだったのは間違いありません。

ところが、その大人になってみると、別の機会にいくつか街を回った経験が充分に好奇心を満たしてしまい、マドラスは「あらためて行ってみたい街」ではなくなっていました。それでもこの街までやってきたわずかに理由らしきものといえば、東京発-インド行きの航空券でたまたまチェンナイが最安だったということ。そして、僕の乗っているバイクのメーカーの本社がこの街にあり、安くパーツを買い込んで帰れるかもしれないという別の魂胆があったからでした。

では、どうして僕はこのようにカメラを抱えて日本を出てきたのでしょうか。
この質問に答えるのは少し長い説明を要するのですが、僕には確かに「これをやろう」という深い納得感と衝動があったのです。それはいつもの散歩道を歩きながら部屋に戻るときのことでした。「これから仕事どうしよう」という毎度の疑問に、過去の体験を交えながら心のうちで一人対話をしていたのです。そして、ふと、過去の自らの体験の全てが、こうして世界中を取材をして回る自分の姿に繋がっているという感覚を抱いたのでした。

実は、このように取材だとか何かを作るだとかを想像することは、それが初めてではなかったのですが、このときははっきりと感じたのです。「今やろう」と。そして、その日、買ってから一度も手付かずのままクローゼットに半年も放置していたカメラをバッグに押し込んで、アプリでインド行きの航空券を購入すると、その夜には飛行機に乗ってこのチェンナイへ向け旅立ったのです。

その後、実際に旅へ出てみると、その確信は疑念に取って変わられ、衝動はやがて意図を伴う行動に代わっていきました。

「こんなところで何をしているんだろう」

この素朴な疑問は、僕がこのインドの街の片隅で、そしてインドへ出発してからの3年間、何度も何度も色々な街のベッドの上で天井を見つめながら呟いてしまう、はっきりした答えを見出せない疑問のままであり続けるのでした。

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