新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として 厚生労働省 首相官邸 のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
見出し画像

直販力と復興力の相関関係|47キャラバン#4@長崎

 長崎にやってきた。長かった梅雨も明け、快晴。そして猛暑。お昼過ぎの便で到着し、朝から何も食べてなかったので、長崎空港の中にある「ちゃんぽん屋」を目指す。しかし、臨時休業の張り紙。昨今の長崎県内での新型コロナウイルス感染拡大の影響だろうか、ご覧の通り空港も閑散としている。

画像1

 仕方がないので、空港内のコンビニで、うどんと握り飯を買って食らう。

画像2

 そして、レンタカーで「ながさき食べる通信」編集長の森田優子さんとの待ち合わせ場所に向かう。

画像3

生産者を可視化する「食べる通信」

 食べ物付き情報誌「食べる通信」は、私が東北から始め、全国各地に広がった。広げたんじゃなくて、広がった。日本で最も生産現場の一次情報に迫っているメディアだと自負している。メディアの役割はふたつある。ひとつは、見えないものを見えるようにすること。もうひとつは、異質なものをつなげること。社会に巣食う分断はすべて見えないことに起因している。生産者と消費者、都会と農山漁村の分断も同じだ。そこで、メディアの出番である。食べ物の裏側に隠れてしまい、消費社会から見えなくなってしまった生産者を可視化し、消費者に知ってもらうのだ。

 私が編集長を務めていた東北食べる通信の場合、生産者の特集記事はだいたい7000~8000字近く書いていた。これだけの分量を書くとなると、一度会って取材したくらいでは到底無理で、創刊当時はこれだと思う生産者を探し、そこから何度も足を運び、杯を交わし、信頼してもらい、ようやくこいつにならしゃべってもいいなということで、いいことも悪いことも根掘り葉掘り聞きだすことができ、特集原稿を書き上げることができた。月刊誌で丸5年間編集長を務めたので、60の生産者のライフストーリーを書いたことになる。およそ48万字だから原稿用紙に換算して1200枚!

 全国各地に展開する食べる通信は、それぞれの地域に編集部がある。そして、同じように地元の生産者と濃密な関係を築き上げている。ポケットマルシェの代表を務める私は、各地の食べる通信を束ねる組織「日本食べる通信リーグ」の代表も務めていたが、今年4月、リーグの事業譲渡を受け、同じ組織の中で共に歩んでいくことになった。今回のキャラバンでも、各地で開催準備や生産者への呼びかけなど、一肌も二肌も脱いでもらっている。そんなわけで、今回は「ながさき食べる通信」の森田編集長に、生産者巡りのアテンドをしてもらった。

画像6

野中果樹園を襲った豪雨災害

 長崎県長崎市琴海形上町。大村湾が眼下に広がる小高い丘の上でミカンなどの果樹を生産している野中果樹園の野中隆史さん(36)の現場を訪れた。農家の長男として育ったが農家になるつもりはなく、大阪、横浜でサラリーマンをしていたが、結婚を機に3年前に帰郷。「何のために仕事をするのか自分に問うたとき、家族が幸せになるためだと思った。農業は家族と一緒にいる時間がたくさんあるんですよね」と、1歳になる息子を抱きかかえる妻が見守る横で笑顔で語る隆史さん。当初、木々が鬱蒼と生い茂っていたこの丘を父と一緒に開墾し、ミカンの苗を植えた。収穫まで後2年待たねばならない。

画像4

 そんな野中果樹園を先月、豪雨が襲った。別の場所にあるミカンのビニールハウスが立っていた地盤が土砂崩れを起こし、ハウスの底が抜けた状態になった。復旧には多額の費用がかかるため、このままでは栽培をあきらめるしかない。そこで、野中さんはすぐさま行動に出た。クラウドファンディングで支援を募ったら、2週間で目標金額の300万円を達成してしまったのである。「スピードが大事だと思った。東日本大震災のときもそうだったと思うけど、時間が経てば必ず風化してしまう。たとえ農家じゃなくても豪雨という共通の体験をした人たちに呼びかけるには今しかないと思った」。

画像7

 野中さんの支援の呼びかけに応えてくれた人たちは、200人を超える。その半分以上は、知り合いだという。20年近く会ってない中学の同級生、横浜時代の会社の同僚、大阪で自分が立ち上げた若手の長崎県人会のメンバーなど。それまでの人生で培ってきた人間関係が広い人ほど、「情けは人のためにあらず」ではないが、その人間関係の中で人のために汗をかいてきた人ほど、困ったときに差し伸べられる救いの手は多くなると思う。支援の広がりのスピードに、野中さんのお人柄が垣間見える。

 支援をよびかける際、今年から直販を開始するためにいろいろ準備していたことも追い風になったという。プロのカメラマンに果樹園で家族写真を撮ってもらっていたのである。クラウドファンディングでは、迷わずその写真を使った。農協や行政からの支援もある中、わざわざ手間のかかる個人支援を受けることの意味を野中さんに聞いた。「確かにリターンの準備とか大変だろうから、前借りしてると自分は思うようにしている。でも、自分たちが復興する姿を見守ってくれる人がいるというのは何よりの励みになる。そして今回、自分の知り合いのシェアからまったく知らない人たちからもたくさんご支援をいただいた。この方々にも私たちのことを知ってもらい、丁寧なやりとりをすることで、新しいお客様になっていただくチャンスをもらったとも思っている」。

画像5

直販力と復興力の相関関係

 東日本大震災で得た教訓のひとつに、「平時の直販力が、有事の復興力になる」があった。岩手県大船渡市綾里地区の小石浜養殖組合ホタテ部長の佐々木淳さんを始めとする漁師たちは震災前から、地名をもじった"恋し浜ホタテ"のブランド化に挑み、独自に販路を開拓。浜から都会の消費者に直販していた。都内のレストランでの消費者との交流イベントにも積極的に参加。顔の見える漁師として、ダイレクトに食べる人たちとつながり、ファンを獲得してきた。震災2日前も、佐々木さんは都内のお寿司屋さんで開かれた、消費者との交流会にゲストして参加していた。震災直後、このお寿司屋さんの親方が支援物資を送ろうとしたところ、「被災地にはタバコがないから、ショッポ(タバコの銘柄)を送ってほしい」と、佐々木さんから頼まれた。

 震災前から紡いできた「つくる人」と「食べる人」の顔の見える関係性は、壊滅的な津波被害を受けて窮地に立たされた小石浜にとって大きな力となった。恋し浜ホタテを直接、佐々木さんたちから購入したり、生産者交流会で佐々木さんと共に楽しい時間を過ごしたりした経験のあるファンたちにとって、震災は決して他人事ではない身近な出来事になった。小石浜は、国や県からの公的な支援を待たずに、全国の恋し浜ホタテファンから届いた寄付金のお陰で、どの浜よりもいち早く港を復旧させることができたのだ。県が防波堤を直すよりも早かったというそのリカバリー力は、震災前から佐々木さんたちが築き上げてきた都市の消費者とのつながりがあってこそ発揮されたものと言える。その後、ファンたちは販路拡大やイベントを通じて、恋し浜ホタテの完全復活を自発的に後押ししていった。

画像8

 この他にも、復興支援の過程で出会った都市のボランティアたちとのつながりを大切に育み、その関係性を平時における直販力につなげていった生産者たちもいる。復興支援に通い続ける中で、生産者の思いや人柄に触れてファンになったボランティアが、会社の同僚や馴染みのレストランのシェフに対し、その生産者の代弁者となって価値を伝え、販路拡大に貢献する営業マンのような存在になっていったのだ。そして、そのファンたちは横のつながりも深め、ゆるやかなコミュニティを形成し、今も継続している。例えば、福島県喜多方市でアスパラガスを生産している江川正道さんは100人規模のコミュニティを持ち、毎年5月の大型連休にはファンたちが現場に収穫の手伝いにやってきて、夜はバーベキューを楽しみ、江川さんが商談で上京した際には大交流会が開かれ、さながらお盆の親戚の集まりのような雰囲気になる。

画像9

還暦一年生農家の志

 「もうひとり、面白いおじさんがいる」と、森田編集長が次に連れて行ってくれたのは、60歳で新規就農者になったという、西海市西彼町の濱口登志男さん(72)の現場。農薬・化学肥料を使わずにお米を2町(20000㎡)を超える田んぼで栽培している。元々は設備会社を30年ほど経営していたが、今から12年前に自民党から民主党へと政権交代が起こったのが転機となった。「コンクリートから人へ」をスローガンに掲げて総選挙に勝った鳩山政権が公共事業予算を大幅に削減した結果、土木建設業は苦境に陥った。土木をやってきた中で、土自体が好きになっていたこともあり、政府も推奨しているからと、農業を一事業として始めることにした。

画像13

 還暦を迎えて一年生農家となった濱口さんは、農薬ありきの農業に疑問を感じ、農薬を使わない米栽培の道を進んできた。濱口さんの田んぼのすぐ横には、他の農家の農薬散布している田んぼがある。濱口さんの田んぼに比べて、稲が青々としており、隙間なく密集している。濱口さんの方は、隙間だらけで色も落ちている。見た目は明らかに悪い。収穫されるお米はどうなんだろうか。濱口さんはいう。「こうやって見てわかるように向こうの方が綺麗でしょ。できた米もサイズもそろっていて、綺麗なんですよ。でも、病気にかかりやすい。一方、私のは収量は半分以下だし、見た目も不揃いでよくない。ただ、病気にかかりにくいし、味もこっちの方がいいよ」。

 私たちは、見た目で食べものの価値が決まる不思議な社会に生きている。いびつな食べ物は、市場では売れない。スーパーで売られている綺麗で、汚れのない食べものは、まさに工業製品のようである。結果、何が自然で何が不自然かわからない世の中になってしまってはいないだろうか。

 一方で、農薬を使う稲作についても一定の理解を示す濱口さんは、思想が異なる隣の田んぼをやっている農家とも決していがみ合ったり、ののしり合ったりすることはない。確かに、風で農薬散布が自分のJASオーガニック認証を受けた田んぼに飛んでくることもある。逆に、こちらは防除しないから、雑草や病気が向こうの田んぼに感染することもある。お互い様なのだから文句を言っても仕方がないので、逆に普段からコミュニケーションも取るようにしている。

 新規就農から今年で12年目を迎える濱口さんの宿敵は、雑草だ。最近、今年の雑草の伸びるスピードは尋常じゃないとの声が、方々の農家から聞かれる。生産者は自然からのアラートをいち早く私たちに伝えてくれるカナリアだと思っているから、なんだか不気味である。

REIWA47キャラバン長崎

 西海市で開催した47キャラバン。まず現れたのは、養鶏農家の松本英樹ささん。私がお節介で始めた農家の嫁探し(これはかなり大きな農業界の構造的な問題だと思っている)に名乗りをあげ、そしたらTwitterでいい感じに合いそうな女性が見つかり、松本さんにつなぎ、ふたりはオンラインデートを重ね、なんと先日リアルに映画デートしてくるって報告があり、結果は怖くて聞けずにいたんだけど、今日聞いたら、すごく気が合って前に進みそうだって。よかった!!で、そのお礼じゃないけど、手数料代わりに新しいパッケージのお披露目も兼ねて、卵をお裾分けしてもらった。ちなみに、もし結婚までたどり着いたら、私は一生松本さんから卵を送ってもらうことになっている笑

画像14

 さらに、今回、嬉しかったことがあった。一昨年から昨年にかけて開催した前回の47キャラバン@佐賀県に参加してくれたお茶農家さんがリピート参加してくれたこと。「俺はネット販売なんか絶対にしないと決めていた。ぜんぶ自分で売るんだって。でも、あのとき高橋さんの話を聞いて、やってもいいかなと思って、ポケマルを始めた」と話してくれ、飛びあがりたくなるほどうれしかった。生産者と消費者がまずはネットを通じてでもつながることの意味について伝わったんだって。今宵も熱い夜だったぜよ。

画像11

画像12



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます!
17
ポケットマルシェ CEO / 東北食べる通信 編集長 / 日本食べる通信リーグ 代表 / 岩手県議を経て、2011年岩手県知事選に出馬し、討死。事業家に転身。2019年2月カンブリア宮殿出演。著者に『都市と地方をかきまぜる』、『人口減社会の未来学』など。岩手県花巻市出身。44歳。

こちらでもピックアップされています

REIWA47キャラバンレポート
REIWA47キャラバンレポート
  • 10本

ポケットマルシェ代表の高橋博之が、全国47都道府県を行脚する中で、各地の生産者と出会って、感じたことをまとめていきます。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。