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祖父の開拓した地で暮らし続ける|47キャラバン#1@大分

REIWA47キャラバン、スタート

 7月18日(土)、REIWA47キャラバン一発目の大分県へ。大分では、キャラバンに先駆けて、大分市の若手農業者団体「大分アグリユース」の総会で講演することになっていた。大分空港に着いたら、アグリユース副会長の農業生産法人「大分ほっぺリーフ株式会社」社長の金子裕紀さんが、なんと、納車仕立てのピカピカのベントレーで迎えに来てくれた。3000万円!「農家だって儲かれば高級車に乗れるんだって、農業を敬遠する若い人たちに伝えたい」と、金子さん。左ハンドルにまだ慣れていないのだろう。左折するときにウィンカーと間違ってワイパーを動かし、なんとも初々しかった。

ベントレー

 コロナ禍でリアルな講演がすべて飛んでしまい、こうして現場にやってきてやる講演は数カ月ぶり。与えられた時間は100分。いつも通り裸足になって登壇。スライドなどの資料や事前準備は一切なしのぶっつけ本番で臨む。頭で考えた言葉を用意していないので、体の中から自然に湧き出る言葉に従った。質疑で、大分市の農林水産部審議監から「160キロのストレートをど真ん中に投げ込まれ、豪快に空振りした気分になった」と感想をいただく。

祖父の開拓した地で暮らし続ける

 講演会終了後、後方の席で盛んに頷きながら聞いてくれていた青年が名刺を持って挨拶に来てくれた。飯田開発農場の飯田祐三くん、32歳。昨年2月、渋谷のヒカリエで開催した「47キャラバン千秋楽」での私の講演をYouTubeを見て何度も涙を流し、以来、これまで100回以上、農作業しながら聞いてくれたとのこと。実際に講演の冒頭部分を暗唱して見せた。

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 彼の現場を見たくなり、翌朝、大分県中西部にある人口9,000人の玖珠郡九重町にある飯田開発農場を訪れた。過疎高齢化が著しく進む典型的な中山間地域の一番奥にあった。入り口には、1968年に久留米から入植し、原野に埋もれた沼地2ヘクタールを開墾した祖父が自ら丸2年かけて文字を手彫りしたという立派な石碑が立ってあった。祖父は、山から落石したこの巨大な岩石を少し離れた路上で偶然見つけ一目ぼれ。以来、何度も通い、「俺のところに来てくれないか」と岩石と対話を重ね、やがて許しを得て、持ってきてしまったのだという。昔の人は考えることのスケールが大きい。

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 この先に民家は1軒もないので、行政はあてにできない。水道は湧き水を引いてつくるなど、生活インフラは自らつくり、壊れれば自ら修繕する。祖父が2,000万円かけて作った農場に隣接してあるキャンプ場は、大雨の影響で川の側面がえぐられ、川幅が倍に広がってしまい、車が通れなくなっているというから、これからユンボで埋め立てて直すのだという。

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 彼は地元の消防団にも所属している。避難勧告が出た後、濁流に飲まれつつある集落に向かい、取り残されたお年寄りがいないか、一軒一軒確認して回った。大雨が道路のアスファルトを押し流し、道路が寸断されて孤立してしまった民家があるとすぐに救助に飛んでいった。地方の農山漁村で生きるとはこういうことである。自分のことだけしていればいいわけではない。消防団に所属し、防災の最前線に立たなければならないし、夏祭りなどの地域の行事の運営まで担わなければならない。必然的に、これらの活動に多くの時間をとられるが、決して金銭的な対価がある訳でもない。それでもなぜ、この不便で面倒なところに暮らし続けるのか。便利で自由な都会に出ていかないのか。祐三くんは言う。「じいちゃんから苦労してこの地を開拓して生きてきた話を聞いて育った。だからここでやることに意味があるんです」

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 飯田開発農場の代表を務める、祐三くんの父、飯田康人さんはキャンプ場の管理人も兼務している。整備された初心者用のキャンプ場ではなく、森の中を車が通れるようにしただけの難易度の高いキャンプ場だ。夜は電灯がないから真っ暗。自動販売機を設置を求める声が客から届いても断固拒否。ゴミは持ち帰り。気に入らない客には金はいらないから今すぐに帰ってくれとお引き取り願う。気に入った客とは杯を交わし、交流を楽しむ。「農村は人がいなくなって寂しくなった。でも、ここは賑やか。いろんな人がやってくるから都会と同じだ。たくさん情報も入ってくるし、刺激に満ち溢れている」。

 柳田國男は戦後の農村を訪ね歩き、「農業生産力は増大したが、農村は衰退した。貧しくはなくても、寂しくなった」と語っている。限定的で固定した人間関係が永遠に続く狭い世界に、若者が未来を感じられなくなるのも当然ではないだろうか。かくして、自らの世界を拡張してくれる異質な世界との出会いを求め、外に出ていく。しかしこのキャンプ場は、固定した内側の世界に多様で異質な外側の世界を引き込んでしまっているので、賑やかで開放的である。

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世界観は違う、それでも共感

 家族経営の飯田開発農場を後にし、午後は一転、大分市で大規模農業ハウスを舞台に企業的経営を営み、オオバやミツバなどを生産している3軒の生産法人を訪問してきた。みなさん売上が数億円規模で、ただただ圧倒された。内閣総理大臣賞や黄綬褒章を受章した大規模オオバ農家の(有)植木農園の植木喜久生さんのところには、大分市と姉妹都市である中国の武漢から6人の外国人技能実習生の女性たちが働いていた。コロナ禍で新しい実習生が入国できない代わりに、3年の任期を終えた実習生に延長で残ってもらっている。大分市の農家はこのように、中国人などのアジア人の労働力に支えられており、「彼女たちがいなければ成り立たない」というのが実情だ。

 植木さんとのそもそもの出会いは、一昨年、大分県佐伯市で行った私の講演「47キャラバン~平成の百姓一揆@大分〜」だった。それを聞きに来てくれたのがご縁で、今回の大分アグリユースの講師に私を推薦してくれたのであった。この日も終日、運転手をやってくれ、あちこちの現場を引き回してくれた。ひたすら生産性を上げることを目指す農業は、私が日ごろ訴えている世界観と重ならないのに、なぜ共感してくれるのか聞いてみた。「人間にとって大切な本質的なことをまっすぐに話してくれるから。そして世の中はそっちに向かっていくような気がする」。

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いよいよキャラバン本番

 夕方、REIWA47キャラバン本番を迎える。日曜日夜という時間帯にも関わらず、大分市内の会場に25名の方が駆けつけてくれた。わざわざ由布や佐伯から参加してくださった人もいた。参加者の半分が農家漁師の生産者で、残り半分が若い女性などの消費者。オンラインからも15名の参加をいただいた。ずっとお目にかかりたいと思っていた河内水産の漁師、河内伸浩さんも仕事の合間を縫って来てくださった。5月に「さいきあまべ食べる通信」編集長の平川摂さんから相談を受け、コロナ禍で行き場を失った養殖ヒラメの直販にポケマルで挑戦してくれることになったのが河内さんであった。「高級魚のヒラメを一般家庭でさばいて食べることなんかあるのかと半信半疑だったが、あんなに売れて驚いた。直接やりとりすることで、消費者から大事なことに気づかせてもらった」

 もうひとり懐かしい再会があった。700人が暮らす離島で漁業を営んでいる宮本信一くん。これまた一昨年の「47キャラバン~平成の百姓一揆@大分〜」で出会い、現場を案内してもらった。島には若い漁師はもうふたりしかいないが、「思いついたことはすべてすぐやる」を信条に、新しい漁業のカタチを模索していた。20歳のときに、自動車事故で同乗していた3人の友人が亡くなり、自分ひとり生き残るという壮絶な経験を吐露してくれた。あれから2年。再会した彼は「あのとき島で言われたことに大きな影響を受け、実践し、そこに近づいていることを確認できた」と話してくれた。直販でお客さんとつながり、島に行ってみたい、一緒に海に潜ってみたいという人も現れたという。日本初の牡蠣の養殖方法も生み出したのだとか。一回りも二回りもたくましくなっていた。

 質疑で、由布の農家のお嫁さんから「子供を持つ親にこそ、高橋さんの話を聞いてもらいたい。地元のPTAの集まりに呼んだら講演に来てくれるか?」との要望をもらった。「はい。行きます」と答えると、前日の講演を主催し、この日もまた参加してくれた大分アグリユース会長の藍澤修一さんが手を挙げた。「高橋さんは体ひとつしかない。高橋さんの話は農家が共感するエッセンスがたくさんある。共感した農家自身が地元のPTAや学校で話していったらいいんじゃないか。その方が広がりが生まれる。自分はそうしようと思う」。また、福岡県うきは市から越境参加してくれた農家の佐々木裕記くんは、アンケートにこう書いた。「自分たちが高橋博之さんになります。地方を変えていきます」。さらに、大分県宇佐市から来てくれた「大塔農産」社長の藤野渉さんは「共感できた。40年間、農業の現場から声を上げ続けてきた思いそのものであった」とアンケートに記していた。

 私はこの15年間全国各地の生産者の声に、全国の誰よりも耳を傾けてきた。そのたくさんの声が自分の肩に乗ってる感覚がある。声が大きく口が達者な自分が生産者の代弁者になっている自覚もある。だから、私は生産者である。そして、その話を聞いて共感してくれた生産者が私の代弁者となって現場で身近な人たちに話してくれるから、生産者は私である。これこそが、都市か地方かの二元論を超えて、都市と地方がかきまざった状態だと思う。

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 キャラバン翌朝、「大塔農産」社長の藤野渉の現場、大分県宇佐市安心院町まで足を延ばした。ここも田舎の典型的な中山間地域だった。父と長男、次男に加え、ヴェトナムの技能実習生6人でレタスの水耕栽培、17ヘクタールの米をやっていた。「災害時、過疎地ほど避難世帯数と避難者数は近い数字になる。なぜなら一人暮らしの高齢者だらけなので。だから避難するのも、復旧するのも大変」、「若者が都会と農村の複数ヵ所を同時平行で生きる遊動生活は地方創生の最も現実的な選択肢になる」、「バイヤーに農家が価格決定権を握られ続けてきたのが構造的問題。本当はバイヤーに変わってもらいたいが、難しいので、自分たちで消費者に直接アプローチしていくしかない」と藤野さんは語ってくれた。

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ここから全国へ

 最後に、改めて今回の47キャラバンの意味を。なぜやるのか。少し長いけれど、是非、これをご一読いただきたい。本来は、私はあなたであり、あなたは私である。私は海であり、海は私である。私はウイルスであり、ウイルスは私である。その不可分のものをわたしたちは無理に切り分けてしまったのだ。自然災害や気候危機、新型コロナウイルスも、私とあなたを分かつこの二元論を超えた先に、希望の光を見出すことができるはずだ。私は、「脱人間中心主義」に向かった大きな変化を起こすため、全国を行脚したい。



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ポケットマルシェ CEO / 東北食べる通信 編集長 / 日本食べる通信リーグ 代表 / 岩手県議を経て、2011年岩手県知事選に出馬し、討死。事業家に転身。2019年2月カンブリア宮殿出演。著者に『都市と地方をかきまぜる』、『人口減社会の未来学』など。岩手県花巻市出身。44歳。

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