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『あの日、パナマホテルで』 かつてシアトルにあった日本町を訪ねて

物語の舞台は米国ワシントン州シアトル。ダウンタウンの南端には、太平洋戦争が始まるまで、にぎやかな日本町があった。その東側は小規模のチャイナタウンに隣接していた。現在はインターナショナル・ディストリクト/チャイナタウンと呼ばれ、数件の日系店舗はあるものの、圧倒的に中国系の街である。

1941年12月、日本軍がハワイのパールハーバーを爆撃したのを契機に、アメリカ西海岸在住の日系人およそ十二万人が内陸部の強制収容所に連行された。シアトルの日本町も例外ではなかった。(中略)所持を許された荷物は両手に持てるだけ。何十年もかけて一世たちが築きあげた財産も二束三文で売却するしかなかった。なかには、持っていけない荷物を、日本町にあったパナマホテルの地下に預ける家族もいた。日本町はゴーストタウンと化したのである。 

ジェイミー・フォード著「あの日、パナマホテルで」集英社文庫 訳者あとがきより引用
2017年1月30日に、Googleロゴ(=Doodle)に掲載されたフレッド・コレマツ氏。第2次世界大戦中に行われた日系アメリカ人の強制収容に関する不当性を訴え続けた人権活動家。1998年にコレマツ氏は、アメリカにおける文民向けの最高位の勲章である大統領自由勲章を受章した。

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最強の通訳者、ブラウン先生と合流

シアトル2日目。

カイロベーシックの古谷社長、シアトルで治療院を開業している加藤先生と一緒にアマゾン本社とマイクロソフト本社を見学した後、

シアトル在住のブラウン先生とシアトルを象徴するスペースニードルが見える海沿いの場所で合流。

アマゾン本社とマイクロソフト本社を見学した前回の記事はこちら

ブラウン先生は私がアメリカでお世話になっている先生で、治療業界においては日米間の通訳者として名実ともに一流でいらっしゃいます。

去年はコロラド州ボルダーにあるSouthwest Accupuncture Collegeでしたセミナーで私の講義を通訳。

今年はこの日の2日後にオレゴン州ポートランドで控えているDVD撮影、3日後と4日後に開催される私のセミナーで通訳を担当していただき、今回2度目のコンビになります。

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ブラウン先生との再会に心が弾み、海沿いを散歩しながら会話を楽しんでいると、浜辺に得体の知れない大きな生き物が打ち上がっているではありませんか・・・。

恐る恐る近づいてみると、その生き物の正体は野生のアザラシ。ブラウン先生いわく、シアトルではそんなに珍しい光景ではないとのこと。

浜辺のすぐそばには近代的な高層ビルがそびえ立っているのに、何とも不思議な光景でした。

時が止まったパナマホテル

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散歩をした後は車で移動して、インターナショナル・ディストリクトにあるパナマホテルへ。

この辺りは戦前までは日本町で、1930年の全盛期には8500人の日本人が暮らし賑わっていた地域です。

1910年建築のパナマホテルは、かつて日本からの入植者や労働者を受け入れてきた日本町を象徴する宿泊施設だったとのこと。

重厚なレンガ造りの外観で、ガラス越しには古い日本人形や下駄などが置いてあり、中に入ると当時の「日本町」の写真や日系人の所持品が展示されていました。

時代の流れを加速させているアマゾンやマイクロソフトを視察した後に訪れたパナマホテルは、まるで時が止まったような落ち着いた雰囲気の空間。

IT企業見学後の私たちにとっては、そのギャップに異世界に来たような不思議な感覚になりました。

さらにパナマホテルの詳細が分かる映像はこちら

パナマホテルは喫茶だけの利用もでき、ターメリックジンジャーティーを注文し、お茶をすることに。

さらにお店の方に撮影許可をいただき、ブラウン先生のインタビュー動画を収録することができました。

第二次世界大戦が与えた影響

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ブラウン先生のお父様は二十歳の時、太平洋戦争の時にドイツ軍の捕虜になり、たくさんの人達が死んでいく様を見て心の傷を負ったのだそうです。

心の傷を負った軍人はアルコール依存になることが多かったのですが、ブラウン先生のお父様は心の救いを求めて宣教師に転身。

宣教師として和歌山の海南市に渡り、その時にブラウン先生は生まれました。

ブラウン先生は14歳まで日本で過ごし、26歳ぐらいの時に再び日本へ来日。

東京にある花田学園という鍼灸学校に入学し、何と鍼灸・按摩・マッサージ・指圧師の国家資格を取得し、学校を卒業します。

その後は日米の治療業界の架け橋となるセミナー通訳者、本の翻訳者として活躍し、鍼灸師の首藤傳明先生や指圧師の増永静人先生などの高名な先生方の著作をアメリカの治療業界に伝えてこられました。

パナマホテルでのブラウン先生へのインタビュー動画には、このようなブラウン先生のお父様のお話から日本の伝統医学をアメリカに伝えるようになった経緯や、日本の英語教育についての話などを収録。

インタビューの模様は、いつか一般公開をしようと思っています。

今回の渡米に同行された古谷社長が代表を務めるカイロベーシック社からになるか、私個人からになるかどうかは分かりませんけどね。

それにしてもブラウン先生のお父様のお話然り、パナマホテルに大切な荷物を預けて強制収容所に連行された日系人然り、いかに戦争が多くの人達の人生に大きな打撃を与えたのかを痛感した時間でした。

ブルースリーが足しげく通った中華料理屋

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パナマホテルでお茶をした後は、ブラウン先生おすすめのパナマホテルからすぐ近くにあるシアトル最古の中華料理であるタイタンレストラン(大同飯店)へ。

ここは何とブルースリーが有名になる前に足しげく通ったお店で、彼が気に入って座っていた席で我々は食事をすることができました。

タイタンレストランの様子がよく分かる映像はこちら

タイタンレストランではブラウン先生のお友達で、シアトル在住の治療家のデイヴィッドと合流し、新たな出会いがまた一つ。

デイヴィッドは日本語、というか関西弁を少し話すことができ、まるで外タレみたいでした。笑

しかも日本の武術や伝統医療について異常なまでに詳しい・・・。

アメリカ2日目にして、すでに出汁が恋しくなってきた私にとって、タイタンで食べた中華スープは私の胃を癒し、楽しい談笑をしながらの夕食となったのでした。

ここの料理は申し分の無いぐらい美味しかったので、おすすめですよ。

ただ、ライスの量は見たことのないようなビッグサイズの丼(どんぶり)で運ばれてきたので、そこはやはりアメリカでした。笑

あの日、パナマホテルで

日本に帰国後、もっとパナマホテルのことを知りたいと思い調べてみると、ジェイミー・フォード著『あの日、パナマホテルで』(集英社文庫)という本を発見しました。

この本は全米110万部ベストセラーの感動作「Hotel on the Corner of Bitter and Sweet 」の日本語版の本で、舞台は1942年のシアトル。

お互いにマイノリティーな立場だった、中国系二世のヘンリーと日系二世のケイコとの悲しくも美しいドラマチックな物語が描かれています。

小説の終盤になると号泣しそうになり、

「小説を読んで泣きそうになったのはいつぶりだろうか?というか、そもそも小説を読んで号泣しそうになった体験をオレはしたことがあったのだろうか?」と自分の記憶を遡ってみたものの思い出せず。

まぁそれは置いておいて、感動的な読み物以外の側面では、日系人の歴史や当時の世界情勢も学べる素晴らしい本です。

さらにこの本から、明治36年に渡米した作家・永井荷風がシアトル日本町について「あめりか物語」という著作で描いていることを知りキンドルで購入。

流石の情景描写に舌を巻いたのでした。

小説と現実が交差する

シアトルのダウンタウンからフェリーに乗って約35分で到着するベインブリッジ・アイランドという島があります。

「あの日、パナマホテルで」の小説の中で、ベインブリッジ・アイランドに住む日系人が、暮らしていた島から強制退去になり強制収容所に連れていかれるシーンがあります。

私はこのシーンを読んでいる時に、
「あれ?ベインブリッジ・アイランドって聞いたことがあるぞ」
と思い、島の名前を検索してみると、

「あっ、ブラウン先生が暮らしている島だ!!しかもブラウン先生からいただいた島の名前が書かれたキャップも持ってるぞ」
と思い出したのでした。

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しかも私は、シアトルでブラウン先生と合流した海沿いの場所から、ベインブリッジ・アイランドを実際に遠目から眺めていたのです。

そしてよくよく考えてみると、パナマホテルは小説に登場する日系二世のケイコが暮らす日本町。タイタンレストランは中国系二世のヘンリーが暮らすキングストリートにあります。

小説と現実が交差し、さらに自分が体験したことが歴史と結びついた様な何とも表現しがたい深淵な気持ちになりました。

海を渡ると、新たに日本のことを知る機会に巡り合うことが多く、こういう感覚は大事にしていきたいし、今後も体験していきたいと思っています。

今回の記事のまとめ動画はこちら

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

次回の渡米滞在記は、NirvanaやPearl Jamが演奏していたシアトルのライブハウスに行ってきた記事を書こうと思っています。

よかったらまた読みに来てくださいね♪

追伸
先日、「あの日、パナマホテルで」についてツイートしたら、先ほど著者である全米ベストセラー作家のジェイミー・フォードさんから直々にコメントがツイッターに届いているではありませんか!

こんなことってあるのですね!

私のセミナーとDVDが、全米の医療従事者の卒後教育プログラムの単位として公認!その密着映像が、渡米に同行した古谷社長が代表をつとめるカイロベーシック社から「STORONG MIND」という作品となり、全国で無料公開されています。詳細はこちらの画像をクリック!

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