貧すれば鈍する

最近普通に生きてる中で触れる情報がなんだか息苦しい。

自分の生活に特別なことはないと思う。日常の勤務はリモートワークが中心でコロナ禍で緊急事態宣言が出れば自粛生活をしているだけ。TVはあんまり見ないけどYoutubeやNetflixやspotifyを垂れ流してBGM代わりにするのが増えたくらい。

少しの息抜きに多少世の中動向を知ろうとSNSのニュースやトレンドを見るのはこれまで通り。

でも目に入ってくる言葉がなんか違う。なんか刺々しい。何だろうこれ。

うまい言葉が見つからないけど「言ったもん勝ち」で言い出した人は当然責任を取らない。そして世の中事化したら後追いで袋叩きする人がピラニアみたいに集まってくるこの現象。

そんな時に日本の初任給はここ30年ほとんど変わらないっていうニュースを見て思った。

あぁ、衰退してるんだな日本って。

これまで少子化のニュースとか世代中央値の貯蓄とか見てもそこまでのリアル感はなかったし、コロナで自分の仕事が一時期苦境な場面になったときもそこまでの実感はなかったけど確実に今感じる。

衰退っていうのは少し語弊があるのかもしれない。エレファントカーブって言われるように超富裕層は増えているんだけど、一億総中流って言われた日本の中間所得層はどんどん厳しい生活になっている人がほとんどで、多くの人が貧しくなっていってるってことだと思う。

昔は、武士は食わねど高楊枝とか、恥っていう概念とか、世間に顔向けができないからって歯を食いしばって懸命に生きるみたいなことって美徳とされてきたけど、今はそういう時代じゃないのかもしれない。

世の中全体のオープン化とか、差別廃止の流れ自体は良い面もたくさんあると思う。これまで黙殺されてきたことを社会の工器の場にさらすことで守られるようになる権利もたくさんあるし、制度や仕組みの変革に一役かってることもたくさんあるだろうから。

ただ一方で思うのは断片的な情報や恣意的な数字に踊らされず自分の頭で考えることは大事だと思う。

そう、なんか多くの情報に知性とか理性的な面を感じないのが嫌。

人間ってキレイでも醜いでもなくて、モザイクみたいに混ざってることはわかってるつもりだけどなんか負の面が大きく出てる気がする。最近の情報って。

学歴的にはスマートな人もSNSを使って日本と世界を比べて政府のコロナ対策の批判をたくさんしてる。本来知性的なはずなのに毎日毎日批判だけして、それで終わってどうするだって思う。

どんどん知れば知るほど、嫌な人間ってこんなに多いのか?って変に感性に訴えかけられてる気がして辟易してくる。

体制批判。自分の苦しさの代替を見つける行為。

それってようは、他者への期待が根本なのかなって思う。

国がするべき、してくれるはずだ。

誰かが手を差し伸べるべき、してくれるはずだ。

でもそうなっていない現状。こんな苦境は環境が悪い。制度が悪い。

自分も知らず知らずやってることだけど、他責にしての自己防衛に陥ってる人が多いのかなぁって思う。

それってやっぱり貧しくなってるってことなんだろうなって思う。

そう思うと生きる力っていうか知恵って、「他人や周り、社会に期待せず、自分の信じた道に努力して生きろ」ってことかもしれない。

言われてみれば当たり前でシンプルなことを改めて思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?