![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/35580443/rectangle_large_type_2_7f92a6c12781a86df7eb66a3c462e351.png?width=1200)
「義」 我に美しく生きる
おはようございます。
ひろteamNです。
今日は「義」について考察してみます。
「義」は儒教から
まずは「義」の文字を調べると
儒教の中の五常「仁・義・礼・智・信」
のひとつだとあります。
それぞれに意味があります。
ここでは簡単に一言にすると下記になります。
仁:人を思いやる心
義:正義を貫く心
礼:礼を尽くす心
知:知徳を磨く心
信:人を信じる心
この五常を全うして生きていければ徳のある人になるでしょう。
でもなかなか実際は難しいですよね。
それが人間です。
但し、歴史にこういう教えがあり、それを理解し
実践していく努力は可能だと思います。
「義」とは我に美しくと書く
今回はこの五常の内の
「義」を考察します。
義の意味としては
打算や損得のない人間としての正しい道、すなわち正義を指すもの
とあります。
この「義」については
色々な文献で書されいます。
●孔子が『論語』の中で著した、「義を見てせざるは勇なきなり」(人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がないというものである)
●孟子は「仁は人の心であり、義は人の道である。その人の道を捨てて顧ず、その心を見失って探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ」
●江戸時代後期の経世論家である林子平は、「義」を「道理に従いためらうことなく決断する力」と定義とし、「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つ」決断力を「義」とした。
●江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の活動家である真木和泉は、「義は身体を支える骨のようなもの。骨がなければ首も正しく胴体の上についていることができない。腕も動かなければ足も立たない。これと同じく義がなければ才能があろうと学問があろうと、人は武士たり得ない。義があれば世に立たなくも何ほどのこともない。」とした。
まとめると
正義すなわち人の道を貫いて行動し決断すること
となります。
では正義・人の道とは何でしょうか?
これは「義」の漢字そのものではないでしょうか。
「義」とは「我に美しく」と書きます。
我に美しく生きる
それが正義、人の道であると解釈します。
我に美しく生きるとは
では我に美しく生きるとはどういう生き方か?
自分にとって美しい生き方をすることです。
その基準は人それぞれだとは思いますが、
・嘘をつかない
・自分の気持ちに正直に生きる
・自分、家族、周りの人を思いやる、尊重する。
などなどです。
自分に美しく生きている人は
周りの人も幸せにすることができるのではないでしょうか。
しいては自分の幸せに繋がると思うのです。
最後までご愛読ありがとうございました。
宜しければブログ・Twitterも覗いてみて下さい。
ブログ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?