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「義」 我に美しく生きる

おはようございます。

ひろteamNです。

今日は「義」について考察してみます。

「義」は儒教から

まずは「義」の文字を調べると

儒教の中の五常「仁・義・礼・智・信」

のひとつだとあります。

それぞれに意味があります。

ここでは簡単に一言にすると下記になります。

仁:人を思いやる心
義:正義を貫く心
礼:礼を尽くす心
知:知徳を磨く心
信:人を信じる心

この五常を全うして生きていければ徳のある人になるでしょう。

でもなかなか実際は難しいですよね。

それが人間です。

但し、歴史にこういう教えがあり、それを理解し

実践していく努力は可能だと思います。

「義」とは我に美しくと書く

今回はこの五常の内の

「義」を考察します。

義の意味としては

打算や損得のない人間としての正しい道、すなわち正義を指すもの

とあります。

この「義」については

色々な文献で書されいます。

●孔子が『論語』の中で著した、「義を見てせざるは勇なきなり」(人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がないというものである)
●孟子は「仁は人の心であり、義は人の道である。その人の道を捨てて顧ず、その心を見失って探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ」
●江戸時代後期の経世論家である林子平は、「義」を「道理に従いためらうことなく決断する力」と定義とし、「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つ」決断力を「義」とした。
●江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の活動家である真木和泉は、「義は身体を支える骨のようなもの。骨がなければ首も正しく胴体の上についていることができない。腕も動かなければ足も立たない。これと同じく義がなければ才能があろうと学問があろうと、人は武士たり得ない。義があれば世に立たなくも何ほどのこともない。」とした。

まとめると

正義すなわち人の道を貫いて行動し決断すること

となります。

では正義・人の道とは何でしょうか?

これは「義」の漢字そのものではないでしょうか。

「義」とは「我に美しく」と書きます。

我に美しく生きる

それが正義、人の道であると解釈します。

我に美しく生きるとは

では我に美しく生きるとはどういう生き方か?

自分にとって美しい生き方をすることです。

その基準は人それぞれだとは思いますが、

・嘘をつかない

・自分の気持ちに正直に生きる

・自分、家族、周りの人を思いやる、尊重する。

などなどです。

自分に美しく生きている人は

周りの人も幸せにすることができるのではないでしょうか。

しいては自分の幸せに繋がると思うのです。


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