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【日記】龍に見える桜と、綺麗な日本語

2024年4月12日、所用で関東某エリアを訪れ、散歩をした。
ソメイヨシノもいよいよ散り始めたが、まだ街には桜の気配が残る。
少し雨に降られたが、初々しい新緑とともに春を楽しむ、そんなひとときであった。

さて、とある街中の小さな川べりに、大きな桜の木がある。
そこで地元の方とおぼしきおばあさんと少し話す機会があった。

この付近ではここの桜が一番綺麗だと、彼女は言った。
太い枝の一部が龍の顔に見える、そんな話もしてくれた。

そのおばあさんの日本語の綺麗なこと綺麗なこと。
言葉選び、話し方、そして物腰。

美しい日本語とその語りはこういうものか、と。

そのおばあさんの話し方は、いたってフレンドリーだ。
堅苦しい話し方ではない。

それでも日本語一つひとつが丁寧で、綺麗なのだ。

綺麗な日本語の喋りというのは、何も堅苦しい喋り方を意味するのではない。
フレンドリーな話し方でも綺麗な日本語を使う人はいる。
そんな人との会話はやはり楽しく、また学びがあるものだ。

さて、現代は人と直接接する機会がますます失われる時代だ。
オンラインがさらに普及すれば、面と向かって言葉を話す機会はもっと減る。

綺麗な日本語でフレンドリーにやり取りをする、そんな人間味のある機会もますます減っていくのだろうか。
技術の進歩と言えばそれまでだが、やはり何かを失っていくものなのだろう。

龍に見える桜と相まって、どこかハッとさせられた一日だった。

ちなみにその大きな桜の木は、私も昔からよく知っている。
ある場所から見ると龍の顔に見えることは知らなかったが。

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