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風をみたひと/少年ギター外伝

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風をみたひと/少年ギター外伝_1


得物の手入れをしていたら、メールボーイが来た。

新聞紙にマジックで走り書きの伝言が安全靴の中に入っていた

『ろてしきなうじをみくよきくも』

こどもだましな単純な暗号だが2回の変換が必要なので見つかっても時間が稼げる代物だ、

『ほういもうひろがるたいきせよ』

ガサ入れにあっても何も見つからないようには普段から掃除はしている、これでも綺麗好きな方だ。大家に家賃を払いにゆく、実家に不幸があってひとまず再来月まで家賃を先払いする。いいのよ気にしないで大丈夫だからと大家のばあさんは喜ぶ。部屋に戻って待つ。マドロスザックに製図ケース、バルキーのセーター、トレンチコート、ハンチング、ピースを1缶、2階の誰かがのど自慢を見ているらしいTVの音が聞こえる。今日は何曜日だろう、最後の風から何日過ぎたのか思い出せなくなっている。

廊下に殺した足音がする、

靴ぐらい脱げと思う、ドアの前で止まって一息、小さくノック3回。念のためドアの脇で金棒構えて明るい声で答える。あいてるよ、入んな!
機動戦士の初年兵がドアをそっと開けながら、建築一年のやまべでーす、お迎えにきました。と、入らずに言う、上段の構えを解いて製図ケースに金棒をおさめる。
廊下の流しにかかってる雑巾を指差し、足跡を拭けと指差し、荷物を持ち、ガス、電気の元をおろして部屋の鍵をかける。

アパートの前に軽自動車が停車している、『神田うなぎ弥栄』と書かれたくたびれたスバルサンバーだった。

割烹着を着た若い女が運転していた、静かにアパートのドアを閉めた一年生は助手席に、俺は後部座席に荷物を投げて入った、窮屈な補助席だ、室内はなんだかうなぎのタレとガソリンと石油の匂いが入り混ざっていた。悪い、寒いけど、フロントのダクト開けてくれないか。はい、と運転手の女はうなずくとサイドギアのようなフロントのベンチレーションを押し込む。
ドアを閉めると一年生は少し偉そうに、運転手の女に行けと指示する。小さく頷いてサンバーが走りだす、回転をあげてはつなぎ、あげてはつなぎの、楽しい旅のはじまりらしい。

無口な船頭に乗せられて、世田谷通りから松蔭通りに入る、玉電の駅を乗り越え狭い商店街を北上する。

先輩はこれから中野の先で隠れてもらうそうです、もうすでにローラーされたあとなので。当分安全に隠れられるらしいです。
連絡は僕とこいつがやりますんで顔覚えておいてください。山辺です、こいつは、、
女子高生のバイトのJK、じょし、こうせい、でJKって呼ばれてます。
わかった、よろしく。

サンバーはくねくねと枝道を進み環七を北上する、今度は流れに乗るためにエンジンが唸りをあげている。軽自動車で無理すると警察に止められるから、ゆっくりでいいよと山辺が言う、今度は次々にクラクションを鳴らされ追い越されてゆく、サンバーの宿命だなと思う。

クロ、さわさん。
ん?クロでいいぞ、

クロさん、お金預かってきました、山は封筒を渡す、受け取りにサインをお願いします。とボールペンを手渡す、中にはヨレヨレのお札で9万円入っていた、中から千円を2枚抜いて機動戦士の2人の襟元に差し込む、キャッ!と小さな声をあげてサンバーがぐらっと蛇行する、後続車が危ねえなとクラクションを鳴らした。
悪い悪い、駄賃だ、すんませんと山辺が嬉しそうに笑った。JKが照れ臭そうにすんませんとうなずく。

環七は甲州街道をこえる、有名な宗教団体の巨大な大聖堂を見た、初めてみた。
環七を途中で右折した、そこからは土地勘もなく諦めた。
街頭のまばらな川沿いにはところどころ赤ちょうちんならびそこから住宅地を少し入ったところでサンバーが停車した。

つきました、JKがほっとした声で言う。

ーーーーーー

つっかけの下駄を鳴らして

小柄の女性が山辺とやってきた、暗いまばらな街灯の下、表情もよくわからない。

あ、えと、斎藤さんです、すこしのあいだお世話してくれる方です。黙って頭を下げた、じゃあ、あとはよろしくおねがいします、彼女はうなずくと、歩き出した。

振り返ってこっちですと言って、カッコ、カッコ、カッコ、コケラ、っと軽やかな下駄の音について行った。

黒いニス塗りの共同トイレの下宿館のようなアパートだった、一番奥のトイレに近い部屋が彼女の部屋だった。4畳半に小さなベッドとちゃぶ台のこたつ、まるで、女子大生の下宿に転がり込む体でここで隠れろと言われてもと思ったがどうするすべなく受け入れた。

まんまるのまなざしで三つ指ついて、自己紹介する、はじめましてあなたのおせわをします、まりです、さいとうまりです。まりと呼んでください。

僕は、といいかけると、

クロがくると言われました、それ以上詮索しないようにとも。なのでクロさんですね、よろしくおねがいします。はい、紹介は終わりました。まだ8時過ぎです。お食事しますよね、私も。お口に合うかわからないけど運命だと思ってあきらめてくださいね、

じゃじゃじゃじゃーん!です。

思わず吹き出した、そしてすこし和らいだ。小さな冷蔵庫からビールが現れた、ちょっと奮発しました、といいながら、栓をあける。どうぞおひとつとままごとみたいにビールをありあわせの湯飲みに注ぐ、

ほとんど泡のサントリービール純生。

ホーローのコップで飲む彼女も無理しているのが痛々しい。うまい、泡だらけでも久しぶりの冷えたビールはうれしかった。頭を下げて、どんないきさつかしれませんが、しばらく世話になります、といい、山辺から渡された活動費をそのまま彼女に渡した、僕の読みだとこれで3ヶ月ぐらいです。お願いします。はい、たしかにと言い、小さなコンロに火をつけた。

うまかった、なんだかほっとする食事がうれしかった。

クロさん、と呼びなれない調子で聞かれた。

お風呂どうします?

ここはもちろんこんなとこなので、いつもすぐそこの銭湯に行きます。私は行きたいのですが、クロさんはどうしますか?おれは行かない、と伝えた。じゃあ、ちょっとお風呂行ってきます。

もし、お疲れで先におやすみになるのなら、こたつをずらして窓際に押し入れの布団敷いてくださいね。そう言って出て行った。

(つづく)20220218

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風をみたひと/少年ギター外伝_2 



廊下をする厚手の靴下の音、下駄をつっかけてアパートのドアを閉める、遠ざかる足音。

ダッフルバッグから缶ピースを探り出す、

一本取り出して、トントンと中身をつめて挟んであったブックマッチで火を付ける、

音楽喫茶ありすの喫茶店、

もう半年行ってない、マスターとボヘミアンのありすはどうしているだろうか、狭い部屋を見渡すと灰皿などこの部屋にはない。

念のため部屋の電気を消す、窓を開けて外に向かって煙が逃げてゆくまで体をのりだす。狭い敷地の金網の向こうに川が流れている。遠くにパトカーのサイレンが聞こえる、冬へ向かう冷たい風が吐き出すピースの煙を絡めとってゆく。

おれは何をしているんだろう、

ギリギリまでピースを吸い込み吸いかけを指で弾いた、小さな火花と共に漆黒の川へ風に流され落ちてゆく。女が帰ってきてから寝床を作ることを考えると今のうちに寝てしまった方が良さそうだと思った窓を閉め窓の鍵をねじ込み。カーテンを閉める。こたつの上の食事の後を整理し窓際に布団を敷けるように移動する。

小さなケースの書庫に目をやる数冊の楽譜、楽典、ノート、見慣れない種類の教科書がきれいに入っていた。

布団を敷き終え蛍光灯の豆電球にする、Gパンにセーターのそのままで布団にもぐり込む、長い間使われていない布団の重さと冷たさ人気のない黴びの匂い、明日が見えないくらしのはじまり、寝るしかなかった、今は。

もちろん眠りについたが、女が銭湯から帰ってきたのは覚えている。部屋の鍵を開けて、あら、と呟き、ごめんなさいといい、部屋の電気をつけるところまで覚えている。なんの曲なのかご機嫌なのかとぎれとぎれにハミングしている、

たしかショパンの幻想即興曲だったような、

柔らかい響きの終わらないハミングが子守唄のようにめぐり、曲名を探しに記憶を辿ってゆくうちに落ちた。夢の中なのか小さなベッドの上からおれの寝顔をずーっと見つめている女に気づいた、とても悲しい表情でじっと寝顔を見られている夢だった、目を開けようとしても身動きがとれないまま夢の中で寝落ちした。

(つづく)20220219

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風をみたひと/少年ギター外伝_3

サイトウマリ
彼女の名前、音楽大学の声楽科。

見てくださいこの手と小さくてふくよかな手を目の前に広げられて、この小さな手でピアノ専攻をあきらめたのですという。ほぼ毎日、朝から出席し開いた時間は練習室でピアノを弾き、

夜は青山のピアノバーとジャズクラブで弾き語りのアルバイトをして学費と生活費を稼いでいるのだが、それでは足りなくて、隠れ家の下宿を始めることにしたのだそうだ。

学生運動と程遠い大学の学生に声をかける

『援護会』と呼ばれる流通組織の斡旋だそうだ。

木造モルタル、トイレ共同の学生寮のようなこのアパートにはもちろんピアノなど置けない、

そのためにこれがあるのと見せてくれたのは

ピアノの紙鍵盤。

これがラと鍵盤を弾きながらハミングする。それが正しい音なのかは私にはわからなかった。夜中に目を覚ますと机に広げた紙のピアノを弾いているサイトウマリが必ずいた。3日に一度の割合で銭湯にゆく、客がまばらな9時から10時の間にした。もちろんサイトウマリはアルバイトでいない。11時ごろに帰ってくる、私はと言えば、連絡あるまで待機である、まるで監獄のようにも思えるが、悠々自適な風来坊とも言える。要は気の持ちようなのだが。午前の11時前を狙って、実家に公衆電話から電話をする、母親が出る、その時は無言で切る。相変わらず元気な声で安心はする。何度かして、

お手伝いのタマミが出た。

家族に内緒で私の部屋から早朝、屋敷のガレージの前に私の部屋からギターケースごとギターとトレンチコートを粗大ゴミのように出して欲しいと伝える。明朝6時に、かしこまりましたおぼっちゃまと秘密めいた声色でタマミは電話を切った。翌朝、4時にアパートを出て1時間半かけて実家へ向かう、遠くで眺めているとしばらくして朝靄の中勝手口が静かに開き寝巻き姿できょろきょろしながら近所を伺いながらギターケースとゴミのように詰め込んだトレンチコートとノートの入った紙袋を持ってガレージのシャッターの前に置いて戻ってゆくタマミが見えた。近いてゆくと気配に気づいて振り返る、口の前に人差し指を立ててニコニコして握った千円札をタマミに手渡す。滅相もないと返そうとするがその手を押し戻し、また頼むね。と笑顔で返すとペコっとお辞儀をして私を見送った。

ギブソンJ−200エバリーブラザースモデル黒、メキシコオリンピックと母親の医学会議に同行した去年の戦利品、ロサンゼルスの中古楽器屋で手に入れた1950年代のモデル。

ずっしりと頑丈な肉厚のギターケースを持って1時間半の道のり、新宿へ向かう尾根道を歩く。

(つづく)20220305


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風をみたひと/少年ギター外伝_4

ジョーン・バエズが好きなの、
私のギターケースを嬉しそうに目を輝かせて見つめている。


きれいなクラシックの発声で

『花はどこへ行った』を軽やかに歌う。

『Sagt Mir Wo Die Blumen Sind』ドイツ語で、

どこで、覚えたんだ?

学校よ、

黒いギターをケースから取り出す、音叉を持ってチューニングしようとする手をマリの小さな柔らかな手が制す、

小さなハミングがマリの口元から発せられる『A(アー)』の音。5弦を合わせる。

4弦は?『D(デー)』のハミングに合わせてチューニングしてゆく、そんな調子で6本の弦をマリのハミングで合わせた。コードを押さえて弾いてみるD、E、C、Am、Am7、A、Cmaj7、C6、Em7、、、美しいハーモニーがJ-200のサウンドホールから溢れ出る。すごーい!うれしそうにマリが笑う、

G、C、G、D、G、G、C、G、、

単純な3コードをカーターピッキングで爪弾く、

ボブ・ディランね、と言い歌い出す。

『Blowing in the wind』風に吹かれてを、マリは歌う、

押さえた声で、

日曜日の朝の10時は、まだギターを弾いて歌を歌うには早すぎる。

ひとしきり歌い終わると笑った、とても眩しい笑顔で。両手を伸ばしてギターを私からもぎ取るように抱えた。 

ラ、シ、ド、レ、ミ、ファ、5弦から始まって、1人でうなずきながら、コードを組み立ててゆく。

これが『C(ツェー)』、

ブロンズのミディアムゲージはマリの握力ではさすがに澄んだ音を出すには難しい

が、10分ほどで大まかなコードを作って覚えたらしい。

ミュートされたような音色ではあるが彼女はジョーン・バエズを歌い始めた。

『Donna donna』

クラシックの発声でところどころファルセットの混じったマリの歌声を聞き惚れた、

不思議な魅力を持つ歌声、それがマリだった。


(つづく)20220307




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風をみたひと/少年ギター外伝_5


今夜はお風呂行きますか?


小さな鍋をふたりで食べていた。ワンカップの日本酒を2人で飲んでいた。
めずらしく土曜日の夜のピアノバーのバイトが休みだといって、特別に鍋になった。
ほろ酔いで頬を赤くして、何か思い出している、

『ひとりじゃないって、すてき、です、、ね、、』

素っ頓狂なスタッカートのメロディにその言葉をのせて、何度も繰り返している。
なんですか、それは?

ううん、いま、浮かんだ歌詞と音符を歌ったの、

あはは、へんな歌ね、といって恥ずかしそうに両手で顔を隠して、もっと真っ赤になった。

洗面器ひとつ、石鹸箱ひとつ、タオルに着替えをくるみ、毛糸の靴下に下駄、綿入れ半纏にバルキーのセーター、太い毛糸で編まれたマフラーで真知子巻きにして、寒い寒い死んでしまいそうと体を縮こませて、かっこかっこと下駄を鳴らして銭湯にゆく。

男湯、女湯の下駄箱の前で、あ、石鹸と石鹸箱から小さくなったせっけんのかけらを半分に折って手渡してくれる。

あがるときおーいって、呼んでくださいね。はーいって返事しますから。

わかりました、呼びます。そういって分かれる。番台は今日もおかみさんだった。女湯のマリと男湯の私の顔を見遣って、おや?っという顔をしていた。

意を決して発声した、出るぞー!の声に、オクターブ5度上のはーい!の声を洗い場に響かせて、なんだか不思議な面持ちで上がり湯から出た。

帰りの松の湯の番台は前髪がくりっとした旦那だった。

まいど、の声を聞き外へ出ると。

きんとした冬の夜空が広がっている、

向かいの塀の前におでんの屋台がまだいた。

アセチレンランプが煌々と照らしている、アセチレンの匂い、

まだあるかな?ありますよ!どうですか、何だよほとんど売り切れじゃないか、

あはは、今日はね、少年野球の子供たちが集まっちゃってね。

酒コップで、それとだいこん、さつま揚げ、ボール、ちくわ、昆布ね、 

注文していると女湯の引き戸ががらがらとあいて、湯気を立ててマリが下駄をつっかけてやってきた、わあ、いい香り!

どう、ちょっと贅沢だけど。

からだが冷え切る前に日本酒と味の染みた鍋底のおでん。

寒い寒いといいながら、

カシオペアから北極星を探して部屋にたどり着く。

部屋はまだ鍋の香りで満ちている。

洗わなきゃね、明日でいっか!片付けるよりも大事なことがあった。

酔った2人は笑いながら恋をした、

(つづく)20220308

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風をみたひと/少年ギター外伝_6


歌声が聞こえた、その後を追いかけていた。雪原の斜面を、
目が覚めた、どこだここは?思いの外、体が沈み込むような柔らかなベッドにいる。

見慣れない中途半端な高さに戸惑いながら視界が開ける、部屋だ。ただし、ベッドだった、マリの。こたつの上に食パン2枚分のフレンチトーストが丁寧にサランラップで皿ごと包まれ、

『おはようございます、めしあがれ、ジャーマントーストです。今日はオーディションがあって遅くなります』

と丸っこい小さな文字で置き手紙があった、はじめての。

屋台の2級酒でやられた、調子に乗って頭が重い。窓を少し開け隙間から煙を吐き出すようにしてピースを吸い込む、二日酔いには甘い香りが逆効果のようで気持ち悪くなって消した。

起床9時半、その後昼までの間、仕様がなく過ごした。記憶をたどるのはやめようとした、あざやかによみがえる記憶の置き場をどうしようかと思いあぐねるのが裏腹だった、思いと。

オーディション?そんな話をしていた、

公共放送局の新番組のための、歌、踊り、演技があるの、どうしよう、自信ないなあ、

ってそんな話をしていた。

おでんと安い日本酒で朦朧となった俺の腕を絡めて、体寄せて、せっけんなくなったのでカタカタ言わなくなったー!って笑いながら部屋に戻る夜の中で。

せっけん買わなくちゃね、といってまた笑った。

おかしかった、思い出してクスッと笑った。

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ハイ! じゃあその場で男女でペアを作って!

迷わずフィーリングで手をつないで!

その頃、マリは公共放送局の体育館のような練習室の100人のなかで初めてのオーディションでうまく動けずにいた。

101人の中。躊躇していると1人あぶれて目立ってしまう。

シングアウト、みんなで声を合わせて歌い、歌い上げること。

課題曲は覚えてきた。『銀色の道をゆけ』『名のない花は』の2曲、

どちらもイスラエルや東欧の民謡に日本語の歌詞をつけた作者不詳のフォークソング。

ディレクターのカウントでピアノの伴奏に合わせて全員で歌う。

ワンコーラスするとピアノの伴奏がなくなりアカペラになる、もっとリズムを体で表せ、笑顔で歌え、とディレクターがタクトを振りながら身振りで言う。タクト指すとそのペアのデュエット、それ以外はブレイク、そして再び全員で、ピアノが入る。音程に乱れはない。ふたたび無伴奏の合唱へ、

〜なにも、ない、きみのくれた、すばらしいものに、かんしゃのきもちをあらわすだけのものを、わたしには、なすすべもない、銀色の道がしめすむこうには、きっと、すばらしいあしたがまっている、わたしはゆく、きみもいつかゆけ、銀色の道をゆけ〜

動きながら歌う、身振りをつけながら歌う、息が上がる、リズムをキープしながら、ブレス、

もうどのくらい歌っているんだろう、ぼんやり歌いながら考える。

女子がひとり脱力して倒れるペアの男が抱き支えかろうじて床に寝かせる。

貧血か過呼吸か、タクトは止まらない。

最後にマリの前にタクトが来た、先の男を指差しペアに、タクトが指す。

男の張りのある明るいビブラートのない声に、ファルセット気味のマリの歌が絡みつくように踊る。男のブレスのすきまをカバーして譜面より柔らかく長めに余韻を残しかぶせる。

ディレクターの目がちょっと笑ったように見えた。

ピアノが入る、サビを歌い上げる、繰り返す。エンディングに入るピアノ、大団円のエンディングを目指し最後の音をひっぱるタクト、そして、エンディング。

汗をかき、息を荒らげ、焦点の合わない目をして次の指示を待つ100人の若者たち。

15分休憩、ディレクターの声で、脱力して座り込む。

倒れた女性に集まり声をかける仲間、

心配になってその輪にマリは近づいていった。


(つづく)20220311

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風をみたひと/少年ギター外伝_7


どうしようか、

この隠れ家に来て2週間、初めてとはいえ、朝食を作っておかれた、回転の遅い思考を後悔しながら、フレンチトーストと思ったジャーマントーストを頬張りながら思う。

だがしかし、と考える。だがしかし、嘘はない。流れに任せたことを後悔しないことにした。ギターケースを開ける、

黒いJ200を取り出し、チューニングをたしかめ、Am7-5 を爪弾く。

その態度の甘さと優柔不断さに自己嫌悪した。

玄関の扉が閉まる音がした、人の気配もなく突然に、息をころして耳をすます、部屋の扉を少し開け様子を伺う。誰もいない、玄関、自分の安全靴の中に通信紙があった。

暗号を整えると『0220キョウト、』とある。

句読点があるのは指示を待ての意味だ、京都までだいたい12時間、今日が2月8日あと10日でここを出払って京都で『風』を吹かせるという話らしい。

鉄パイプで風を起こすときの記憶が蘇る。できれば消し去りたい記憶。

夕食を作ろうなどと身の程もない思いに負けてしまったのが問題だった、アパートのドアを出た時、

目の前を歩いてゆく派手なチェックのシャツにハンチングをかぶった若い男の鋭い視線が気に入らなかった。

連絡係が連れてきたのだろう、アジトはバレたのだ、と思った。

であれば仕方がない、もしもだが、まずは昼行灯を装って残りの数日を過ごすのが筋だろう、大石内蔵助になるしかなかろう。

まずは今宵の夕食を作りましょうかな、銭湯の先に共栄マーケットがある10メートルぐらいの小さなアーケードに食料品店が集まっている、買い物するのは初めてだが、夜更の銭湯で見かけた親父がいたりする。

肉屋で豚肉並肉と細切れを見比べていたら、

『おっ、兄さんマリちゃんはどうした?今日はオーディションだろ、受かったかねえ、かわいい妹のために何かこさえなくちゃって来たんだろう?おまけするよ』と威勢の良い調子で笑ってる。

秘密も何もない、この町は。

そして、おれはマリの兄になっている、

設定だ。

『そうなんです、さすがよくご存知ですね、きっと今頃、頑張っているはずですよねー、細切り100ください』『あいよ、ちょっとおまけな』『ども』そんなふうに肉屋の親父から肉を多めに買った。

どこへいっても田舎から上京して妹を頼って出て来た兄ということになっていた。八百屋でもおばちゃんに妹のことを褒められた、

何を買っているのかが騒がしさで、まるで気づかなかった。

さすがに9時には帰るだろうと鷹を括って飯を炊き、味噌汁を作り、唯一の主菜、肉野菜炒めを作った。が、帰るすべなし。

タバコを吸うので窓をあけ寒い夜空に吐き出す。隙間から見える前の道に銀色の車が止まっている、

新しいスカイラインのGTのように見える。

ドアが閉まる音がして、静かに銀色の車は走り去った。アパートの玄関が閉まった。マリが帰って来たようだった。

ただいま、といって疲れた表情を見せたが、こたつの上の夕食を見て笑顔を作った。

そんな彼女が急に愛おしくなった。

(つづく)20220314


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風をみたひと/少年ギター外伝_8


ご飯は、

オーディションの後、プロデューサーに声かけられて、

六本木のニコラスでピザパイ食べて来ました。

ワインも少し、

その後、オーディションのとんでもなく破天荒な話を聞かされ、さて、では、

肉野菜炒め温め直して夕食にありつくかなと、

フライパンに戻し炒め直しを始める。

ベッドとこたつの間に渡した細引きに跨がせたシーツを引きベッドの上で部屋着に着替えるマリ。

炒め直して熱々の肉野菜炒めを皿に移そうとしたその時、

ラジオも含め部屋の電気が消える、コンロのガスの火が青い。

火を消す。

玄関が開いた、廊下を忍び歩くゴム底の靴の音が軋む。

気配が変わる、ベッドの下へ隠れるようにマリに伝える。

すりガラスの窓から外の明かりは変わらない、

配電盤のヒューズを開けられたようだ。

扉には小さな鍵が下ろしてある。

自分の得物はベッドの脇の荷物の中だ。

持っているものはフライパンの肉野菜炒め、

すりガラスの窓の川向こうの街灯を遮る影が動いた。

迷わず窓を開けるゲバ棒を振り上げたヘルメットの若者がふたり、

虚を突かれて一瞬動きが止まった、悪いな、と熱々の肉野菜炒めをぶっかけた、

百八十度のうまそうな夕食が叫び声に変わった。

ドアノブがひどい音を立てている、

コラ!クソ!とか天誅だとか騒いでいる輩がいる、

ドアを引くタイミングに鍵が外れてドアがひらく、

すっ転びかけた若者の顔にフライパンを突き出す鼻が折れた。

返す二の太刀で角材の突きをかわし小手を打ち返し玄関へ押し戻す。

振り返ると廊下の窓を開けて鼻を押さえながら逃げてゆく若者、

度胸試しの新人の新撰組だろう、

この狭いアパートで3尺の角材はなかろう。

部屋に戻る、まだそこにいて。と伝えると、はいと答えた。

ベッドの脇の荷物から製図ケースを取り出し、

安全靴の中を確認し靴紐を締め上げる。

そっと玄関を出ると春先の花冷えの澄んだ空気だ。

耳を澄ます、

野菜炒めが落ちている、大通りではなく住宅地の奥の方へ、

一つ先の路地の向こうの空き地に停まっているエンジンのかかった軽トラ、

荷台に2人運転席に2人。

ひいひいいいながら呻いている荷台、走り出そうとギアチェンジの隙、

フロントガラスを叩き割った、

サイドのドアもボディも、

2度と来るな。高飛びするんでな、あばよ。

それだけ言った。

血だらけの運転手がすみませんすみませんを繰り返しながら車を出した、

塀に擦り、電信柱に擦り、

ローのまま回転を上げたまま動揺して去ってゆく。

部屋に戻る、

ベッドの下で言われたとおりにうずくまってマリは呆然としていた。

分電盤を戻す、一階の電気が戻る、廊下も部屋もひどい有様だった。

製図ケースを片付け、廊下の掃除を始める。

すみません、疲れたので寝ます。心の抜けた表情でそれだけ行って、シーツの向こうへ消えていった。

散々な1日だった2人とも。申し訳なかったが取り付く島がなかった。

窓ガラスが無事だったのが幸いだった。


(つづく)20220315


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風をみたひと/少年ギター外伝_9

クロさんはその先のことは、口を閉ざした。
いいだろ、このぐらいで、そう呟いて車椅子をゆらゆら動かしていた。

『また会う日まで』と『なのにあなたは京都にゆくの』

の歌詞のままのやりとりで想像できると思う、そしてそれは日本中のどこでもあった、ごく当たり前のありふれた話さ。とうそぶいた、

彼女はその後、どうしたのですかねえ。と聞いたが、

遠くを見たまま車椅子をゆらゆらさせていた。

オーディションには受かったんじゃないかな、

歌謡曲歌ってたもんな、TVで。

介護士の若い人がやって来て、夕食の時間なので戻りましょうねとクロさんを押していく、面会時間が終わる、クロさん、また来週来ます、欲しいものありますか?と聞いた。

もう一度、マリに会って、聞きたいな、歌を。

そう言って後ろ手に手をふる。

『さらば友よ』の男たちみたいにキザな仕草だった、

くだらない1968年にこだわるのはおしまいにしようと思った。

風は何かを変えるためにみんなが望む力の象徴だとクロさんは言っていた。

どうなんだろう?


(つづく)20220316

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風をみたひと/少年ギター外伝_10

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『忘れていた朝』を見つけたんだ。
Cmaj7 と C6 の朝靄の中、
心のないセリフのように話し始める。
俺の中には風はいなかった、
まあ翼の折れたエンジェルみたいなもんだ。
1968年の男の比喩は壊れたジュークボックスだ。
いや、この気狂いは伝染するミームのようだ。
『死のテント』で舞台装置や背景を描いていたシュウ、
あいつがマリを見つけてくれたんだ。
中野駅前の空き地で『暗黒のテント』の”黒孔雀の埋葬”を見たっけ、
シュウの手引きで柱の隙間にマリがやって来たよ、
髪をウルフカットにしてあの頃よりげっそり痩せて、
化粧が暑くてパリコレのモデルみたいだった。
黒孔雀の埋葬?アングラの極みさ、痛快で、必ず来なきゃよかったって思わせる、芝居だった。
最高だよ!なんたって柳十塀は荒巻鮭と一緒に吊るされて塩まみれの登場で、探偵の追跡を誤魔化してばっかりだしな。白滝が飛んできて客席は大爆笑さ。さすがだね柳十塀は、
夏だったんだな、シュウが貸してくれた部屋の鍵、建ったったばかりのブロードウエイの部屋の鍵だったんだ。マリの手を曳いて5階の部屋までたどり着くのに1時間ぐらい迷った。夜中なのでお湯は出ないし、笑えるけど嬉しかった。屋上のプールで2人だけでこっそり泳いだ。
部屋にあったジョニーウォーカーを2人で飲んだ、チーズぐらいしか入ってない冷蔵庫。誰の部屋だか知らないけど、めんどくさそうな本や書類が積んであったな、落語のカセットテープもあったっけ。マリは歌謡曲の歌手でデビューすると言ってた。あれからギターで弾き語りもできるようになったの、と笑った。相変わらずの笑顔が見えた。
窓辺にたたずむマリは眼下の街頭のあかりに照らし出されている、何よりも鎖骨が浮き出たコンポジションが美しさと裏腹に遠い人を思わせた。
ふわあと明るく街が照らす、燃える揺らめく光に照らされたマリがいる。
そして、眼下ではテントが燃えていた、誰かがカクテルを投げて点火したらしい。小競り合いの怒号からサイレンを鳴らす消防車が4台集合し始めた。
朝まではまだ少しだけ時間があった。

(つづく)20220319

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風をみたひと/少年ギター外伝_11

『死のテント』が燃え落ちるまで10分とかからなかった、その間マリと俺は一部始終を見下ろしていた。舞台装置が燃え切る前に消防車の放水が始まった。深夜だというのに見物人がどんどん増えている、マリの横顔が笑っていた。高いところから見下ろしているだけなのに、偉そうに見えるのがおかしいの。

カクテルを投げる、何かに当たって割れる、一瞬の間があって爆発するように燃え上がる。

カクテルを投げる、何かに当たって割れる、一瞬の間があって爆発するように燃え上がる。

そのフレーズを繰り返すたびにマリは窓辺で笑い転げた、
いっしょにくらしていた頃のマリとは別人に見えた、冷蔵庫に未開封のワインがあった、グラスを見つけたが、オープナーを探した、なんのことはない、くるみ割り人形のようなオープナーが本棚に飾ってあった、窓辺のマリにグラスを渡しワインを注ぐピンクの明かりが、ワイングラスをなぞっている。

あなたが微笑みを少し分けてくれて、わたしが一粒の涙を返したら、

吟遊詩人のようにはなしはじめる言葉を遮るように、唇で蓋をする。
その瞬間、ふたりは炎に包まれる。知らない誰かの知らない部屋で。

何も聞かずに、何も知らずに、何も笑いあえずに、何も伝えずにマリは消えた。

西向きの窓には朝日を受けて形をはっきりと表す街並みが広がっている、焚き火の跡のようなテントの燃えかす、建設予定地には大きな三角のホテルとホールの複合施設ができるらしい。

テーブルの上に鍵を置いて部屋を出る、原稿用紙の新しい塊が目に付く、

(つづく)20220407

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