「強みは相対的なもの」という重要な概念について
前回、『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則――『ジャイアントキリング』の流儀』(以下「ジャイキリ本」と書きます)を読んで「チームづくりはパズルに似ている」というのがしっくり来たという話を書いた。
そこでは「凸凹力(でこぼこりょく)」というものをピックアップしたのだが、「ジャイキリ本」では凸凹力に関連することとして「強みは相対的である」という点に言及されていて、これまた重要な概念だと思ったので、今回はそれを軸にして書いていきたい。
スペインで日本人選手が左サイドバックとして重宝される理由
まず「ジャイキリ本」に記載されていた内容を引用すると
ということで、日本で「右足が得意」だからといって、スペインでは強みにならない。
何が強みになるかどうかは、まわりとの比較になるのだと「ジャイキリ本」の著者の仲山さんは述べている。
元日本代表・岡崎選手は鈍足だったのにゴールを量産できた
ここで最近読んだ別の本が、まさに「強みは相対的なもの」を意識させる内容だったので、そちらを紹介したい。
サッカー元日本代表の岡崎慎司選手が書いた『鈍足バンザイ! 僕は足が遅かったからこそ、今がある。』という本だ。
タイトルが示す通り、岡崎選手はサッカー選手としては足が遅い部類に入るのだそうで、高校を卒業して入った清水エスパルスでは女子陸上の選手に坂道ダッシュで歯が立たず、ドイツのシュツットガルトでも短距離走タイム測定で、全体で2番目に遅いタイムだったという。
にもかかわらず、現時点において日本代表得点ランキングで歴代3位という数字も残している。
岡崎選手は著書のなかで、以下のように述べている。
「裏をとる」とは、シュートを決めるにあたり、優位な場所を確保するということだ。
足の速さでほかの選手をぶっちぎることができなくとも、ほかの選手よりも優位な場所を確保する能力に磨きをかけ、ゴールを量産してきたとすると、まさに相対的な強みを活かしているのだと思う。
フツーの社会人にも「強みは相対的」という概念は大事そう
さて、スポーツ選手ではないフツーの社会人も「強みは相対的」ということは(「ジャイキリ本」にも紹介されているわけだし)認識すると良さそうだ。
例えば「語学が得意なので、語学を活かして商社で国際的な取引をしたい」みたいな話があるとする。
しかし、国際的な取引をしている会社には当然語学が堪能な人が集まっている。同じ強みを持った人のなかでは、「得意な語学」という強みが、強みでなくなり得る。
よって、チームの中に身を置いたときに、岡崎選手の「足の速さではなく、裏をとる」みたいに「語学以外で貢献できることは何か?」を常に探していくと良いのだと思う。
逆に、「語学が得意な人は少ないが、語学が得意な人が求められる業界」(例えば、インバウンドが見込まれるものの、高齢化が進み語学の得意な人が少ない、地方の観光地など)に飛び込めば、得意なものが「相対的な強み」になったりするから、そういう視点も重要。
それと、「得意なもの」がテクノロジーによって(語学であればグーグル翻訳とか)「相対的な強み」でなくなってしまうパターンもあるので、テクノロジーも踏まえて何を強みにするかを考えることも重要だと思う。
余談:メディアの価値も相対的
今回取り上げた『鈍足バンザイ!』、自分が読んだ文庫版が2018年度発刊で、元々の単行本は2014年発刊らしい。
「ジャイキリ本」も発刊から10年近く経過しているが、今回読んだのも10年近く前の内容、ということだ。
でも、こういった内容が自分にとって印象に残るのは、いま自分がチームの構成員の凸凹に関心を持ってからなのだと思う。
本などのメディアは、そこに書かれていること自体は変化しないという意味では不変なもの。
しかし、そこから何を読み取るかは、読み手の環境によって異なる。
その点ではメディアの価値も相対的なものなのだろう。
ところで、たまたま今日のテレ東の番組で岡崎選手の特集があった。
37歳の今もなお、ヨーロッパに身を置き、活躍することで日本代表に選ばれることを考えているという。
自分と近い世代の選手ということで、これからも注目したい。
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