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LGBTQが就職活動する困難さ

私は今、とある職場でアルバイトをしている。「アルバイトなんだから、嫌になったらすぐに辞めて別の職場を探せばいいじゃん」という声も聞こえてきそうだが、この職場を離れるのはかなりの不安がある。

昨年の3月、就職先も決まらないまま学校を卒業した私は数ヶ月間のニート生活に入ることになった。学生時代のアルバイト経験といえば、かえって履歴書に書かない方が突っ込まれたり、笑われたりしないのではないかと思うほど短期(三日間……。)のみで就労経験が全く無い私は「会社の面接!」というだけでかなり怯えていた。

「授業が終わった後、何もしてないの?今まで何してた?」
ハッキリと、そう言われた訳ではなかったが、面接官の心の内側が聞こえてくるような時間だった。少人数ではあるが、集団面接で面接官の興味がだんだんと失せていくのがはっきりと分かった。私への質問は徐々に少なくなり、面接官の書く手は止まった。そして、隣の応募者の方へ書く手が移っていく。面接が終わると「はいはい、ありがとね」といった感じでサッサと帰されてしまった。

結果は当然不採用。単に会社が求めている人材では無かったというだけの話なのだが、これを何十回と繰り返す心の余裕は、もはや残っていなかった。自分のセクシャリティを後々理解してもらえそうな企業を一から探し、履歴書を書いて面接で話すことを考えて……。それだけでも心がぐったりとしてしまう。最初からセクシャリティを公表するか、しないか。セクシャリティの問題が採用不採用に関わるかもしれない。でも、最初から受け入れてもらえない企業なら、不採用になった方がいい。でも、自分に正直に生きていたら、いつまで経っても就職できないかもしれない……。そうして、誰にも打ち明けられない悩みに押し潰され、ベットから動けなくなった。身体が重い。出口が見つからない。それでも、理解を得られそうな会社は、そう簡単には見つからないのだ。「お前のような人間は要らない!要らない!」社会から、そんな風に言われているような気がした。

そして、正社員にこだわるのをやめた。アルバイトでいい。アルバイトからはじめよう。そう思い立って、現在の職場に採用された。無職である期間を早く抜け出すためにセクシャリティのことは言わなかった。言えなかった。とにかく今すぐに働かなければ生きていることさえ、社会から否定される恐怖があった。社会の圧力に限界だった。「役立たずのお前が、飯を食ってもいいのか!」誰にも言われていない言葉が、どこからか聞こえていた……。

採用された職場では、幸いにも宗教に関しては打ち明け、理解を得ることができた。ノンバイナリーでクリスチャンである私は、日本社会の中でダブルマイノリティを生きなければならない。その一つであるクリスチャンであることの理解を得られる職場が見つかったのはとても幸いなことだ。体力的にも精神的にも仕事の辛さを感じ、先々のことを考えては人生に絶望する中でも神の導きを微かに感じている。だから、この職場を離れたくは無いのだ。神が私をこの職場に導き、ここに置いてくださったのだから、ここで働くことに何かしらの意味があるのではないかと考えている。神と出会うには出来事が必要なのだ。そして、神はこの職場を舞台に選んだ。就労経験が0でマイペースな私は、忙しい時には叱られることも当然あるが、失敗を許してもらえる環境だったことも神の恵みだ。けれども、カミングアウトすることで職場の人間関係に何かしら影響が無いかと心配してしまうのも事実だ。なんだか、当分の間は打ち明ける勇気が無いのかもしれない……。夜な夜なパソコンをカタカタさせて、こんな記事を書いている。さぁ、早く寝よう。明日も仕事だ。

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