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携帯電話

高校生くらいからずっと、SNSが苦手だ。
SNSを使うと、誰かと繋がっているはずなのに果てしない程の孤独を感じてしまうから。
この孤独感の正体にずっとモヤモヤしていた。
投稿をしたらいいねがもらえるし、調子が良ければコメントだってくる。なのに全く満たされない。
僕は「これは自分の承認欲求が過剰すぎるのかもしれない」とずっと悩んでいた。

ついこの間本屋に行って店内をふらっとしていた時。
角田光代さん著作の「しあわせのねだん」と言う本が目に止まりお家の本棚に仲間入りした。


角田さんが購入したものについての値段とエピソードを書いたエッセイ。

何に惹かれたのかわからないまま、読んでいくと「携帯電話 26000円」と言う話に心打たれた。


角田さんは携帯電話があまり好きじゃなかったが、時代の流れとともに購入することにしたという。(この本は2005年なのでおそらくガラケー)
そしてお迎えした携帯電話の初期設定をしていると、楽しくなってしまって、いつも11時に寝る角田さんが3時までやっていたと言う。

角田さんは携帯電話の初期設定を

「携帯電話はがらんどうの部屋を思わせる。
無個性な、窓のない、人の気配のないがらんどうの部屋。
その何もなさに私たちは怖気付いて、自分らしい家具を選び、雑貨を選び、居心地をよくまとめ、そうして扉をパタンと閉める。」


と表現していた。凄く腑に落ちる表現である。

角田さんは、携帯電話を暇じゃないと思わせてくれるピカイチの小道具だと言っていた。

そもそも、人と繋がる なんて言葉がごく普通に使われるようになったのも、携帯が普及してからだと。

携帯電話は、私たちを実は小さな部屋に1人  きりで閉じ込める。
誰ともつながり得ない場所に
きっとこの先私たちは暇ではないともっと強く錯覚させる何かは登場し続けるだろう

なるほど。僕の押しつぶされそうになる孤独感はこれだったのかもしれない。
SNSは僕を小さな部屋に閉じ込めた。
わざわざ会いに行ったりしなくても、画面上で会話が成立するからだ。

僕はこの見えもしない電波と言う糸で、大勢の「友人」なのか「知り合い」なのか曖昧な人たちと繋がっているのだ。そしてその糸に縋り付くように生きているのだと。

携帯電話を持っていない小中学生の時は、自転車を走らせて友達に会いに行っていた。
その時「友達」と呼んでいた人たちは確実に「友達」だった。
見えない絆のようなものは、電波なんかよりも遥かに太かった。

そして角田さんの携帯電話と全く似たようなことを、radwimpsが歌っていたのだ。
小説と音楽が好きな友人が教えてくれた。

こんなものが無ければ 今日も僕は一人だと
思い知らされることもなく 
生きてけたんだろう

だけどこれがあるから 
今日もどこかの誰かの
ポッケの中に僕の居場所が あるんだろう

僕らはこの便利な携帯電話のあまりにも頼りない細い電波に救われているのか、傷つけられているのか。
やはり大切な人には会いに行こう。そう思った。

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