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【まいぶっく35】ふっくらとやさしく~よるの美容院

目の前で、友達が車にはねられた。

そんな衝撃的なできごとがきっかけで、小6のまゆ子は声が出なくなった。


注目したのは、事故を目撃したとたん、声が出なくなったのではないところ。
事故後のクラスメイトとの会話、母親の言葉などから、少しずつ出にくくなっていき、あるきっかけで全く声は出なくなる。

子どもの頃、友達と砂場でよくやった「山くずし」を思い出した。
砂で大きな山をつくり、その真ん中に一本の棒をたてる。順番にその山の砂をとっていき、棒を倒した人が負け。
両手でがばっととる子、片手で すっと ちょっとだけとる子。
だんだん棒の周りの砂は少なくなる。それでも棒はまだ立っている。順番に砂をとり続ける。そして、とうとう棒は倒れてしまう。

ちょっとしたことが、重なって、重なって、突然・・・というのは、実生活にもよくあることじゃないだろうか。

声が出なくなるまでの まゆ子の気持ちのうつりかわりが、とてもていねいにえがかれているお話だ。


声が出なくなったまゆ子を なんとかしようとする母親の姿が 痛々しい。
自分の言葉が、さらにまゆ子を追い詰めているのにも気づけないほど、母親も追い詰められている。


親から離れて、まゆ子が預けられたのは、親戚のナオコ先生のところ。長年、美容院を経営している ひとり暮らしの女性だ。


ナオコ先生との暮らしは、実に 基本的なものだった。

規則正しい生活。
しっかりした食事。
美容院の掃除、買い物など まゆ子にできる仕事をする。

それに加え、美容院の定休日前日、閉店後、ナオコ先生は、まゆ子にシャンプーをする。特別な「よるの美容院」だ。

ナオコ先生の指先は それはやわらかく、けれど ほどよい力強さで もみほぐす。固くちぢこまったまゆ子の頭皮は、そのたび、ふっくらとやさしく ほどかれていった。

子どもを預かるのは、それ自体が大変なこと、ましてや、心に傷をかかえた子を預かるのは、どう接したらいいのか、迷うことばかりだと思う。

でも、ナオコ先生は、とても自然にまゆ子をうけ入れ、よりそっている。無理に話を聞き出したり 問い詰めたりもしない。でも、大事な時には、ちゃんとまゆ子の心に届く言葉を発している。
なかなか こんな大人になるのは、難しい。


後半で、まゆ子の声が出なくなった ほんとうの理由が明らかになる。

これは、つらいよ。
小6ならなおさら、あまりにも大きなこと。
そして、それをだれにも話せないことで ますます追い詰められていったのだろう。

止まっていた時間が動き出し、新しい生活を始めるまゆ子。
すべて解決したわけではない。何も心配のいらない未来が 約束されたわけではない。
母親が すっかり変わったわけでもない。 

それでも、ナオコ先生との暮らしの中で、新しい生活を始める勇気をもつことができたまゆ子。その決断には、拍手しかない。

それにしても、シャンプーの場面の何と気持ちよさそうなことか。
「人の手」ってやっぱりいいものなのよね。

よるの美容院
   市川朔久子
   2012年 講談社

読んでいただき ありがとうございました。