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【17】母からのメッセージから見えたもの

1年ほど前、コロナ禍の影響により経営が厳しく
精神的にもあまり良好とは言えなかった時に、
母に質問をした事がある。

「良い人生を送るためのポイントは何ですか?」

すると、普段返信の遅い母からは
想像もできない速さでリプライが届いた。

そしてそこに3つのポイントが書き記されていた。

1.心身ともに健康であること

2.やるべき事があること

3.誰かに必要とされること

さすがにこれには感嘆した。
疑いようもなく自分が求めていた答えがそこに
端的に表現されていた。

すぐに「ありがとう」と返信し
その言葉を呑み込んだ。

そして自身の状態が悪い時は、
上記のうち何かが欠けている時だという事が分かった。

人ってのは誰しも調子の良い時は
だいたい何をやっても上手くいくものだ。

それを自分の能力と勘違いすることだってザラにある。

でも本当に必要なのは
上手くいかない時にどう振る舞い、どう対処するかだ。

人のせいにせず、感情的にならず、自分を見つめ直し、
上手くいかないなりに自身をコントロールする。

今自分がどのような状態なのかをきちんと把握して
決して無理のないよう精神を落ち着かせる。

人の真価は上手くいかない時にこそ現れるものだ。

だからこそ自分との対話を決して侮ってはならない。
と僕は思っている。

前回の記事でも書いたように
人生(物語)の主人公は自分自身である。

という事実をもっと多くの人が自覚すべきだ。

人生は何もしなければ長く感じるかもしれないが、
何かを成し遂げようとすれば時間が足りないくらいだ。


それなのに他人にばかり時間をつかっていて
自分という人間を理解・追求していない人が多い。


そもそも他人(ここでは自分以外の人)というのは
簡単には変わらないし変えられない。

人には「フィルター」というものが存在する。
それは育ってきた環境や経験してきたものによって
作られている場合が多い。

恐れ多くも、誰か大切な人を「変えたい」と思った時に
この「フィルター」が人を簡単に変えない障壁のような
ものになっている。


その中で人を大きく変えるのは「お金」と「愛」
*ここでの定義はAさんがBさんを変えたいと思った時の
話であり、自発的な意味ではない。

人が人を変える時、それ以外の手法には膨大な時間を
要する。自分自身がまだ経済的にも人間的にも
自立していないのに、人に時間を使い過ぎることは
僕はどこか違うのではないかと思っている。

本当に人を助けたり、喜ばせる事が好きなのであれば
自分という人間が自立してから思う存分助けたら良い。

僕自身はまだまだ発展途上で未熟者なので
日々アップデートを繰り返してスタッフや仲間達を
精神的にも経済的にも支えられるようになりたい。

そして、その方が圧倒的に早いと思っている。
他人を変えるのではなく自分が変わるべきだ。


僕は以前に自分の「好きなこと・嫌いなこと」を
ざっくりと大枠で書き出してみた。

【好きなこと】
自由
仲間
人に喜ばれる
熱中できる仕事
外見・中身ともに自信を持てる自分

【嫌いなこと】
見栄
罪悪感
人のことを気にしすぎる
過去に対する後悔
未来への不安


その時の感情なので今は当てはまらないものもあるが
書き出した当時はこんな感じだった。

これを一つずつテーマとして深掘りしていった。
特に嫌いなことに関して。

全部書き出すと長いので、
今回は「見栄」についてだけ書いていこうと思う。

要は僕は見栄っ張りで、
時に何かを誇張して話したりする事があるワケだ。
そしてそんな自分が嫌いだと自己分析をして分かった。

なのでそもそも「見栄」という感情はなぜ起こるのか?
について考えてみた。

その中で自分なりに導き出した答えは、

「無意識のうちに周りの誰かと自分を比べていて
その人に対して優位に立ちたい、他の人から良く見られ
たいと本能的に思っているから」

と考えた。

これに関しては自分自身の思考プロセスがとても甘い。
よく考えていないから感覚的に比較したりするんだな
と思った。

どういう事かというと
3つの例外を除いて「人と比べる」という事には
意味がないと僕は感じた。

その3つの例外とは

1.他人と比べる事で客観的に自分の欠点を探る

2.切磋琢磨する

3.同一フィールドの競争相手

これらは人と自分を比較する事に意味がある。

もしそれ以外の理由で人と自分を比較していたのなら
それは単なる「見栄」でしかなく、無意味だと感じた。

なぜなら人生における「どうなりたいか?」という
ゴール設定が同じではないからだ。

同じ目的でない人と比較することは3つの例外を除いて
意味がないに等しいし、最悪、自分の道を踏み外す事に
なりかねない。


自分の根底に人生において何を成し遂げたいのか?を
追求して答えを見つけ、日々自分のアップデートを
繰り返す。

ダサく思われたくないのは誰しもあるだろうが、
仮に自分の振舞いがそのように思わせたとしても
何か気づきがあればそれで良い。

自分磨きに徹底して時間をつかっていれば、
人と比較したり、人の目を気にしたりする余裕なんて
生まれないはずだ。


なぜなら僕は「好きなこと」に人を喜ばせたい
という項目が存在する。

なので自分が成長する事の方が優先順位が高いし
人を喜ばせる事ができる確率も高くなると信じている。


このような思考回路を組み立てて
僕は人と比較することをやめた。

そして同時に見栄を張る必要すらもなくなった。
もしまた見栄っ張りな自分が顔を出したら、
その時は冷静にノートを読み返して、
自戒の念と共に改めて一から成長していきたい。


今日紹介させて頂いた考え方や結論は
あくまで僕個人の見解で、もちろん正解などない。
自分らしく生きる為の自分の価値観でしかない。

それでも「自分を知る」ために時間を使うことは
とてつもなく大きな自己投資だと僕は思っている。

ぜひ皆さんも自分の人生をより良いものにするために
深く自分と向き合う事をオススメしたい。


つづく…

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