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「野の春」流転の海 第九話 宮本輝さん(読書感想文)(*ネタばれ注意)

*長い文章です*

とうとう最後。
20年以上に渡る熊吾一家とのお別れ。

表紙は、子供のころ熊吾を
背中に乗せて帰ったアカという
牛。いい時代だな。

宮本輝氏は34才から71才までの
37年間をかけてこの小説を
完結させたという。

父、宮本熊市さんの自伝的小説。
伸仁は輝さん自身。

自立し始めた房江(多幸クラブと
いうホテルのまかない)と
大学生になった伸仁。(輝さんと
同じ追手門)

熊吾の人生だけが、だんだん
傾いていく。

そして、とうとう
糖尿病悪化で、脳梗塞発症。
うちの父と同じだ。

倒れた熊吾を、
仕事があるとはいえ、
5日に1回くらいしか
見舞いに行かない房江と伸仁。
うちの父は、毎日つきっきりっだったのは
父に森井博美的存在がいなかった
からかな。
でも、あまりにも心細くて
私は父に腹違いの家族がいたら
介護を手伝ってほしいと思った。

博美は、しかし、最低の女で
隣のベッドのオッサンとデキる。

失語症の熊吾は、房江に、
「サンカク」「オロカ」、
つまり、三角関係、愚か、と
伝える。

救急車で搬送されるとき、
意識混沌として
軍隊時代の部下の名前を
口にする熊吾。
現実的で、泣けてきた。

最後まで、人に裏切られた熊吾。

房江が病院から帰ったと
大暴れするほどのも幼児返りぶり。
これも父と同じ。。

そして、オシッコをもらして
伸仁に「遅い!!」と怒る。
伸仁の面会に来る日が遅いのではなく
自分のトイレに間に合わなかったことに
腹を立てる。
脳梗塞患者のあるある。

最後は、狭山という、大阪の外れの
精神病院の16人部屋へ移される。
もう、まるで、うちの父。

それでも、房江はしばらく
狭山にはいかない。
この頃、博美は、オッサンとドロン。

そして、最後、危篤状態で
房江と伸仁が熊吾に面会したとき、
熊吾は、4~5才の子供の
ような泣き方をする。
これも、父そっくりで、
仕事帰りの御堂筋線で泣いてしまった。

印象的なのは、狭山での
熊吾の出棺に間にあうように
やってきた、熊吾の関係者。
みんな熊吾が心砕いて、世話を
してやった人々。

房江が見た行列は、
ホンギ、千代麿、ミヨ、
その養子、美恵、正澄。
佐竹とその妻、その子供たち。
木俣(チョコレート屋)、
神田(ハゴロモの社員)
中国人の親友の娘
麻衣子とその娘、栄子。

本当に来たのかどうか
分らない。
房江の心に浮かんだ走馬灯
かもしれない。

そして、狭山の桜は
南宇和と似たような野の春。

解説では、この物語は
永遠に終わらず、循環し
続ける、とあった。
終わったけれど、何度もの
始まる。

それを読んで、
「王の男」という
韓国映画を思い出した。

死んだ芸人たちが、草の野を
楽器を鳴らしながら、
楽しそうに進んで行く。

私はこの映画を7回映画館でみて
DVDでも見た。
だって、循環している気がしたから。

終わっても、何度も始まる。

戦後、伸仁を50才で授かった
熊吾と房江の喜びに
何度も戻っていく。

作者のあとがき。
「ひとりひとりの無名の
人間のなかの壮大な生老病死の劇」
とな。

私の好きな「地上の星」が
名もなく消えていく様は
人生の大切な虚しさを
教えてくれた。

宮本輝さん、昭和22年生まれ、
私の母と同じ年。
素晴らしい作家さんです。







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