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ミシェル(小説)

冬花がその部屋を
見つけたのは、日本人向けに
週一回発行される
新聞がきっかけだった。
 
ネイティブ・カナディアンの家庭で、
日本人のホームステイを探している。
 
家賃350ドル、食事なし、
バスルーム共用。

セント・クレア・ウェストから
ストリート・カーで三駅目。
 
トロントの中心街からは
少し離れていたが、
高級住宅街である。

 
アランもスーザンも、
とてもいい人だった。


冬花のワーキングホリディ・ビザが
あと三ヶ月しか
残っていないことを知っても、
快く部屋を貸してくれた。
 
クーパー家はアメリカの
ホーム・ドラマ「フルハウス」に
出てくるような間口が
狭く奥に深い造りで、
一番奥の突き当たりが
庭になっていた。
 
一階がリビングとキッチン、
ダイニング、
二階が夫婦と子供部屋と
バスルーム、そして
三階に続く小さな
白い階段を上っていくと、
左右におしゃれな
屋根裏部屋があった。
 
向かって左側は中国人の
女の子が使っているので、
冬花は右側の部屋を
使うように言われた。
 
室内は英国調の可愛らしい
家具でこざっぱりと整っていて、
冬花は大喜びだった。

 
カナダ人は様々な理由で
日本人のホームステイを好む。

まず、日本人は静かで、
部屋もきれいに使ってくれる。
そこそこ金を持っていて、
家賃滞納の心配は殆んどない。
 
そして生まれ育った環境が
ある程度恵まれているせいか、
根本的に善良な国民である。

特にワーキング・ホリディで
来ている学生に毛が
はえたような若者は、
扱いやすい。
 
冬花は赤いパスポートが
持つ威力をこの国で
何度となく痛感した。

だから向かいの部屋に中国人の
女の子が入っていることに
多少驚いた。
 
スーザンは肩をすくめて言った。


「ミシェルは、以前フユカの
部屋にいた日本人の
女の子の知り合いだったのよ」

 
その日本人が、
部屋探しに困っていたミシェルのために
スーザンに頼み込んだらしい。

ミシェルはたまたまいい子
だったからよかったのよ、
とスーザンが付け加えた。

 
冬花がその部屋に
引っ越してきた晩、
ミシェルは十時過ぎに帰って来た。


すでに寝静まった家の
玄関のドアが開く音がして、
分厚いブーツが階段を
上がってくる気配がする。

 
三階のてっぺんで、
冬花の部屋に明かりが
ついていることに
気付いたミシェルが
一瞬立ち止まったのだろう、
冬花はベッドの中で起き上がったが、
ミシェルはそのまま
自分の部屋に入ってしまった。
 
冬花はそのまま
眠ってしまうのもどうかと思い、
十一月の冷たい夜の空気に
身を震わせながらベッドを出ると、
外出用のコートを羽織って部屋を出た。
 
二人の部屋の間の
小さな踊り場に直に置かれている
電話機をまたぐと、
冬花はミシェルの部屋をノックした。

 
ミシェルはまるで
待ち構えていたかのようにドアを開けた。

冬花はあいさつに来て
よかったと思う。

 
ミシェルは長いカールした
黒髪を後ろで結わえながら微笑んだ。

大きな黒い瞳が
冬花を見つめている。


「あ、あの、ミシェル? 
こんばんは。
私、隣の部屋に引っ越して来た
フユカって言います」


ミシェルは東洋の姿と
西洋のしぐさで親し気に
右手を差し出す。


「スーザンから聞いてたわ。
フユカね。よろしく」


二人は階段のてっぺんで握手した。


「フユカは、学生?」


「いえ、ワーキング・ホリディで
来ているの」


「じゃあ、アコと同じね。
私の友達で、以前その部屋にいた子なの。
フユカは、仕事してるの?」


「ううん、もうビザが三ヶ月しか
残っていないから、
どこも雇ってくれない」


「へーえ、スーザンはそれで
OKしたんだ・・・。
じゃあ、三ヶ月後には日本に帰るの?」


「たぶん・・・」


「たぶん、カナディアンの彼氏と
結婚しない限りは、でしょ?」


ミシェルは中国語なまりの
英語を流暢に話す。

冬花は今、仕事もなく
トロントのフリー・スクールに通って
英語の勉強をしているのだが、
そこの生徒は移民が多く、
彼らの生活に根付いた英語に
冬花はいつも感服させられる。

ぺらぺらしゃべれるのに、
文法は全くできないのだ。
 
冬花が簡単な文法のテストを
サラサラ解くのを見て、
彼らは決まってニヤニヤして言った。


「さすが、ミス・ジャパニーズ!」


ミシェルの英語も
伝えたいことを最低限伝える
英語だったが、
その目の輝きや、
伝えようとする意志の強さは
学校の人たち同様、
圧倒的だった。
 
言葉はコミュニケーションの手段で
あって目的ではないのだ、
と冬花は思う。


ミシェルは中国系移民のお約束で、
トロントのチャイニーズ・レストランで
ウェイトレスをやっていた。
 
最初の晩は短い会話だった。

そろそろ部屋に戻ろうとする冬花に、
ミシェルは言った。


「フユカ、
甘いお酒って飲める?」
 
冬花がうなずくと、
ミシェルは棚の中から茶色い小瓶を取り、
投げてよこした。


「友達にもらったんだけど、
私、ビールしか飲めなくて。
よかったら飲んで」
 
冬花はお礼を言って、
部屋に戻った。

酒はベイリーズという
アイリッシュ・クリームの
甘いお酒だった。

 

それから週に何回か、
ミシェルと話をするようになった。

どちらの部屋ででもなく、
階段のてっぺんに腰かけてだ。

 
時々、クーパー家の
末っ子のデビットも混ざる。

まだ七歳の彼は会話に
入れないのだが、
年上のお姉さんたちに
構ってもらおうとちょっかいを出す。
 
時にはアランがビールを
二缶差し入れてくれることもあった。

デビットが一段下に座って
調子よく女の子の話に
茶々を入れているのを見て、
「やるな、坊主」
と苦笑していた。

 
ミシェルは上海出身で、
今年二十九歳になると言った。

東洋人は大抵そうなのだが、
彼女は格別若く見える。

スーザンが時々、
ただでさえ多いミシェルの黒髪が
パーマで膨大な量に見えるのを笑うと、
これは遺伝だ、
と言って笑った。


「私なんて、マシな方よ。
私のママは遠くから見ると、
毛のかたまりが歩いて来るように
見えるんだから!」

 
しかし上海にいる家族とは
もう何年も会っていないと言う。


「フユカは日本に帰れていいね」

 
ミシェルがそう言ったことがあった。

冬花はフリー・スクールで
一緒のイラク人青年の
パスポートを思い出した。

ハンサムな青年は無表情に
そのページを見せてくれた。


“EXILE” ―追放―

 
その文字が黒々と
スタンプされていた。
 
多くの移民にとって
カナダに来るということは、
自分の国を捨てるということなのである。

 
「ミシェルは・・・帰りたい?」

 
冬花の質問に彼女は
肩をすくめた。


「考えても仕方ないでしょ。
それに、上海では仕事がないし」

 
上海の事情に疎い冬花は
何とも答えようがなかった。

ただ、日本に家族がいて、
帰れる場所があって、
そして不景気とはいえ
ウェイトレス以上のバイトは
いくらでもあるだろう日本人としての
自分の境遇が、
何とも宙ぶらりんな気がした。

冬花にとって、
この家はカナダでの五回目の
引越し先で、最後の部屋になるのだが、
一番生活の匂いを感じるところだった。

 
朝はまず、デビットの
騒ぎ声で目が覚める。

たぶん七時半か八時くらいだろう。
 
デビットと上の女の子エミィが
学校に行き、
アランとスーザンが
それぞれ仕事に出かけると、
家に静寂が戻ってくる。
 
夕方フリー・スクールに
行くだけの冬花はもう一度寝直し、
昼前に起きて心ゆくまで
バスタイムを楽しむ。
 
この家は何もかもおしゃれで
可愛らしく、
バスルームは特に
スーザンの趣味で手が込んでいた。

 
窓辺にはレースのカーテンがかかり、
香りのよいポプリが置いてある。
 
洗面台とトイレのその奥に、
一段高い大きなバスタブがあった。

バスバブルを入れて、
お湯をたっぷり張って、
冬花は泡いっぱいのバスタブにつかった。

 
そして朝昼兼用の簡単かつ、
かなり偏った食事をとる。

クーパー家は
ホームステイ形式だったが、
夫婦が共働きのため、
食事は別だった。

 
キッチンの裏戸を抜け、
奥庭のロッキング・チェアに
腰掛けてコーヒーを飲んでいると、
出かけ支度の終わった
ミシェルがキッチンに現れた。

冬花が手を振ると、
ミシェルも庭に出てきた。


「今日はまだいたんだ?」


「仕事、遅番だから。
・・・そんな格好で寒くない?」

 
コートにブーツ姿のミシェルは
冬花の薄着を見て言う。


「お風呂上りだから大丈夫」


コートこそ着てなかったが、
冬花もカウチン・セーターに
ジーンズをはいている。
 
しかしもう十一月も終わろうと
しているこの時期、
この地はとっくに雪景色だった。

 
ミシェルは冬花のそばの
テーブルにもたれると、
浮かない顔で言った。


「・・・彼氏の話、したっけ?」


「ミシェルの? 聞いたことない」

 
ミシェルは足元の霜で
固まった芝生を音をたてて
踏みながら続けた。


「・・・彼氏の子供のために
今日クリスマス・プレゼントを
買わなきゃいけないの」


「彼の子供?」


「そう、子供がいるの」


「・・・奥さんは?」


「ドイツにいるみたい」


「ドイツ?」


「彼、ドイツ人なの」


「妻子持ちのドイツ人が彼氏? 
いくつの人?」


「アランよりちょっと若い・・・
スーザンと同じくらいかな」

 
冬花は冷めかけた
コーヒーカップを両手で包みながら
ミシェルの様子を伺う。


「・・・何買うの?」


「なんか、ファミコンのゲーム。
日本のもので、
今子供の間ではやってるんだって。
私もよく知らないけど、
彼がそれにしろって言うから・・・」

 
西洋では十二月に入る前から
クリスマス一色である。

いろんな人からもらった
プレゼントを部屋に飾った
大きなクリスマス・ツリーの下に並べて、
クリスマス当日、箱を開くのである。


「クーパー・ファミリーへの
プレゼントは、もう買った?」

 
話の持って行きように困まって、
冬花はそうたずねた。


「それも買わなきゃね。
ああ、クリスマスってうっとおしい」


それは冬花も同感だった。
 
外国でのクリスマスは
日本の正月と同じで、
身内のいない者にとっては
さみしいものだ。
 
デパートも図書館も一斉に
休みになってしまうから
逃げ場がないし、
親族一同集まる外国人ファミリーの中で
イブとクリスマスの両日を
過ごすのは息が詰まる。
 
でもせめて、ミシェルがいるなら、
と冬花はたずねる。


「クリスマスはどうするの?」


「逃げる」


ミシェルはウィンクして見せた。


「・・・って、彼と?」


「彼は休暇をとってドイツに
帰ってしまうのよ。
だから自力でここから逃げ出さないと。
フユカも一緒にどう? 
チャイナ・タウンの店は
たぶんクリスマスでもやってるから、
ご飯でも食べようよ」

 
冬花はうれしかったが、
それではスーザンが気を悪くするのでは、
と思った。
が、まだ先のことなので、
とりあえずOKする。
 
ミシェルはうれしそうに微笑むと、
豊かな黒髪を翻して、
庭を後にした。

 
冬花は宛名が『梁玲春』と
なっている手紙を
何度か見たことがあった。

 
母国から来る冬花や
ミシェル宛ての手紙は、
住所までが英語で宛名は
漢字のものが多い。
 
その時も中国からミシェル宛てに
葉書が来ていた。


「この漢字、ミシェルって
発音するの?」


「ミシェルは英語名だから、
漢字とは関係ないのよ。
フユカは・・・Winter Flowerだっけ?」


「すごい! 覚えてるんだ。
漢字だと意味が
わかっておもしろいね。
ミッシェルのこの字はSpringだよね」

 
そう言って、“春”という字を
指差しながら、
冬花は学校の黒板に書いて
あった文字を思い出した。
 
“五点在麦當芀集合”という
漢字が羅列してあり、
中国人の生徒がメモしている。


「何て書いてあるの?」

 
中華街のレストランに
勤務しているウォンさんに聞くと、
意外そうに笑った。


「マクドナルドに五時集合って
書いてあるんだ。
集会のお知らせだよ」

 
冬花はマクドナルドにまで
漢字を当ててしまう中国人に
驚いたものだった。

 

十二月に入ると、
トロントの街はすっかり雪で
覆われた。
 
クリスマスは日本のような
商業的イベントではなく、
かなり宗教色の濃いもので、
それはなかなか好もしいもの
だったが、何せ寒いにも程があった。

一番冷えるのは一月、
二月だというが、
今でも零下二十度近かった。
 
ビザの期限が終わりに近付いて
仕事が全くなくなると、
冬花は昼過ぎに家を出て街を
プラプラしていた。
 
月曜日から木曜日までは
夕方六時―九時の学校、
月・水・金と昼三時―五時の学校、
そして土曜日は
朝九時―昼十二時までの学校という、
フリー・スクール三昧の生活を
送っていた。
 
その日は六時まで時間があって、
トロントの中心街の
大きなデパートでクーパー家への
クリスマス・プレゼント
を買った。

アランとスーザンには
お揃いのマフラー、
エミィにはピアス、
デビットには帽子、
そしてミシェルにはトレーナー。
 
お世話になっているので
あまり安っぽいものでは
申し訳なかったが、
そうかといって高価すぎるものも、
いかにも日本人っぽいと
思われそうだったので、
プレゼント選びは難航した。

 
フリー・スクールは
たっぷり三時間もあって
しんどかったが、
先生も生徒も熱血漢が
多くておもしろかった。

 
九時まで授業のある日は
ホッとする。

早く帰ってファミリーの
食事時間と重なるのも
気まずかったので、
夜、学校のない日は
大抵デパートのフード・コートか
トロント大学の図書館で
時間をつぶした。

 
チャイナ・タウンの怪しげな商店では
タバコが半額で買えた。

カナダはアメリカと
違ってタバコの税金が高く、
値段が倍以上する。

そこで中国人たちは
アメリカからマルボロを密輸して、
ほぼアメリカと同価格で売ってくれる。

冬花はそのうわさを聞いて、
一人で店に行き、タバコを
買ってきたのだが、
後からそれを日系カナダ人の
男友達に話すと
ひどく怒られた。


「フユカがとりあえずアジア人で、
しかも女の子だったから
無事だったんだよ。
奴らは密輸してるんだから、
仲間のチャイニーズにしか売らないし、
突然外国人がタバコくれ、
なんて来たら、スパイと思って撃たれるよ」


この撃たれるという言葉に笑ったが、
当時トロントのチャイナ・タウンは
地元の人にとっては信じられないくらい
治安が悪かった。


冬花は九時に学校を後にすると
地下鉄に乗り、二十分ほどで
セント・クレア・ウェスト駅の
地上に上がった。

 
タバコを一服吸いたかったが、
ストリート・カーが出発間際で、
それに飛び乗る。

大通り沿いの商店やスーパーは
どれもクリスマスの装飾で
溢れていた。
 
最寄の駅に近付くと、
下車の合図の線を引っ張る。
チンッと乾いたベルの音が車内に鳴り響いた。


通りに降り立つと九時半。

もう少し時間をつぶそうか、と
冬花はマルボロに火をつけて、
くわえタバコで家の近所を散歩した。
 
ここは高級住宅街で、
クリスマスのイルミネーションは
どこもかしこも凝っている。
 
玄関にはきれいなリースが飾られ、
ポーチのもみの木は
ライト・アップされて、
雪の合間に緑や赤のランプが
またたいている。
 
家々の窓から屋内の
クリスマス・ツリーのランプの点滅が洩れ、
どこからともなくクリスマス・ソングが
聞こえてくる。


冬花は自分がマッチ売りの少女に
なったような気がした。

少女はクリスマス・ツリーや
七面鳥の幻をみながら、
大好きなおばあさんに
抱きかかえられて、
天国へ旅立って行く。

だのに人々が亡くなった少女
を発見するのが、
クリスマスの朝ではなく
元旦の朝なのだ。
 
幼かった冬花には
不思議で仕方なかったが、
最近になって欧米では
年明けまでクリスマスを
祝うことを知って納得した。

 
家々から満ち溢れる幸せな時間が、
冬花を寂しい気分にさせた。


― ここで何してるんだろう、私・・・―

 
まるで映画の世界に
迷い込んでしまったかのように、
冬花はぼんやりと辺りを見回した。
 
すると、真っ暗な空から
白い粉雪が舞い降りてきた。

冬花はタバコをもみ消すと、
すっかり凍えて感覚の無くなった
足先に力を入れて、家路を急いだ。

 

片手にデパートの袋をさげた
冬弓が家に戻ると、
もう一階の電気は消えていたが、
ダイニング・テーブルに
キャンドルが飾ってあった。
 
誰かお客さんが来ていたのだと思うと、
遅めに帰ってきてよかった、
と思った。

 
部屋着に着替えてコーヒーを
入れに一階に行くと、
スーザンもコーヒーを
入れているところだった。


「今日は誰かお客さんだったの?」

 
そう聞くと、スーザンは
ちょっと複雑な表情で肩をすくめた。


「ミシェルの彼氏を
クリスマス・ディナーに招待したのよ。
ちょっと早いけど、
彼がもうすぐ休暇でドイツに
帰るって言うから」


「・・・ふーん。どんな人だった?」


「・・・うん、まぁ、ね、
真面目そうな人よ」

 
真面目に不倫をやっている
という意味かな、
と冬花は首をかしげるが、
スーザンはため息をつくと
ノー・コメントで部屋に戻ってしまった。

 
さっき三階に上がった時、ミ
シェルの部屋の電気は消えていた。
もう寝たんだろうか、
それとも彼氏と一緒にどこかへ
出かけたんだろうか。
 
冬花はぼんやりとキッチンの出窓に
飾ってある水仙の花を見つめた。

すぐにクリスマス・イブがやって来た。

恐ろしいことに、
都心の全ての店が閉まってしまう。

かろうじて開いているのは
チャイナ・タウンの
飲食店くらいだろうか。
 
外で過ごすことに
慣れていた冬花は、
この寒空に朝から行き場所を
失って息苦しくなる。
 
スーザンは十二月に入ってから
少しずつ作り貯めていた
料理をいっせいにオーブンに
入れて解凍する。

 
もちろん、親族一同集まって
パーティーを開くためである。

イブの日はあちこちから親戚が訪れ、
めまぐるしく過ぎていった。

いつの間にか
ミシェルの姿が消えていた。

スーザンはクリスマスくらい・・・、と
不満そうに愚痴をこぼす。
 
夕方になって冬花はファミリーと
共に教会に連れて行かれ、

トロント市内の荘厳な教会に
初めて足を踏み入れた。
 
しかし、その美しさとは裏腹に、
子供たちのクリスマス演劇や
牧師の説教は冬花をすっと
現実に引き戻してしまった。

 
晩になって、スーザンの姉の
ファミリーの家に行った。

大人たちと同じテーブルで
食事をするが、
彼らの良識的な会話には
全く興味をそそられず、
ヒヤリングも散漫になる。
 
冬花は自分に話題を
振られるのを恐れながら、
そそくさとディナーを口に運んだ。

 
食後は子供たちのグループに逃
げ込んだ。

しかし、エミィくらいの年になると
他人への気遣いも出てくるが、
小さな子供はかなり残酷である。
会話がうまくできないと、
途端にナメてかかってくる。
 
エミィと同じ年頃の女の子たちは
何か秘密の相談をしに、
違う部屋へ行ってしまい、
残された十歳未満の子供たち相手に、
冬花は心底疲れ切った。


― クリスマス、嫌い・・・―


この逃げ場がない感じ、
かなり日本の正月に似てる、
と思った。

ミシェルは今頃どうしているのだろう、
うまいこと切り抜けたものだ、
と冬花は感心した。


へとへとになって
クーパー家の車に乗り込んだのは
真夜中だった。


「フユカ、疲れた?」


デビットに聞かれ、
冬花は苦笑する。


「わかる?」


「うん。だって、
すごく怖いカオしてるもん」


無邪気なデビットの言葉に
冬花は反省した。

 
家に戻ると、さ
すがに疲れていたのだろう、
皆すぐに眠りに就いたようだった。

 
明日はクリスマス本番。
自分の部屋の椅子に
すわってうんざりと窓の外の
クリスマス風景を眺めていた時、
ミシェルが帰って来た。
 
気を遣ってだろう、
ブーツを脱いで上がってきたが、
三階に続く階段は
ぎしぎしと音を立てた。
 
驚かせてはいけないと
思いつつも気がはやって、
冬花はミシェルが階段を
上り切ったところでドアを開く。


「おかえり」


ミシェルは声こそ出さなかったが、
もう少しで階段を
転げ落ちるところだった。


「もう、フユカ、危ないよー」


二人は三階のてっぺんで声を
殺して笑い合う。


「・・・今日、どうだった?」


小声でミシェルがたずねる。


「知っていて、
いなくなったんでしょ?」


「やっぱりねぇ。
いなくてよかった。スーザンは怒ってたけど」


「明日もこれが続くみたいよ。
ミシェルはどうするの?」


「私は夕方から仕事だから・・・。
でもフユカがよければ
ランチでもしない? 
チャイナ・タウンにいいとこあるのよ」

 
冬花は二つ返事で行くことにした。

 

 
その晩、だいぶ前に学校で見た
「クリスマス・キャロル」の
映画が夢に出てきた。
よく覚えていないが、
業突く張りなスクリュージュの
イメージが今日のクリスマスの
光景と重なり、
クリスマスがすっかり
怖いものとして冬花の印象に残った。

 

翌朝、エミィとデビットの
はしゃぎ声で目が覚めた。

二階に降りてバスルームで
顔を洗うと、
一階のクリスマス・ツリーの下で
プレゼント開きをしているのが、
吹き抜けの階段越しから見えた。
 
子供たちが自分のプレゼントを
開けて喜んでいるのかも、
と思うとうれしくなって、
冬花は上着を着ると
一階に降りていった。

 
まさにエミィが冬花の
選んだピアスを見て
狂喜乱舞しているところだった。

エミィもデビットも
すごいはしゃぎようである。
 
冬花はクーパー家からの
プレゼントを開けた。

冬花の好きな
スティーブン・キングの本と、
エディ・バウアーのTシャツが
入っていた。

 
冬花が各個人に
プレゼントしたのに対し、
ミシェルは家族に朝食用のコーヒー豆を
贈っただけだった。
 
考えてみれば、
いつもコーヒーは自由に頂いているので、
これは生活に即したプレゼントである。
 
冬花は大げさに
プレゼントしすぎたような気がした。
全部合わせても日本円で
一万円くらいだったが、
多すぎたのかもしれない。

午前中は家族で
ゆっくり過ごしたものの、
お昼前にまた親戚が押し寄せた。
 
冬花とミシェルは出かける時に
デビットに見つかったが、
シーッと合図すると、
そそくさと外出した。

 
いつものストリート・カーに
ミシェルと乗るのは
初めてだった。
 
セント・クレア・ウェストから
地下鉄でチャイナ・タウンのある
スパダイナ駅に向かった。

 
チャイナ・タウンで
見るミシェルは水を得た魚のようで、


頼もしくて格好よかった。
 
さすがに市場は閉まっていたけれど、
ミシェルの行きつけの飯店は、
けばけばしいクリスマス・ツリーを
飾りながら営業していた。

 
中は、広東語をしゃべる
中国人でいっぱいだった。

上海出身のミシェルの
母国語は北京語だったけれど、
広東語もそこそこしゃべれるようだった。
 
適当にあいた席に座ると
ワゴンを引いた店員が回ってくる。

そこから皿を選び、
店員がテーブルの伝票に書き込んでいく
システムになっていた。
 
冬花は何がどんな物なのか
よくわからず、
日本でも見かける春巻や肉まん系の
ものしか選べない。
 
ミシェルはやわらかい
ライス・ペーパーで包んだ
春巻の皿を取ると、
醤油をかけ、
冬花に食べてみるように勧めた。


「中国では必ず正月に
これを食べるのよ」

 
米の皮は豆腐みたいに柔らかく、
中身はねぎとひき肉が
入っているようだが、
味が薄く、醤油の味ばかりがして
あまりおいしくなかった。

 


「今日は何時から仕事?」


「四時からだけど、
三時に入って掃除とかしなきゃだめなの」

 
もう一時半だった。

 
二人は飯店を出た後、
チャイナ・タウンを北上して
ブロアー通りに突き当たる。


「まだちょっと時間あるから、
お茶でもどう?」

 
さっき昼食をご馳走になった
冬花はミシェルを連れて、
スパダイナ通りとブロアー通りの
交わる角のカフェに入った。
 
ここは学校の帰りに
時々友達と来る。

コーヒー一杯一ドル、
マフィンも一ドル前後である。
 
ホット・コーヒーを二つと
マフィンを受け取ると、
二人は窓辺の席に座った。


「フユカはこの後どうするの?」


「街をプラプラして、帰る。
行くとこないし」


「他人の家でクリスマスって本当、
しんどいね」

 
二人は道行く人の少ない
大通りを見つめた。

路面は黒ずんだ雪が
山のように積もり、
空からはまたチラホラと
粉雪が舞っている。

きれいなイルミネーション、
楽しげな音楽。
 
外国のクリスマスは
見ている分にはよかったが、
単身で過ごすものではないな、
と思った。


「スーザンから聞いたけど、
フユカは来年早々に
日本に帰るんだって?」

 
一月中に帰国するつもりでいた
冬弓はうなずく。


「ビザも切れるし、
仕事もないし・・・」


「日本の家族は何人いるの?」


「四人。両親とおばあちゃんと弟」


「弟は、デビットくらい?」


「もう、高校生だよ」


「へーぇ」

 
たわいもない会話をしている内に
あっという間に三時になり、
二人は店を出た。


「ごちそうさま、フユカ」


「こちらこそ、
おいしい中華料理をありがとう」

 
ミシェルが仕事に行ってしまうと、
冬花は大通りに出た。
 
いつも車と人でいっぱいの通りが、
今日はしんしんと降る雪に
支配されている。
 
冬花は大通りが交差する、
いつも一番賑やかな四つ角に立つと、
背中のリュックからカメラを取り出した。
 
何もない、誰もいない
トロントのクリスマス。
冬花はそれを一枚の写真に残した。

 
年末から新年にかけて、
冬花は日本人の友達と二人で
十日間かけて
ミシガン、デトロイトを回った。
 
アムトラックで
町から町まで
八時間かけて移動した。

カナダで寂しかった
クリスマスがうそのように、
冬花は友達と彼女の知り合いの
アメリカ人たちと
大騒ぎして遊んだ。
 
同世代の若者特有のノリはど
この国でも同じだった。

楽しい旅行の後、
冬花が再びクーパー家に戻ったのは
一月八日の夕方のことだった。

今度はあまり高価にならないよう、
それぞれにお土産を
買ってきたが、みんな
かなり喜んでくれた。

 
帰ってすぐ三階に上がって、
ミシェルの部屋の扉が
閉まっているのに気付いたが、
きっと仕事に行っているのだろうと
気にしていなかった。
 
しかしその晩、スーザンから
ミシェルがここを出て行ったことを
聞かされ、冬花は驚いた。


「いつ? どこへ行っちゃったの?」


「一週間ほど前よ。
たぶん、ドイツ人の彼氏と
何かあったんだと思う」


「じゃあ、ドイツに行ったの?」


「すぐに行ったかどうかはわからないけど、
行くようなことは言ってたわ」

 
これだから中国人は、
といった雰囲気がスーザンの口調から
伝わってきた。


「フユカは、予定変更ないわよね? 
帰国は今月の・・・」


「十一日よ」

 
冬花はそう言うと、
三階に上がった。

 
 
ミシェルの部屋を開けて
みようかと思ったが、
悲しくてやめた。
 
突然、彼女の身に何が
起こったというのだろう。
こんなことなら、アメリカから
直接日本に帰ればよかった、
と冬花は後悔した。
 
ますます寂しくなるために、
カナダに戻って来てしまったみたいだ。

 
トランクを開けると、
ミシェルのために買った手袋が入っていた。


「ミシェル・・・」

 
冬花は思わずそれを手に取ると、
ミシェルの部屋に向かった。

 
真っ暗な部屋の電気をつけると、
ガランとした部屋が映し出された。


「ハイ、ミシェル」

 
冬花はミシェルの机の上に、
手袋を置いた。

と、奥の壁に小さな
メモが貼ってある。
 
そこにはこう書いてあった。

 
“From Spring to Winter, 珍重再会!”

 
冬花の部屋は旅行中、
鍵がかかっていたので、
自分の部屋に残して行ったのであろう、
冬花にしかわからない
漢字のメッセージ。
 
思わず涙がこぼれた。


「再会しようね、ミシェル。
いつかどこかで必ず」

 
冬花はその紙切れをはがすと
手袋と一緒に握り締め、
ミシェルの部屋を後にした。


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