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幸せちょっとおすそわけ

結論から書くと、この記事の題名は、私が、
30代で勤めていた小学校の1年4組を内蔵疾患で休んででいた時、このクラスを持ってくれた講師の先生が保護者に書いていた学級通信の名前だ。 


その時の1年生は入学前から、今でいうと発達障害の子や、身体に不自由のある子、特別な病気を持った子などがあり、大変な新1年生と噂が広まっていた。


しかも、生活科の授業がはじまって間もなかったので年間を通して研究授業発表する。(講師を招いて授業の様子を見てもらったり、事前の授業をしたりと忙しいもの)機会も多かった。


色々、手のかかる子どもが多いという事情を幼稚園や保育園から引き継ぎをしてくれ、学級編成を考えた封筒を、私たち新1年生担任の4人が貰った。1枚は、体に不自由があり、車椅子が必要な子の為主任が持つことになっていた。

あと3枚は、それぞれが引いた。


私のもらったの紙には、血液の病気を持った子がいたので、比較的、穏やかな子が多い学級だった。

4月、スタートした。
どの小学校も1年生は、てんやわんやと
忙しい。登下校も初めてだし、集団下校で先生がついて行ったのに違う方に帰ってしまった子がいたりもした。


45分の授業なんて、最初は、15分くらいから
トイレタイムをとりながら。
こどもたちの様子を観て進めていく。

給食と掃除は、6年生が2から3週間、お手伝いをしてくれたので、とても助かった。

給食は、配膳に慣れていないので、配ってある途中でこぼしてしまったり、おかずの量が足りなくなったりと私は、そのため早食いだ。

最初は、給食を食べて下校だったのが
5時間目もあるようになると、こどもたちは
ヘトヘトに疲れている子も多かった。
それでも授業を進めた。

私は、比較的、おとなしい子の集まりなので
「強くてやさしい子と学級の目標を黒板の前に大きく貼った。

何事もくじけず、頑張って心も体も強い子になってほしいと学級目標を決めた。

私は厳しい教師だったと思う。他のクラスと比べ
おとなしい子が多いので、もっと頑張ってほしくて、励ましのつもりが、怒っていたのかもしれない。

10月、私はストレスからか急性膵炎になり、入院した。

その間、来てくれた先生(名前を覚えてなくてごめんなさい)まぁ安田先生としよう。


私は、なんの引き継ぎもなく突然休んでしまった。きっと安田先生は、困ったと思う。

しかし、私が体調が戻り、復帰する前日、
ドアを開けて教室に入ってびっくりした。

教室の前にテーブルを並べてあり、その上に
こどもたちの作文や絵の数々があった。

その上には、安田先生の説明書きがあり、
どんな授業をしたかわかるようになっていた。

そしてこどもたち1人1人にあった赤いペン書きの安田先生の言葉が添えてあった。

私が渡せてなかった週案(1週間の授業計画)。用紙をプリントして、3ヶ月分書かれてあった。

その中に
「幸せちょっとおすそわけ」いう学級通信があった。

安田先生は、こどもたちといられる事に感謝して
いた。私は皆さんのお子さんたちといると
毎日が幸せで、子どもたちもそれに応えてくれてと
喜び溢れる学級通信だった。


あー私は、忘れていたなぁ
自分の学級を持てる事の喜び。
子どもたちと過ごす中で
笑顔になれる瞬間。
もっと、当たり前のことに
幸せを感じていなかったなと。

こどもたちに
「安田先生ってどんな先生だった」
と聞いたら
「いつも、楽しそうに歌を歌ってたよ」
とある子が教えてくれた。

自分が楽しんでたんだなぁ
学校は、忙しくて
急ぎ足でいたけれど
歌を口ずさむなんて私には、思いつかなかった。


これは、他のクラスの担任に
聞いたことだが
「鈴木先生(私、仮名)は、僕たちが
悪いことしてないのにいつも怒ってるんだ。」
と言ってたととの事。

安田先生の「幸せちょっとおすそわけ」から
私は教師として考え方が変わった。

なんと言ったらいいかわからないが
変わったのだ。

今は教師をしてないけれど、
幸せちょっとおすそわけが忘れられない。

安田先生、ありがとうございました。😊




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