仕事も体調不良も再開
年が明けて仕事が再開すると、体調の異変も再開しました。
まず夜眠れないし、朝も起きられない。元々夜更かしするタイプではないけれど、無音になると無意識に色々と考えてしまって眠ることができなかったのです。
だからYouTubeで何か適当に流して、それを聞いて何とか寝ようとしてました。仕事のこととか不安から離れれば眠れると思ったから。もちろん眠剤も飲んでいたし。
朝は朝で身体が本当に重かったです。動悸もして、呼吸も浅くて、体も重くて。毎朝意を決して体を起こしているような状況でした。
それにご飯が食べられません。何も食べないわけにもいかず、おにぎりを無理やり口に入れるけど、食べられるのは一口くらいで、完食したことはありませんでした。
そんなこともあってか、仕事に向かうのがどんどん不安になり、家を出ることも難しくなっていきました。もちろん初めは気持ちで何とか踏ん張って無理して電車に乗ってました。出勤しちゃえばもう仕事するしかないからどうにかなると思って。
でもそのうちに電車に乗ることすら難しくなっていったのです。地元の駅のホームで電車を待っているのもしんどいし、乗り換えもしんどい。電車に乗るのもしんどくて、もう通勤が全てしんどかったです。
この頃の日記を見返してみると、
「無理なら途中で帰ること」
「無理しちゃいけない」
とか、とりあえず無理だけはしないように。と言う意識が強くなってたんだなと思います。
年が明けても、上司や同僚の態度は相変わらずでした。
定時で帰ると相変わらず「みんな残業して頑張ってるのに」と言われるし、システムへのアクセス権がまだ付与されていなくて完了しなかった作業も、何でやってないのかと言われるし。もちろんアクセス権がないことや早く付与して欲しいってことは上司にも言っていることなのに。
どんどん体調が悪くなるので、部長に仕事の割り振りを少し減らすことを検討してもらったり、体調が優れない時に仕事を休んだりしてしまうことを謝罪も兼ねてことわっておこうと思いました。自分自身迷惑をかけていると思っていたから。
でも部長から出た言葉は、
「休み明けに仕事に行きたくないのはみんな同じ。私だって仕事休みたくなることあるし」
でした。
私が言いたいのはそう言うことじゃない。
精神的に追い込まれてやむなく休んでしまうことがあるかも知れないと言いたかっただけなのに、仕事が面倒だから行きたくないみたいに取られるとは心外でした。
どんどん追い込まれた私は、適応障害になってから一番強く「死にたい」と思うようになりました。
会社のトイレで死にたくて泣きそうなのを必死に堪えても、気が付いたら「死にたい」と口に出しているような状況。
そんな時ふと、そう言った経験を話す会がある事をTwitterで知ったのです。
このままだと本当に死にそうだと思った私は、少しでも状況を変えたいと思ってその会に参加してみました。
何人かで集まって、自分の体験を共有するような場。私もこれまでの体験を話したし、他の参加者さんの話も聞きました。
が、個人的には、あまり効果はなかったように感じました。
私が変に期待しすぎたのかも知れないし、そもそもそういった場は初めてだったので、私の目的を果たす場ではなかったのかも知れないです。
自分の経験を話すのですが、話し始めると混乱して、まとまった話ができませんでした。誰かに話すことで少し楽になると思っていたので、効果は少なかったし、他の人たちの話もあまり入ってこなかったです。
その後も仕事には何とか行っていました。毎日死にそうになりながら。残業もしました。でも誰にも相談できず、誰とも話さず、表情もどんどん無くなっていきました。
1月も下旬のこの頃には、全社パーティーの準備に年明けのさらに膨大な業務に、仕事量は年末と同じかそれ以上。
この頃には休職についてかなり迷っていました。
体調的には今すぐにでも休職したいけど、今後の社会人人生を考えると不利になるのではないかとか、迷ってしまってなかなか踏み出すことができなかったです。
だから心療内科の先生にも、「もう少し待ってください」と言って休職は最後の手段として残しておこうと思っていました。
そんな事をTwitterで呟くと、フォロワーさんから様々な励ましの声や心配の声をいただきました。
どれも感謝しきれないし、周りに相談する人がいなかった自分には心強い言葉でした。フォロワーさんの言葉でどれほど救われたか。このnoteを書くようになったのもフォロワーさんのおかげですし。
そんな中で迎えた週明け月曜日の朝、とうとう体が動かなくなりました。
もうベッドから起き上がることすらできないくらいに精神的に追い詰められてしまったのです。
気付いたら涙が出ていて、仕事を休むことにしました。
その後、1/31の心療内科通院日まで約一週間、仕事は全て休むことに。
もう休むしかないと思いました。
適応障害と診断されてからここまで追い込まれることは無かったし、これ以上追い込まれたら本当に死んでしまうと思ったから。
それに適応障害なら、「その環境から離れれば症状は改善していきますよ」と先生に言われていたから。
悪化して鬱病とかになってしまう方が寛解までの時間が長くかかってしまうと判断しました。
私が唯一良かったことと言えば、適応障害と診断されて症状が悪化する前にTwitterなどで情報を知る環境を作ることができたことだと思います。
もちろん全てを鵜呑みにしたわけではないけれど、悪化した方が大変だとか、寛解してもいつ再発するかと思いながら生活しているみなさんの思いを知ることができたので、少し先に手を打つことができたのではないかと思います。
結局その後先生と相談して、2月から現在まで休職が続いているのです。
今回はここまでにしようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ひろ
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