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「家族との時間は永遠ではない」ことに気づいた

「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」

この言葉を思い出した瞬間は、突然やってきた。

会社での朝。
いつものように朝掃除を終え、業務スタートまでの合間。
いつものように自席から窓の外を眺めていると、川沿いの遊歩道、小さなベンチの下に寝転ぶ人影。

(子どもでも寝転んでいるのかな…)
(ん?でも、あそこに寝転ぶ人は見たことがない、やはり不自然。)
少し見続けていると、ゆっくりと立ち上がろうとしている年配の女性らしき人物。
(倒れてしまったのかもしれない)

 急いで玄関を出て、駆けつける。
やっと上半身を立て直したおばあさんの姿。
「大丈夫ですか?」
「$#%&#&・・・」
「大丈夫ですか?」
「・・・。私は耳が遠いので・・・」
私は大声で話しかける。
「ダイジョウブですかぁ、ケガはないですかぁ?」
「やだ~、あなた見てたの?」
「ダイジョウブですか、ケガはないですか?」
再び繰り返すも、私の言葉は届いていないよう。見た感じ、ケガはなさそうなので、その場を去ろうしたが、おばあさんは話かけてきた。

「いやぁ、私はもうすぐ90なんです。あと一つかふたつで。」
おばあさんの言葉は続く。
「主人はとうに亡くなってしまって。私は地元じゃないの。子どもを若い時に亡くしてるの。長男が56歳で死んでしまったの。病気でね。次男は東京に住んでいて。私は一人で住んでいるの。次男の嫁は、とってもいい嫁。月に1度は、顔を見に来てくれるの。夫は45で死んでしまったの。そこから一人で息子たちを育ててきたの・・・。いやぁ、恥ずかしいなぁ。あなた見てたのぉ、私が転んだのを・・・」

おばあさんの話にあいづちを打ちながらも、仕事に戻るタイミングをうかがう。


「あなたね。一人は寂しいよ…」

「若い人たちには、言うの。たぁくさん子どもを産みなよ、ってね。」

「ほんと。一人は寂しんだから…」

「いやだぁ、あなた見てたのね、私が転ぶのを・・・」

私は腰を浮かせ、おばあさんのズボンについた落ち葉を払い、気をつけて帰るように言葉を添えた。
おばあさんが立ち上がれるか、様子を気にしながら仕事に戻った。

自席についてからも気にかけて見ていると、しばらくしてゆっくりとした歩みで立ち去って行った。

 今春、長男が就職のため、家を出た。
次男は現在、高校3年生。今後の進路によっては来春には家を出るかもしれない。
同居の父と母は、おばあさんと変わらない、90まであといくつか。

 6人の大所帯だった日々は、遠い日のことになっていく。
 消えていく。

「一人は寂しいよ…」

 家族との時間は永遠ではなかった。

もったいない毎日に気づく。
やっと・・・。

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