見出し画像

超人気企業の人々① ホラ吹き先輩の原罪

対処に困る自慢というのがある
例えば、レクサスを買ったと言われたが、それが下から2番目のグレードだった場合
例えば、タワマンに住んでいると言われたが、それが2階だった場合
例えば、ボクシングをやっていたので素手でポルシェのサイドガラスを叩き割ったと言われたが、空手をやっているのでそんなことは不可能だと知っている場合
普通なら鼻で笑えばいいのだが、これが会社の先輩だった場合、一体どんなふうに返すのが正解なのか?
ちなみに上の3つの例は、私が勤める会社の1人の先輩のことである

ある日先輩は、レクサスはいいよ、やっぱりモノが違う、と言って話を始めた
私の実家では父がLSに乗っていたので私もレクサスの良さはわかっている
当然それはLSのことを指しているのだろうと思って聞いていると、先輩は、サイズが手頃だ、と言った
おかしい
LSはグレードによっては全長5メートルを超える
それを「手頃」と言えるほど運転が上手い奴はそう滅多にいない
先輩はレクサスの前はプリウスに乗っていたはずだ

私と先輩は会社近くの中華料理店にいた
人気店でガラス扉の向こうには行列が見える
店内は隣の客と肘が触れんばかりの距離にテーブルが据えられ、回鍋肉と酢豚とチャーハンを頼んで2人でシェアしていた

「レクサスってさぁ、やっぱ音が違うよね」
混んでいる中華料理店なのである程度大きな声で話さないと同じテーブルの対面にいても聞こえづらいのだが、先輩は両隣にまで確実に聞こえるくらいの声量でレクサスについて語り続けた
しかし、話を聞いていると、先輩が買ったというレクサスは明らかにLSではない

正直、LS以外をレクサスと呼ぶのは、消防署詐欺のようなものである
消防署詐欺とは昔、消防署の方から来ました、と言って家に上がり込み消化器を売りつける詐欺のことだ
「消防署の方」からと言っているが、それは「消防署がある方角」から、という意味で嘘は付いていないのだが、売り方が強引だということで問題になった

LS以外も確かにレクサスではあるが、レクサスというブランドはLSという車種だけが特別で、あとの車種はトヨタのマークをレクサスに変えただけの車である
(それに異論を唱える人は、おそらくLSに乗ったことがない人だ)

先輩の声は確実に隣の席の人にも聞こえていた
おそらく隣の席の人も思っているだろう
一体、どのレクサスだ?と

私は迷っていた
「さっきからレクサス、レクサスと出てきますが、先輩が乗っているのはどの車種ですか?」という質問をすべきか、それとも適当に話を合わせて先輩をいい気分にさせておいた方がいいのか
当然、大人なら後者を選択するのだが、先輩が「レクサス」と口にするたびに、隣の席からの殺気と、「レクサスの車種を聞け」という無言の圧が増してきた

たまたま隣同士の席になった見ず知らずの人間との奇妙な連帯をとるべきか、昼食後も続く会社での先輩後輩の関係をとるべきか
後者を取るのが自明のことと思えば思うほど、私の中の破壊への欲求が頭をもたげてきた

幼い子供に積み木で遊ばせると、男の子と女の子では明らかに傾向が違うという
女の子は積み木で自分を囲み、快適な庭を作ろうとするが、男の子はひたすら積み木を高く積み上げ、それがどこかで崩れ去っても、それを嬉しそうに見ているという

私の中で、私の積み木はかなり高く積み上げられていた
多分、あとひとつか2つ載せると間違いなく崩れ去る
私は願うしかなかった
先輩、頼むからもうレクサスって言わないでくれ

私の願いが通じたのか、先輩は急に話題を変え、最近タワマンに引っ越した、という話を始めた
「俺のタワマンはさ」と言っているが、先輩が住んでいるのはその2階だということを人伝に聞いたことがある
だが、隣の席の奴はそれを知らない
先輩はそれをいいことに「俺のタワマン」という言葉を連発する

こうなると私は孤独だ
さっきまで隣の席の奴との間にあった「レクサスの連帯」はなく、私1人でタワマンの2階に住んでいるのに「俺のタワマン」とでかい声で言っている先輩へのやるせなさを背負わねばならない

タワマンって管理がしっかりしてるんですよね?
私は特に聞きたくもないことを聞いた
先輩がタワマンの2階を買ったのは管理がしっかりしているからだと人伝に聞いていたからである
先輩はロールスロイスの例を出し、いかにタワマンの管理がしっかりしているのか熱弁した

ある時ロールスロイスが砂漠で動かなくなったという
ロールスロイスのオーナーが代理店に電話すると、しばらくしてヘリコプターが舞い降りてあっという間にロールスロイスを修理して飛び去った
ロールスロイスのオーナーはそのことに甚く感銘を受け、後日、ロールスロイスの本社に電話して謝意を述べた
しかしロールスロイス側はこう言った
「我が社はヘリコプターなど飛ばしておりません。なぜならロールスロイスが故障することはありませんから」と

知ってるか?
車もマンションもメンテを買え、って言うんだ
どっちも高い買い物だけど、そこにメンテナンスの分まで含まれているかが肝心ってことだ

先輩はドヤ顔だった
持ってもいないくせにロールスロイスに乗っているかのような口振は見事と言いたい
隣に途中から座った客がいたら、この人はロールスロイスを持っている人だと思っただろう
しかし、それは幻想である
私は生まれてから一度もロールスロイスを持っている人と話したことはないが、それは先輩のような人ではないと願いたい
ロールスロイスに乗る人には、深みというものを持っていて欲しい
そうでなければ、憧れの行き場がなくなってしまう

隣の席の奴の表情を盗み見すると、やはり先輩の話に聞き耳をたているようだった
これはいかん
ここから間違った認識が広がってしまう
そう思うと、「先輩が住んでるのって2階ですよね」と言ってやりたい衝動が頭をもたげてきた
これは正義なのだ
間違った認識が広がるのを防ぐのは正義である
そう思うと、いてもたってもいられなくなってきた

しかし先輩には私のそんな殺気を感じる能力があるのか、また話題を変えた
「大学の時にさ、ふざけた金持ちがいて、そいつがポルシェに乗っていたワケさ。で、俺、ボクシングやってるじゃん。ムカついたからそいつのポルシェの運転席側のガラスをコイツで叩き割ってやった」
先輩は拳を誇らしげに私に見せた
今もボクシングをやっているので、拳には拳ダコがある
だが私は空手をやっている
空手家から見ると、先輩の拳はまだまだ甘い
富士山でいうと車で登れる五号目程度
つまり誰でもそれくらいならなれる、というレベルである

へー、凄いですね。本当に割れるんですか?
私は意地悪な気持ちのまま、話を合わせた
「ああ、気合いだよ、気合い。お前も空手をやってるならわかるだろう」
まずいことになった
このまま話を合わせたら、空手家としての私の信頼まで損なわれることになる
車のガラスは無理なんじゃないすか?粉々にならないように、衝撃を受けても蜂の巣のような模様ができて、簡単には割れないんじゃないですか?
私はガラスの構造という客観的な指標を持ち出し、先輩の発言に疑義を申し立てた
「いやいや、それはフロントガラスのことだろ。閉じ込めらた時脱出できるように、サイドのガラスは衝撃で粉々に割れるんだ」
確かに、言われてみれば記憶の中にある蜂の巣模様の割れ方はフロントガラスのものだ
サイドのガラスについては知識を持ち合わせてはいない

だが、それが人の拳で割れるのだろうか
ましてやポルシェである
しかし、この話、私には決定的な論拠がないため、このまま話しても水掛け論にしかならない
流石ですね、と言って私から話を打ち切った

「まったく、この前は大変だったぜ」
後日、会社の後輩と同じ中華料理屋に行った
「あの人さ、ここで吹きまくるのよ」
「吹きまくるって、またアレですか?」
そう言って後輩は、口元で手のひらをパッと開いてみせた
「まあ、ホラじゃないんだけどさ。省略が絶妙なのよ」
「確かに絶妙ですよね。レクサス、レクサスって言うけど、下から2番目の車種でしょう」
「レクサスくらいならまだ罪は軽いけど、この前なんかロールスロイスに乗ってる感じになっちゃって。隣の人にまで確実に届く大声で話すからさ、隣の人まで興味津々よ」
「あー、状況が目に浮かびます」
「なんであの人、あんななんだろうね?何でもいいから自分をよく見せようという意欲が凄まじいね」
「うーん、それはやっぱりアレだからじゃないですか」
後輩は意味深に笑った
「え、アレって何?あの虚勢の裏には何かあるの?」
「え、知らないんですか?あの人、3代くらい前の社長の息子ですよ」
「えー、まじ!」
全く初耳だった
しかし、そう言われると、名前は3代前の社長と一文字違いである
うちの会社は親がいる場合入社できないことになっているが、その先輩は中途で入った
そう言えば、その時期は3代前の社長が変わった時期だ

「全然知らなかった。お前いつから知ってたの?」
「そんなのみんな知ってますよ、最初から」
確かに私は社内の内部事情に関して疎い
以前、通っていた会社の近くの歯医者で、若い歯科衛生士から人事情報を得たこともあった

その後、オフィスに戻ると先輩はこれみよがしに携帯電話に向かって英語で話していた
まだ昼食から戻っていない社員が多かったので、部屋の端にいても先輩の強引な感じの英語は聞こえた
先輩の業務内容は把握しているが、その中に英語で話す仕事はない
会話の内容を注意深く聞いていると、明らかに仕事とは関係ない
かといって、友達という感じがしなかったのは、会話の内容が薄いからだった

もしかしたら、英会話のオンラインレッスンかもしれない
そう思ったら、急に先輩が愛しくなった
それほど優秀でもないのに、皆が社長の息子だと知っているというのは過酷なことだろう
社長の息子というとでなく、実力で認めさせたいが、その実力がない
これが小さな同族経営の会社なら何の躊躇もなく社長の息子という立場を謳歌できるのだろうが、私が勤める会社は1万人受験して50人しか合格しない超人気企業
社員は皆、超優秀だ
ちょっとでも見劣りすれば、社長の息子だから、と陰口を叩かれる

先輩の英語の電話はまだ続いていた
できれば、次のレッスンの予約は人が聞いていないところでやった方がいい
私はそう先輩にアドバイスしたかった


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?