切り干し大根

「癒し」という言葉を、巷で頻繁に目にするようになって久しい。

「癒し」と聞いて連想するもの…

リラックスするアロマテラピー、モフモフの可愛い犬猫、ストレスを忘れさせてくれるあまーいスイーツ、疲れた身体をほぐす温泉、心地よい音楽…。

そんな、いかにも女子っぽいイメージを抱いていた。

それが、昨夜のこと。夕食を前日の残り物で済ませようとしたら、あまりにも淋しい状況。せめて何かあともう一品と思い、台所の引き出しをがさごそしていたら、乾物コーナー(というかただ単にしばらく賞味期限を気にしなくていい食料を突っ込んでいるだけの引き出し)に、切り干し大根の袋を見つけた。

大根だけでなく人参も入っていて、「おおこれは便利」と以前スーパーで買ったもの。大根がしなしなに縮んで袋に収まっている様子には見慣れていたが、人参までもが鮮やかさを失い、しなしなになっている光景はやはり珍しく、そしてなんだかちょっと切ない気もした。

しかしそんなセンチメンタルな気分は一瞬にして、「これで簡単に一品できる!」という現実的な喜びにあっさり差し替わり、すぐにお湯を沸かし、浸して戻す。戻ったらかるく絞り、ごま油をひいた鍋でささっと炒め、出汁を入れてぐつぐつ。

もう後はじっくり煮て味をしみこませるだけ、ここからはひたすらホーロー鍋のチカラに任せて…と思ったら、心に訪れたのは、妙な落ち着き。そこでふと気づいた、どうやら自分は切り干し大根に「癒されて」いるようだということに。

まさかこんな素朴で地味(失礼!)な存在に「癒されて」いるなんて、と思ったが、切り干し大根を煮る鍋を見つめながら心の落ち着きを感じたのは、この日だけではない。思い返してみると、毎回そうだった。

切ないほどにしなしなだった姿から、水分を与えられてかさを増し、最終的には出汁やお醤油がいい具合にしみた滋味深い一品となる…なんと尊い変化だろうか。


あの夜、切り干し大根のことをこんなに熱い視線で見つめていたのは、日本中でわたし一人だったかもしれない。

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