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忙殺と余裕の間ちょうどいい感覚(菜根譚)

こんばんは📚

今回は『菜根譚』からお届けします。

人生はなはだ閑なれば、則ち別念秘かに生じ、太だ忙なれば則ち真性現れず。
故に士君子は、心身の憂いを抱かざるべからず、また風月の趣にふけらざるべからず。

菜根譚


(意味)

人生において暇すぎても雑念が起こるし、忙しすぎても本来の自分の真の姿を見失ってしまうものだ。
したがって君子は、心身の苦労をする一方で、風流を嗜むことを忘れてはならない。

どんなときもくつろぎを忘れない。

 仕事をしていると、繁忙期は訪れます。また、自ら仕事にのめりこみ過ぎていることがあります。充実した忙しさの後の質の良い疲労感をむしろ楽しんでいるフシもあります。

 それ自体悪いことではありませんが、この言葉でたしなめているように、それが「常態化」すると、自分を見失い、セルフコントロールが効かない状態に陥ります。

 そんな時の息抜きタイム、文化的な活動でメンタルを癒す時間を作ることをすすめてくれているのです。

note の執筆時間は、心の平穏に役立っている

 そこで、ふと今noteを執筆している自分を振り返ると、心穏やかに過ごしていることに気づきました。
 そっか、この感覚なのかな、と合点しました。

 普段私は古典の訳本や解説本をパラパラと眺め、心に残った言葉を抜き出して記事に書いています。自然と、今気にしていることに対する先人からのヒントをもらっている感覚です。

 今日も癒しの時間を過ごすことができました。そして読んでくださったみなさんにも感謝です。

 ではまた!

(参考)


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