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日々の生活の中にある価値観を見直してみる(菜根譚)

おはようございます📚

 週末は午前中に気持ちを落ち着かせて、古典の言葉に浸りnoteの記事にしてみる、という習慣になってきました。
 孫子よりも菜根譚の世界観。自然と暖かな内容の言葉を選んでいる気がします。

(今日の言葉)

一の楽境界あれば、すなわち一の不楽の相対峙するあり。
一の好光景あれば、すなわち一の不好の相乗除するあり。
ただこれ尋常の家飯、素位の風光、
わずかにこれ個の安楽の窩巣かそうなり

菜根譚 後集六〇

(意味)

一つ楽しいことがあれば、すぐに楽しくないことが起こる。
一つ良いことが起これば、すぐに良くないことが起こって
相殺されるものだ。

日々いつものご飯を食べ、今の地位であるがままに生きてこそ
本当の楽しみがある

日々の生活の中に楽しみを見出す

 この言葉は、守屋洋さんの「菜根譚」の中で出会いました。

 平日の通勤電車で読んだら、もしかしたらnoteの記事にしなかったかもしれません。

 日々事業開発のために走り、自己成長のために学ぶ、それがオフィシャルな自分の側面だとしたら、

 一日のうちの一瞬、週末のホッとするひと時に現れる、別の側面のことをもっと「日々の幸せ」として感じてもいいんじゃないか、と言ってくれている気がしました。

守屋さんの解説を引用します。

中国の社会は、儒教道教という二つの教えが相補完しながら人々の生活を支えてきました。
儒教というのは、自分を磨いてしかるべき地位に就き、社会有用の働きをしようという思想です。いわばエリートの思想であり、表の道徳と言ってよいでしょう。
しかし、それだけになりますと、競争や足の引っ張り合いが激しくなって、世の中が息苦しくなります。そこで、それを補ってきたのが、裏の道徳とも言うべき道教です。

「世界最高の処世術 菜根譚」(守屋 洋)


心を平らかに保つ

 中国人は、激しい競争社会において自分を崩壊させないように儒教と道教を自らの中に併存させていたのですね。

 順調なときは道教を忘れてしまいがちですが、逆境にあるときには道教が心の支えにする。
 人が人として自尊心を保ちながら自らの役割の中で納得して生きていく、そのための処世訓でした。

ではまた!

(参考)


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