過去から現在へと舞い戻って。
創業から100周年を迎える株式会社宮原/新島酒蒸留所、その”今”を支えるふたりについてご紹介したい。
■宮原 淳(あつし) Profile
■櫻井浩司 Profile
現在、宮原社長の下で杜氏を目指して修行中なのが、櫻井浩司さんだ。浩司さんは”麹”さん、蔵人にぴったりの名前ではないか。
2009年、彼は甲子園を目指す夏の第91回東東京大会に新島高等学校野球部の一員として出場した。2回戦で強豪「日大豊山」と対戦、結果はなんと33:0で5回コールド負けとなった。が、浩司さんがチームで唯一人粘りに粘って相手投手からヒットを奪ったという。
櫻井さんも3年生の時に七福薯(あめりか芋)栽培にたずさわり、2年後の成人式で『七福嶋自慢』を記念品として受け取った経験者でもある。
■入社以前すでに遭遇していた、師と弟子。
NHK-BSで放送された『新日本風土記』「東京島酒、もう一杯」の中では、宮原社長が帰島したい若者がいるとの紹介を受けて櫻井さんを採用した、というシーンがあった。
実は宮原社長と櫻井さん、ふたりは2016年の正式入社以前、偶然にも出会いがあったのだ。縁は異なもの。
2014年3月、新島産100%焼酎づくりのために大麦の試験栽培を行った際、農家で麦踏みなど農作業のために東洋大学からボランティアの学生たちが来島した。そのグループのリーダーを務めていたのが在学中の櫻井さんだったのである。
と記事の末尾にもある通り、櫻井さんは若いながらも人生いろいろな経験を積んでいるようだ。
■ひとりより、ふたり。
孤軍奮闘していた年月。しかし櫻井さんを迎えて二人三脚で取り組むフォーメーションが生まれたことにより、かつての、独りで蔵を支えていた過酷な状況は和らぐことに。
さて、現在の仕込みはどのようなものか。次回は、工程の一例として麦焼酎『羽伏浦』の製造プロセスを追ってみたい。
(<6>に続く)