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アルミ工場の爆発は災害の狼煙だった!

2018年7月6日
連日降り続いてた雨…でも真備町では災害が起きるほどの雨量は感じていなかった。昨夜は雨の中、岡山市内で講演を聴講して懇親会にも出席し最終電車で帰宅した。普段と何も変わらない。当日は自宅兼事務所で普通に仕事をしていた。ニュースで情報を収集しながらも数年前に小田川が越水寸前の時に比べたら周りの田んぼや水路の水は大した事はないなと思っていた。

それは「正常バイアス」そのものだった。
人間は不幸な体験を望んでいないので「そんなことは起こらないだろう?」と無意識に信じてしまっている。このことが邪魔をして危険を察知し難くしている。

私は地球温暖化で異常気象が通常気象になってる事、仕事も地下ライフラインの耐震化にこだわって仕事をしていたし、地域の何か役に立ちたいという想いから防災士になっていた。防災士になって初めてハザードマップを見て我が家は高梁川が決壊すると5mも水が来ることも知っていた。

スケジュール帳の7月6日の欄に「23:03 経験のしたことにない衝撃波を感じた。高梁川が決壊したかと思ったが北側の窓にキノコ雲を見る→アルミ工場だ」とメモが残っている。
その爆発音は30km程離れた西大寺の知り合いにも届いたらしい。爆発後、SNSでも騒がれていた。「カルピス工場が爆発した」とか間違った情報が飛び交っていた。
…でも私は確認していた。先日もアルミ工場で火事が発生して消防車の数にびっくりしたばかりだ。日頃から管理の悪い工場だっと思っていたから炉が水没したに違いないと。

この狼煙は多くの人たちの不安を駆り立てた。私も「これは避難所に人が押しかけて大変だぞ!」と、防災士として避難所へお手伝いに行くことを考えた。
家族会議で指定避難所の岡田小学校避難所へ家族皆んなで避難を経験してみようとなった。そうここでも水が来るとはこれっぽっちも思ってないのだ。
一晩、避難を経験して明日の朝には帰ってこよう。みゅー(三毛猫)は「お留守番ね。」とご飯を多めに器に残し、リュックを背負おって、運動靴を履いて出発。避難所には多くの人が車で押し掛けてるはずなので我が家は歩いて避難した。

岡田小学校への道は渋滞していた。もう運動場は車で一杯。岡田地区まちづくり協議会の人たちが別の避難所へと誘導していた。

平成30年7月西日本豪雨災害の際に真備町で亡くなった51人のうち、8割以上の42人が住宅1階部分で遺体となって発見されていた。42人のうち36人が65歳以上の高齢者。足が不自由だったり杖を使ったりする人らが多かった。アルミ工場の爆発が無かったらこの数字は増えていたかもしれないと思う。

事前に高齢者や要援助者を避難する仕組みづくりが大切だ。事前に決めてないと起こってからでは遅い。私も近くに住む義母と事前に決めていなかったので、電話連絡もつかず、声をかけに行ったが会えず避難した。

事前にって…いつまでにすれば良いのか?
いつ起こるかわからないので今からするしかないとなるのである。

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