五流監督
たまに、自分の人生を俯瞰的に、言うなれば物語的に見てしまうことがある。自分がしたいと思ったりやりたいと思うことではなく、こーゆー展開もありえるな、逆にこーなったら面白いなみたいなことを生活の中で思うタイミングがある。
わかりやすく言うと、ドラマチックにしようとしてしまうと言うことに近しい気はする。ドラマチックに『なってしまう』ならばいいとは思うが、ドラマチックに『してしまう』のはあまり良くないのではないかと思う。
思うだけならいいのだが、それを行動に移してしまうことがある。心の底からの考えではない、自分が描いたドラマチックが、自分の体を突き動かしてしまうようなことがあるのだ。
突き動かすとは言ったが、何も無理矢理と言うわけではないのが、またタチが悪いと思う。僕は自分自身の行動や考えなどにあまり自信を持てない。僕の中では正解だと思うけれど、世間的には非難されて然るべきだと思ってしまっている。言葉にするのは難しいのだが、ドラマチックに寄りかかった方が楽だし、自分の本当の意見よりはそっちの方がおもしろいし魅力があるんだろうなと感じてしまう。
簡単に言うと、自分から逃げているだけなのだ。
でも、そんな自分は好きじゃない。(好きじゃないってよりは、これにより大きな大きな失敗をしたから、好きじゃなくなったと言う方が近い気はする。)変わりたいと思う。
だから、最近は本当のことを言語化し、自分に言い聞かせるようにしている。簡単だとおもっていたけど、意外と難しい。感情を言葉にする語彙力がたりない、自分の華のなさと向き合う根性がたりないさ、自分の本心を背負うことの責任感のたりなさなどのいろんなたりなさにもきずけた。
なによりも、現実は辛い。ドラマチックにする方が断然に簡単で楽なのかがわかった。自分の本心とはいかに残酷で、ドラマチックではないのかもわかった。
ドラマチックに振り分わされるのから脱却しようとはしているが、まだ完璧には抜け出せていない。そのせいでつい先日も大きなミスを犯す可能性も出てきてしまっていた。今考えてもゾッとする。そのことがいかに良くないかを説いてくれた人がいた。こんなクソ野郎とそれでも一緒にいてくれると言ってくれるのだから、その人には頭が上がらない。
ただ、ドラマチックに振り回されることがいけないことで、辞めなければいけないと言うことに気づけただけでも、成長なのかなとは思う。
こんな僕の成長を認めてくれ、時には馬鹿にして、一番応援してくれるような近所の年上の巨乳お姉さんが現れるなんてドラマチック脚本を僕の最後の脚本として実現させてください。巨乳お姉さん募集中。もちろん主演は僕です
人間最底辺の生活は続きそうです。
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