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ウラオモテ

なるべく無いように生きているのだが、実は裏があったりする。

そりゃ、表面上は良い子、いい人で居たいと思うが、ポロッと溢すこともあれば、本音が出てしまうこともある。嫌だなぁ、と思っても、頑張っちゃうこともあるが、後から面倒だなぁと心底思うこともある。

しかしお利口に出来ていないので、承認欲求は強く無い方だ。誰かさんのように、「わたしの言っていること可笑しい?」「間違ってないよね?」と同意を求めることは余りない。もしかしたら、とんでもなく間抜けなことを言ってたり、間違いを侵していることもあるかもしれない。人間万能でないから。長い人生の中、「あぁ、そうだなぁ。わたしって、案外変かも知んない。」と思うこと何度もあるからだ。

承認欲求の強い人って、結構いるものだ。特に頭の良い人に多い。いわゆるお利口さんタイプの人に多いのだ。その人が正しいと思って、振り翳す論理、言い分には、絶対感が滲みでていて、「言う通りになさい。」「あなたは間違っている。」と言葉にはしないが、そう言われているような感じが漂っている。そこで「それ違うよ。」とか「でもね。」言葉を紡ごうとすれば、ことも無げにスルーされてしまうか、さらに「あなたは間違っている。」と言う論理を繰り返されるだけだ。

つまり相手の言葉をすっ飛ばし、自分の言い分だけを強制的に押し付けてくるのだ。相手は「そうだね。」と言う同意が当然あるものとして、さらには「流石だね。」「それはすごいね。」「あなたの言っていることは正しい。」「ありがとう。」「助かりました。」と言う言葉を要求しているのだ。

だからとは言え、それに従うのは癪だから、わたしも負けじとスルーするのだ。「あなたは間違っている。」とも言わない。それに本気で付き合うと、精魂尽きてしまうこともあるからだ。無駄なのだ。エネルギーの無駄遣い。

この前「人の悪口大好き。」と言っていた79歳のおばあちゃんに出会った。颯爽と自転車に乗り、ジムに通っちゃうような方で、見た目65歳と言っても、信じちゃうような人だった。そのパワーたるや、相手の正気を吸い取る勢いだった。その人は聞かれてもいないのに、サラッと自分の年齢を言い「お若いですね。見えません。」と言われるのが当然のように振る舞っていた。これこそ承認欲求の最上級と言うべき攻撃。確かに話は面白いし、楽しい。でも一緒にいると、後でどっと疲れるのだ。承認欲求を求めてくる人って、後で疲れるのだ。

そのことをタイピングしながら、いろんな人のことが、頭に浮かんでは消えている。こうやって思っているわたしも実はこんな裏があるんだと認識するが、その意思が出るのは、このnoteの上だけ。人前でやると、その言葉に大きな責任を背負うことになる。くれぐれも悪口、噂話は控えめに、、、と思うのであった。

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