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「普通」と言う定義

最悪。死ぬと言うことはないが、それくらい辛い思いをするのが精神面の病気たる所以である。まるでジェットコースターに乗っているような精神状態を、いままで経験してきた。落ち着くこともあれば、急激な辛さを覚えることもある。

話すことで、幾らでも解消はできるのだが、その相手がいないのである。

親しい友人がいたとしても、気軽に相談することもできない。そんな辛さを抱えている。例えば上司のパワハラで悩むことがあって、それを受ける健常者のそれとわたしのような精神病を患って障害者となっているもののそれと同じだと思うのだが、健常者は違うと思っている。それくらいギャプがあることなのだ。

その状況を見ている人で同情的なひともいるけれど、それで相談に乗ってくれたひとも居なかった訳ではないが、昔から知り合っている友人からは一線をひかれてしまうのだ。それも差別的で非常に辛いことだと思う。

相手が落ち込んだ時の話を聞かされることはあるのだが、聞いてもらうことはない。その相手の話の所為で、こちらがドロドロに疲れてしまっても、毒を吐かれて嫌な思いをしても、それに対する感謝もあまりないのだ。

そのような状況から脱したいとは思うのだが、なかなか上手くいかない。いつも損な性分で、辟易するのだ。辛い思いしているから、そう言う話しを聞くのが得意だと思われている。そんなことない。わたしだって、毒を吐かれるような話は聞きたくもないのだ。ただ昔からの友人と言う思いがあるので、そう言う話しを聞かされるから、黙って聞くしかないのだ。

損な性分だ。それ以上の辛い思いをしてきたんだと自分でも思う。だからどちらかと言えば、平穏で楽しく過ごしたいし、静かに暮らしたい。人生を引っ掻きまわされたくないのだ。相手の承認欲求やら同情の押し売りを受けたくないのだ。そしてそう言う人に限って、マウント取りをしてくる。別に指図や批判を受けたくないのだ。間違っていても、自分で解決したり、考えたりしたいのだ。

障害を持った人だからと言って、自分を優位に立たせ出来ないでしょと押し売りの如く、話しを展開させられると、はっきり言って迷惑なのだ。普通、健常者同士だったら、そんなことしないよね。失礼だよね。その失礼を障害者だからして良い訳がない。そうされることが辛いのだ。これはどんな人でもそうだと思う。日本人から見た日本の外国の人だってそう。他の身体不自由な人だってそう、LGBTの人だってそう。

普通って、どれをどうしたら普通なの。普通過ぎる人が、実は一番普通じゃないってことあるよね。愚痴言ったり、批判したり、嫌がらせしたり、それで普通なの。普通じゃないよね。わたしとこと、普通じゃないと思っている人がいる。そう言う本人は普通なの?どんなに心理学勉強したって、精神分析を勉強したって、わかる筈ない。だって先生たちだって、処方箋は出せても、完治することはほぼできない。そしてはっきりと原因わかる人は殆どいないだろう。

それでいて、なにを以てして普通なの?普通の感覚にこだわり過ぎること自体がちょっと異常なんではないかと思うこの頃。

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