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障害者雇用がはじまりま……した?―障がい者として働く・暮らすということ―2

時系列を少し頭に戻します。
鬱病になった当時、自分は一般雇用の無期契約職員でした。


鬱病になって、一番最初に困ったことは、投薬からくる眠さでした。
有給はみるみる減り、職場(当時は役所の外郭団体)に精神病であることを、カミングアウトせざるを得なくなりました。


カミングアウト翌日、出勤すると毎朝自分の机にくるはずの、担当職務の書類がありません。
スタッフに聞くと、上司が「今度から○○さんに」と指示したと言います。

すぐに上司の机に行くと


「辟音さんは、病気だから」
「病理就業とは、そういうものです」

と、碌に説明もされずに、10近くあった担当職務全部が取り上げられ、
決裁も不可と、書類作成もさせてもらえず、
仕事も碌に与えられずに、デスクに座っているだけ
という日が続きました。


主治医に
「辛い、くやしい、引き継ぎもさせてもらえなかった」
と訴えたところ
「もうやめよう、よくないよ」
と言われました。

翌月職場に出された診断書には、「休職を要する」
と書いてあり、自分の意思とは関係なく、
ただ "鬱病になった" という理由だけで、仕事をさせてもらえない現実から、切り離されることになりました。


鬱病の治療薬を飲む前は


・だるい
・何も考えられない
・いつの間にか時間が過ぎている
・頭が重い
・苦しい
・記憶が曖昧
・食事の味がしない
・眠れない

という症状がありましたが、
心療内科・精神科で適切に治療を受けて、それらの症状は劇的に改善しました。

就業中あれだけ悩んでいた眠気も、主治医と投薬の変更で、ほぼ普通の生活を送れるようになっていました。

にも関わらず、仕事をさせてもらえず、家に引きこもることになり、何をすればいいか分かりませんでした。


休職中は "休むこと" を目的としているので、「旅行はご法度」と上司に言われ、
離れて暮らしている祖母に会いに行くのも躊躇われましたし、
自分の心には、暗くて重い何かが残ったまま、数ヶ月引きこもり生活をしました。


ただ、病気になっただけで、扱いが変わった現実。
好きで関わっていた仕事をさせてもらえない現実。
スタッフに何も言わず、引き継ぎもさせてもらえず、逃げるようにいなくなった自分。

"自分が今まで頑張ってきたことは何だったんだろう?"

全て、無でした。

ただ、会える距離にいる
両親も
兄夫婦も
友人も
病院の人達も
処方せん薬局の人達も
買い物に行く先の店員さんも
誰も、
自分が鬱病患者だからという理由で、
変な態度を取ったりしませんでした。

自分は今まで通りの"自分のまま"でいられるのに、仕事だけがなくなりました。


だから、忘れていたんです。
"障害者" というだけで、普通の人はどういう反応をするか。


6/1、自分はとある官省庁の廊下を、転職のたびに穿いた黒い革靴で歩いていました。

もう一人の障害者雇用の子と入れ替わりで、ふかふかした絨毯の部屋に入り、"任命書" を貰いました。
任命書と言っても、そこには『国家』という文字も『公務員』という文字も『官職名』も『省庁名』もありません。
自分の名前と任期と日額、任命者名だけでした。

自分は公務員になりたい訳ではなかったので、
ただ日額を初めて提示されて、ほっとしたのを覚えています。
2年、ほぼ"自分で稼ぐ" ということをしていなかったので、
これでやっと、切り詰めた生活が少し楽になると思ったのです。


事務室に向かいながら、世話役の人が言いました。

「事務室のみんなには、大きい声が苦手な子が入ってくるから、気を付けてねって言ってあるから」


障害者雇用には、必ず "配慮事項" というものが付いてきます。
自分は、鬱病の決定打だった
"会議室で怒鳴られ続けた"
経験が気になっていたので、大きな声を避けてもらうよう、予め伝えていました。

自己紹介があらかた済むと、
「仕事を教えてもらって」と、先にいた非常勤さんを紹介されました。

でも、仕事を覚えようと近づくと
「あなたはいいです」
とその非常勤さんは言います。

自分も覚えなければいけない仕事のはずなのだけど?と思いつつ、
支給されたPCのセットアップ、テレワークの準備をして、初日は終わりました。


『それ、精神的なものじゃないよね?(笑)』
『疲れちゃった(笑)』

次の出勤日、電車に間に合わないと判断した電話に、そんな返答が返ってきました。

返答したのは、初日案内してくれた世話役の人です。

「違います!」

即座に強く否定しましたが、電話の向こうから、苦笑いが返ってきます。

就職3日目のことでした。

(3に続く)

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