夢なんて見てんじゃねーよ
「夢なんて見てんじゃねーよ」
1995年。
僕は高校3年生だった。
「バブルが弾けた」
とか、新聞やテレビでは言っていたけど、
社会に出てない僕は
何のことだかわからなかった。
僕はけっこう成績が良くて、
大学進学率99%の進学校に通っていた。
でもじつは高校受験の時点で
高校にも行きたくなかった。
でも、
みんな行くし、
成績が良いと、みんな褒めてくれるし、
中卒だとろくな仕事に就けないと
みんな言ってるし、
そこに乗じて、
15歳の若さで
社会に出るのは怖く、
別に大工さんとか、美容師に
なりたいわけではなかった。
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中学1年生から
大学ノートに「詩」らしきものを書いていた。
誰にも見せることのない自由帳だった。
ギターを弾いて、歌いたい。
と思っていた。
当時、バンドブームだったので
それを「バンドがやりたい」という言葉で
言語化していた。
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そういうことがやりたかった。
こういう人生を歩みたかった。
「何か」を
掴まえたかった。
何か規定の職業につきたいという
目標は
まるでなかった。
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モラトリアムで高校に進学して、
あまり楽しくない3年間を過ごした。
それなりに友達も出来たが、
今、思い出しても、
僕のこの時期の青春の風景は
学校サボって、ウォークマン聴きながら
自転車こいで、古本屋巡りをした、
そんな日のサイクリング道路や、
海や青空が
大きな印象として残っている。
ノスタルジックは
「人」ではなく、
土地の空気なんだな。今でも。
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そんなモラトリアムの高校生活、
終わり頃、3年の2学期、
いつも学校帰りに麻雀してる友達が
「夢なんて見てんじゃねーよ」
と言った。
迂闊にも、
自分のやりたいことを話してしまったのだ。
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いつも帰りを共にする
友達らしき帰宅部仲間も
そろそろ受験へのプレッシャーを感じ始め
「麻雀もそろそろ控えよう」
という雰囲気だった。
僕は全く、大学受験なんて
する気がなかった。
麻雀に付き合う自分にも
うんざりしていた。
こんな高校時代のような
生ぬるい日々を
この先も大学の4年間続けていくなんて
ありえなかった。
かといって、
はっきりと「何」がしたいという
ワードは持っていなかった。
仮に「音楽がしたい」と言った。
すると
「音楽系の専門学校とかいいんじゃない?」
と、親切な人は応えてくれた。
「音楽系」ではない。
「音楽」がしたいんだ!
当時まだろくに楽器も弾けなかった僕は
後々この信念で苦しむことになる。
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当時、もっとキャッチーで
リアリティのある「仮」の言葉で
「バンドで食っていきたい」
というワードがあった。
「B、Dr募集。当方プロ志向」
なんて張り紙が、
スタジオの掲示板に貼られていた時代だ。
「二十歳までにプロになれなかったら
俺は音楽をやめる!」
と言って、
高校を中退して、
プロ志向のバンドに入って、
ドラム叩いて、
メキメキと上達して、
業界とのコネも作って、
メジャーだかインディーズだかの
デビュー直前まで、後々行くことになる
親友(?)がウザかった。
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若いと、
そういうガツガツした人が
そこそこ先を行ってしまうし、
若いと、
本質的な想いを探究し、表現するには
まだまだ実力や深みが足りないし、
結局、黙々と歩んで、
歩いた道で
ようやく「表現」ができるんだよね。
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「夢なんて見てんじゃねーよ」
迂闊にも言ってしまった僕は
同級生から傷付く返答をもらった。
お前こそ何様だよ!
同い年で、同じ世間知らずじゃないかよ。
「大学行って就職しないと
幸せな人生を歩めませんよ」
なんていう浸透したプロパガンダを傘に
威張ってんじゃねーよ!
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当時、一人だけ面白い授業をする
現代社会の先生がいた。
彼は高3の僕らに
「君たちが大学を卒業する頃には
『不景気』ってやつがやってくるよ」
と言っていて、
僕含め、誰もが全然リアリティを感じれない
時代の雰囲気だった。
「インフレ」「デフレ」を習い、
「デフレ」に関しては、
ただ「インフレ」の比較対象用語で
あまり気に留めなくてもいい言葉だった。
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同級生の彼にも
何か事情があったのかもしれないな。
暗澹たる時代の波が
もしかしたら
いち早く「家庭の事情」とかに
流れ込んでいたのかもしれないな。
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僕は僕で、
そんなこと言われたら
やるしかなかった。
高校3年生の2学期、
選択教科の美術なんて、
誰も真面目に受けないし、
先生すらも
「受験を優先していいですよ」
という雰囲気の中、
独り、
「高校卒業して家を出て
一人暮らしをする際に、
部屋に飾っておきたい絵を描く!」
というだけのモチベーションで
真剣に絵を描いた。
それを終えたら、
ちょうどみんな受験ための勉強に
追われ、頑張っている11月の終わりに
僕は勇気を出して
千葉駅の路上に行って
ギターを弾いて歌い始めた。
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その後のサクセスストーリーに至る道のりは
割愛しましょう。
色々あったような、なかったような・・・。
そして今に至る!
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大分の山間の田舎の村で
家族を持ち、両親もこちらに連れて来て、
今は近くの老人ホーム。
子どもを育て、田畑を育て、
音楽活動は週2回のツイキャスライブ。
「プロミュージシャンです」
などという頑張った主張はしなくなった。
出来ることならやらせてもらうし、
スゲー人アピールは
もうしなくなった。
出来ることなら
今、配信のツイキャスLIVEのような
リラックスした気持ちで、
自分の描いた想いを歌える機会が増えて
日本や世界を巡っていけたらな…
なんて思って、
韓国語で歌ったり、
去年は中国行って
中国語で歌ってきました。
18歳の頃に感じた情景を
ようやく自己表現出来るようになった!
と喜んだ先に待つのは、
「多くの人に聴いてもらいたい欲求」。
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ここまで読んでくれて
ありがとうございます。
このnoteを描きながら、
これらの曲を思い浮かべていました。
よかったら聴いてください。
まだまだ
表に現していきたいです。
応援よろしくお願いします。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。