見出し画像

「幸せ」について

僕は常に、
根っこの本の心に
幸せを望み、
幸せになり、
幸せであることを
想い描くように心がけている。

そんなもの
いつだって見失ってしまうものだから
「詩」、言葉として
いつか触れた感覚を
定型句で口ずさむようにしている。

その「詩」は
錨のように
しおりのように
目印になって
その「幸せ」と
繋がっている。

もちろん、
「そんなこと想えない」
口ずさむのも恥ずかしい。

そんな時も、
そんな言葉もあります。

それはそれで
眺めるようにする。

口ずさんでは
眺める。

「幸せ」という言葉に触発されて
いろんなネガティブな想いが
現れる。

ネガもあり、ポジもある。
光があり、影がある。
陰と陽。

ふたつでひとつ。

「陰」しか持たぬ者は
それに対する
「陽」の者と出逢える。

どこかにいる。

必ずいる。
だって、
自分を「陰」と認識し、
「陽」とはどんな存在なのかを
創り、たらしめているのは
唯一の「陰」を認識している
自分なのだから。

*************

100人くらいでわけわけして
少しずつ持っているのかもしれない。

悲しいことに
いつまでも笑っていられるはずもなく
でも、
いつまでも
悲しみに浸り続けることは
出来ない。

「無理」がある。

唯、「幸せ」ってのが
どんなもんなのか、
僕はそれに触れ、
どんな感じに触れられるのか。

「僕」を通して
感じてみるのです。

*************

「幸せ」

これを僕は
何で感じ、
どうなれば、
そうなれるのか。

それ自体も
日々經巡る。

元気いっぱいになれれば幸せか?

安らかに休めれば幸せか?

バイオリズムに因る。

ならば、
健やかに、しなやかに、
いつも居れたらいいな。

*************

他人が、
僕と違う人が、
違う感覚で
世界を見ている。
感じている。
触れている。

僕にとって
耐えられないことも、
けっこう平気だったり、
むしろ心地好く
居れたりする人もいる。

僕が憧れるような処に
居る人たちも
彼らは僕ではないから、
本当のところは
僕にはわからない。

唯、わかるのは
僕に「そこ」を
憧れる感覚がある。
ということ。

ということは、
彼らが得ている
環境、人格、想像は
「僕」のものなんだな。

とわかる。

僕が思う「彼」に
いつか、もしくは今、
成ることが出来るのは
世界広しと言えど、
僕にしか成れない。

その当の「彼」ですら、
僕の想う「彼」には
成れないのだから。

*************

ダッサい奴がいる。
冴えない奴がいる。
いけ好かない奴がいる。

そいつが
本当は幸せかなのもしれないし、
そうじゃないかもしれない。

そいつの心配するよりむしろ
自分の心配をしよう。

だって、
奴らは
「僕自身」なんだから。

*************

彼ら、奴らを
憐れんだり、妬んだり。

「し」ているのは
「僕自身」だから。

*************

いる。

いるんだよ
いろんなやつが。

そいつを映して

いろんな僕がいる。

*************

他人のことは
わからない。

ひなたが好きな人もいれば
日陰が好きな人もいる。

ひなたに居たい時もあれば
日陰で休みたい時もある。

*************

僕は「僕」で
僕の声を聴く。

君は「君」で
君の声を聴いて。

ぼくのココロと
きみのココロが
であうトコロは
こころの外です。

きみのココロを
ぼくのココロで
感じるトコロは
こころの中です。

ゲームはつづく。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。