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創造と応え

今朝もついつい早起きして、
夜明け直前の道路に車を走らせました。

そして最近はついつい毎日
ウクレレの即興演奏を撮影してしまいます。

そして、その後のアウトプットが苦手です。

言いたいことが溢れて、まとまらず、
SNSにupするのに
大分時間を費やしてしまうのです。

でも、今日はちょうど、
こんな景色で、最良の音空間に恵まれたにもかかわらず

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トラクターが動き出し、
近くで草刈機の音が鳴り始め、
なかなか調和が難しく、
即決で退散して、
今、このnoteを綴ってます。

あの用水路のコポコポいう音、
蝉時雨前のヒグラシの味わい、
浮かび上がった3拍子のメロディ・・・

あの瞬間とは
もう永遠にお別れなんだな。

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そして、氣づいたことを
言語化して
noteに記す時間にしようと思いました。

じつはいつもこの最近のukulele sketchesで
いつも弾こうと考えているメロディがあります。

それは数年前に作曲して、
コード進行も推敲して、
メロディも口笛で、かなりドレミの意味にこだわっています。

あえて歌詞は要らないと判断。
自分としては、夏に弾きたいメロディです。

この曲を、
いつも心地好い場所に行っては
弾こうと想うのですが
どうもうまくいかない。

弾く氣にならない。

不思議なことです。

それは予め用意したものだから。

いざ現場に行ってみると
そぐわないんです。

そもそも今日は、
現場でウクレレを鳴らした瞬間、
チューニングが狂ってた。

(おそらく)チューニングメーター的には正しいんですよ。

でも、空間の感じと違う。
馴染まない。
ちょっと緩めたり、締めたりして、
ああ、ここだ・・と。

440Hzが身体に悪くて、
何何Hzでチャクラが開く。
とかいう説をあちこちで聞きますが、
感じたとおりを感じれば
それが答えで、応えなんだ、と。

そんな素直な感覚に応えながら
考えたんです。

オリジナル曲の意義を。

丹精を込めて創った曲、詩は
創造、現実を創ります。

マイクがあり、舞台があり、
「芸術」「芸能」という
枠に収まったものだけが
「在る」ものとして追求することが
多くの人が切磋琢磨しているところですね。

その曲を奏で、聴けば、
"其処"へ行く道が開かれる。

枠を定義づけ、「存在」として
留め、いつでも生み出すことが出来る。

人間だけが持ち備えた技術ですね!

*************

話す技術と聞く技術
似ているように感じました。

そう!
ただこの氣付きを書き留めたかったんです。

話すの下手だなぁ・・・

即興で弾ける技術、追求することは、
受け取った上で、適切なアウトプット出来ること。

いつも響きの作用に
氣づかされてばかりです。

作詞、作曲の技術、追求することは、
創ろうという想いを
表に現すこと。

その表現は
僕がやってきたことを考えると
いろんな表現が在って好いと想う。

漠然とした嫌なものを
明確にするために用いても好いし、

ただあるがままを描いて
そこに受け手の感じる侭を信じても好いし、

好みの世界を創るために
いつでも其処に行けるツールとして
使っても好いし。

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創る上で、受けとる感性も必要で、
受け、応えるためには
創る感性も必要で。

でもそれは
別々の筋力として
捉えるのも
目安として
好い考え方ではないかと
想ったのでした。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。