「うれしいや」
「詩」を「歌詞」として、
「音楽」として表現しよう。
この欲求は
僕の保とうとするアイデンティティの中では
とても根源に近いもので、
「これ」をするために
如何にしてやろうか?と、
他のアイデアを練り出す日々です。
noteを書く行為も
そうかもしんない。
部屋や、野原で
独り、歌っていても、
詩、音楽は
誰にも届かないから。
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誰かに何かを依頼されて
そのニーズに合わせて
自分の個性を発揮する。
いわゆる「仕事」
というやつは、
もしそれを得られたら、
とても自分の中でも
優先される事案となります。
たとえ一人の顧客からの
ニーズであったとしても、
「社会的」な意義を持つ
「仕事」です。
そして、
こちら作業の方が
必ず
人と人との繋がりが拡がる。
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「誰かのレコーディングを手伝う」
「スタンドFMで使うBGMを作曲する」
「即興芸術の舞台で即興演奏をする」
「演劇作品のBGMを作曲する」
「ウクレレを教える」
などなど
この15年ほどで
経験させてもらいました。
僕を見込んでいただき、
本当に感謝しています。
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でも、
15年でこの程度ですよ。
ほぼ、
誰からのニーズも
感じられていない日々を、
別のニーズ、
「アルバイト」や、「家の改築」、
「子育て」や「介護」、
「田畑を育てること」に
費やす一方、
業を煮やして
街の路上へタイコを叩きに行ったり、
レコーディングしたり、
ライブ配信したり。
音楽をやめずに
やり続けてきました。
好い音で、
誰かの心に響くとき、
遜色のないように。
メトロノームでタイコの練習。
しっかり声が届くように、
発声練習も欠かせません。
ステージがなくても、
ニーズがなくても、
ファンに支えられなくても。
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ニーズがあり、
ニーズを獲得し、
そのニーズに応えることを
「プロ」として
プライドを保ってきた人たちには
とても辛い時代になったと
想います。
その間・・・
僕は
ずっと辛かったのかな?
「辛い」の先輩に
なったのかもしれません(笑)。
まぁ、「禍」も明けてきた最近、
元々「できる」人たちは、
さっさと雨宿りを終えて、
また旅立って行くように感じ
少し寂しく感じる日々です。
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誰からも求められていなくても
やらずにはいられないこと。
ぼくの「音楽」という行為は
辺りを見渡してみると
そんなに誰もが必要としている行為では
ないらしい。
それを不思議に思いながら、
「仕事」をしないで
「創作」を続ける僕は
いろんな、「僕以外の人」からは
どんな風に見えるんだろう?
時々、それを考えたりします。
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僕が歌わなければ、
誰も歌わない。
歌って現していたい
詩があります。
誰かと
哲学的だったり、
悩みだったりの会話をしていると、
こんなところで
論を諭しているより
いきなり歌いたくなってしまうことが
しばしばあります。
歌わないけどね(笑)
(ミュージカルのリアリティって
ここかもしれないね)
だって
「Aがあって、Bがある。
だからCだよね?」
なんて、
論じて頷いて、
頭で分かり、分かち合ってるより、
「A〜 B〜 C〜」と
歌って踊った方が
早いもの。
「変な人」・・・
なんでしょうね。
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高校生の時に
まるで自分の青春のように
焼き付いている
R指定の「さくらの唄」
というマンガを
思い出しています。
モラトリアムな
冴えない日々の中、
内気な主人公の高校生は
なんとなく「絵」を描いている。
しかし、
運命のイタズラで
ハメられ、ハマり、堕ち、
学校でその18禁な姿を晒され、
全ての信用を失ってしまう。
僅かな「片想い」や「友情」も
打ち砕かれ、
「想像の青春」も失われ、
唯一、黙々と絵を描いた。
存在感なく日々を避け、
描き続けていた絵が、
予備校の先生に
「なかなかいいね」と
軽く褒められる。
そのときの心理描写のひとこと
「うれしいや」
が、今の僕に呼び起こされる。
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モラトリアムなまま
人生の多くを過ごしてきたように
感じたりもします。
モラトリアム?
・・・生きてきました。
今生でのアイデンティティは確立され、
「社会」にその居場所を見出せず、
社会をその居場所として創出する。
人生が
小学校で言う「高学年」に
さしかかってきました。
世間に
「生きづらさ」などという
固定の名詞が確立された。
まるで僕の人生の反映のように。
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「たしかに在ったよな・・・」
忘れたくはないし、
無かったことにはしたくない。
無ければよかったのに、
在った。
生き心地好い人生を望むけど、
生きづらい人生が在った。
水面に浮き上がらせよう。
しっかり現して、
手にとって、味わって。
氣が済んだら手放して
還そう。
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音楽を、詩を、
創り続けます。
「さくらの唄」の
素朴な「うれしいや」。
あんな氣持ちを生み出す
きっかけくらいには
恵まれる人生だと想います。
あんな機会を夢見てます。
マンガの最終話あたりから
夢のような急展開で、
ハリウッド的に
アメリカンドリーム的に
夢が叶う一ノ瀬くん。
そんな現実の表現が
どこか幻想的で
非現実的で。
そんな非現実的な最終話に、
心に残る「ひとこと」で
締めくくられます。
「最初から自分信じて
やってればよかったのよ」
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僕は
この最新作「なおゆきくん」
2曲目の最後の歌詞で
こう歌います。
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「自分」と「他人」の境目が
よくわからなくなります。
与えられたのだろうか?
与えたのだろうか?
どうにもこうにも
「在る」ので
表に
現していこう。
そう想っているので、
佳きタイミングに
聴いてもらえたら、
「うれしいや」。
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なおゆきくん(2023年版)
2023.01.28に完成した レコーディング音源6曲です。 「なおゆきくん」は平魚泳の本名です。 これをなぜアルバムタイトルとしたのか…
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。