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豊かで幸せになれる在り方

コロナ禍があり、
コロナ禍が去った。

当時、
何となく思っていたこと。
誰にも話さず、綴らずにいたので
忘れないうちに
書いておこうと思う。

これは忘れて消えるものではなく、
「今」の下地となり、
埋もれ、影響を与え続けているように
感じるから。

*******

自粛要請がかかり、
社会、街全体が、
人との接触を避けるようになった。

「店舗」という存在が、
ただの商品の受け渡し場所になっていた。

飲食店は
店頭に立ち、マスクをして
テイクアウトの弁当を並べ、
・・・売っていた。

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10年前から予測はしていたが、
こんな感じで「街」が終焉を迎えるとは
驚きだった。

同情と投資の気持ちで
お弁当を買う。
車で食べて、
馴染みの地元の温泉に行けば、
閑散とした営業状態の最中、
「来てくれただけでありがとう」
という感じで、
タダで温泉に入れてくれた。

その時、
すでにこういった
値切ったり、心意気でサービスしてくれたりする
社会の在り方が消えていることを
思い出していた。

雇われ、アルバイトの
何を決断する権利もない従業員に
お金を受け渡す。

値切れるはずもない。

本当に、
自動支払い機で充分だ。

********

弁当を買い、温泉に入れてもらい、
僕は、
お金を払う、受け取る。
安い、高い、
などどうでもよくて、
今の「街」の在り方、
そこで暮らす僕らの
心地好く暮らしていた営みが
消えないでほしい。

そんな願いで
お金を払い、
サービスに感謝しているんだ。
と氣がついた。

*******

僕はすでに
「音楽活動を仕事にする」
という目標は
コロナ云々に関係なく
すでに陰りを見せていた。

コロナ禍の折、
「今までうまくやれてた人が
そのやり方では暮らせなくなる。
という現実はツライだろうな・・」
そんな、
知っている僕自身の痛みを介して
街の活気で生きる人々に
想いを馳せた。

********

そして、
何を「うまくやれていること」
とするのかを
あらためて考えることとなった。

「お金」ではない。
ただ、今ある僕らの営みが
存続してほしい。

それが願いである。

その「営み」が
貨幣経済が基礎となって
成り立っている現実。

という幻想を
実感した。

*******

行けばそこにいる友人。
馴染みのお店。

それが存続しうるのは
お金がしっかり巡ればこそ。

お金が入らなければ、
社会からその存在を消さなければならない。

お金を使って、
そこで買い物をしなければ
そのお店はお金が入らなくなる。

入らなくなると
その存在を消さなければならない。

そこにお金を使わない
ということは
自分にとって
それは必要のないことと
みなされる。

じっさいそういうことでもある。

が、

そんなにどこにもそこにも
お金を使うってのは
けっこうしんどいことである。

そもそも、
僕にお金が入ってこないのだから
僕は社会から
必要のない存在・・・。

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でも、いる。

僕らは相変わらず
この世界で生きている。

お金が廻ろうが、
廻るまいが、
ここで生きている。

今も生きている。

お金なんてどうでもいい。

使えねーもんに
頼ってても仕方がない。

できることをしよう。

今まで、
お金を付随させていた
「大切なこと」は
お金の付随がなかったら
「大切なこと」ではなくなるのですか?

そんな「大切なこと」は
とっとと失くして正解だ。

残ったものが今、ここに在る。

「大切なもの」を
存続させることのできない
「お金の在り方」なんて
要らない。

お金にまだ力を持たせたいんなら、
僕らに
豊かで幸せになれる在り方を示してくれよ。

豊かで幸せな在り方を
今生きる、この世の中で
僕らは示していかなければならない。

そこから、
ここから世界は始まってるんだ。

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