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駅前で歌おうと街へ行った

千葉駅には
3人の目立つ人がいた。

一人はマイクとアンプを使って
大きな音でフォークギターを弾き語っている女性。
手元に置いてあったタブレットは
歌詞が書いてあるのかな?
ライブ配信かな?

もう一人はボイパをサンプリングして
ラップする男性。
やっぱりスピーカーを駆使してるね。

こんな多様な表現者が
街にいるのは活気があってうれしい。

だけど、もう一人は
座っているおじいさん。

みんながスッスと歩く流れに、
ちょっと主張した出っ張りがある。

座っているおじいさんでした。

よく見ると、
綺麗にタイル舗装された街の地面に、
小銭をオセロのようにばら撒いて、
「恵んでください」と
暗黙の主張をしている。

お金を渡せば恵みになるのか?
お金というシステムに見放された人に、
お金は恵みになるのか?

100円くらい恵んでやるか?
いや、恵みになるなら1000円くらいどってことない。
1000円も100円も
流れない今の日本にいる僕にとっては、
この金額の差で解決する問題じゃない。

多くの政治家の論調に寄せると
「1000円も100円も入ってこなければ意味がない。
安定した雇用を増やすべきだ」

どの政治家も言わない僕の氣持ちは、
「雇用されるつもりはない。
日々、創造的な音楽活動で
社会と関わって生きたい」
想いがあります。

なので、それに即した「お金の在り方」で
在ってくれるなら大歓迎だけど、
僕の輝ける人生の味方になってくれないなら
要らん。

そんな立場です。

でも、彼にとっては
その場の急をしのげる価値のある金額が望ましいよね。

スピーカーで歌っている二人は若いから、
夢を追えばいいと想う。
それが街の活気だから。

まぁ、でも、僕は10代の頃から
こんな人が氣になってたけど・・・。
(むかしっからずーっとずーっといるんだよね。
こんなふうになってしまう人が)

僕はもしかしたら
詩なんて歌ってる場合じゃないのかもしれない。
とよく想います。

もしかしたら、
本当にそう想えて、
社会や、多くの他者を想いやることが出来たなら、
もっと僕の人生も
輝くのかもしれないな。

そんなふうにこの時も一瞬、想いました。

でも、その氣持ちを踏まえて、
まだ歌いたいな。
とおもいました。

もっと世のため人のため、
人類の明るい未来を想い描いて
利他的に活動できる人、
利他的な活動こそが自分の人生にも
輝きを与える。

そう想います。

でも、じゃあ
なんで音楽するの?
詩を歌いたいの?

みんなのため?

世界をひとつにするための音楽?

「音楽を生かして、利用して、
世界平和への貢献活動をしようと想います。
ぜひ賛同していただいて
資金提供、ご協力お願いします。
一緒に世の中を平和にしましょう!」

有名な、成功を収めている方々は、
言い方はどうであれ、
次第にこのような大きなビジョンを
持つようになるなぁ・・・
なんて感じます。

それは、利己的にやってきた音楽が
多くの人に支持されて、
感謝、驚きで
徐々に利他的活動へシフトするのかもしれません。

僕には図り知れないビジョン。

飢えや、病気や、諍いや、苦境から、
多くの人が脱してもらいたいと願います。

でも、そこへの何らかのアクションを
僕の音楽で利用できるかと考えると、
「僕の音楽」では無理です。

歌うビジョンが違う。

僕はずっと、とても個人的な想いを、
個人的なみんなの「そこ」に響き合わせたくて。

そんな無謀な夢を見て、
歌うときは、ただ純粋に
「詩」そのものに成ることを心がけています。

用途が違うか・・・。

音楽をいつかやめて、
もっと政治的な活動へ
コミットしていく日が来るのかなぁ?

個人的想いを描くことへの
意識の集中を、
もう少し拡げたら、
そんなふうになるのかもしれない。

両立は出来ない。

表現する時間が足りないし、
個人的に、狭い範囲を描写していた
「音楽」というものが、
「社会活動」という名前に変わるだけ
だろうから。

拡張された意識の下、
社会活動を行なっていたら、
必要とあらば
「僕の音楽」を
利用出来る日が来るだろうか?

いや、それはないだろう。

音楽の「技術」を生かせることは
あるかもしれない。

でも、僕の今、大切にしている
「僕」の音楽の出番は、
「社会活動」に於いては
無いような氣がする。

僕はおじいさんに、
今「詩」を歌って聴かせる必要はなく、
彼を救い出せるような
社会活動ネットワークにも
参加していない。
対処療法的な、
1000円札を渡すことくらいしか
出来なかった。

では、この僕が持っていた
1000円札が何処から来たのかというと・・・

大切に想っていることで
お金が得られないなら、
お金を大切にする必要ないよな。

僕らが大切にしていることを
生かしていけるのが「お金」ならば、
「お金」を大切にしてあげてもいいよ。

先ずは僕らが
「大切なもの=お金」という
宗教的な思考の膠着から抜け出し、
大切なものそのものを、
一人ひとり、再浮上させないとね。

今の政治は、
お金をどこにどれだけ回すか
に終始してる。

そりゃ、思考する余裕がないほど
お金に「衣食住」を握られちゃってる現代だから、
もっともっと
湯水のようにお金を廻らせるべきだと想う。

湯水も金銭の所有に価値を
移行させられて来ちゃってる日本、
湯水より早く、お金を湯水化すべきと想う。

そして、
僕らがこの世で生きる上で
何が大切かってことを
考えよう。

大切な「この世で生きる」ことを
考えよう。

触れてみよう。

けっきょくこの日は
持って来たコンサートサイズのウクレレの
音量が小さくて
(ここ1年半はテナーウクレレ使ってるんだけど
現在修理中なんです)
1コーラスだけ歌って、
静かな千葉公園へ
逃げ帰り、
そこで歌ってました。


そして後日、
大分に帰って、
この文章をまとめていたら、
この
「大切なことを思い出させてくれる」
を歌いたくなって、
河原で歌いました。

まとまらない長文ですいません。

聴いてもらいたいのに、
2000字を超えた上に、
2曲もリンク貼っちゃって。

ゆっくり読んで、
聴いてくれたらうれしいです。

noteの執筆から、
自分のweb siteのブログ執筆に

バランス移す。
とか言っておきながら、
ブログ書けてないっす。

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これがnoteなんだねぇ。

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