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わかんないんだよ。本当のことなんて。どうやればうまくいくのか?どんなことを「うまくいっている」とするのか?

「歌う必要があるのか?」

歌いたい。
歌っていたい欲求はあるけど、
これを優先させなければならない。
という必要性がない。

イベントを企画して、
決めて、
「仕事」とすればいいんだろうけど、
そもそも「仕事」というものは
誰かに必要とされなければ成立しない。

「お金」という社会システム上、
そうなっている。
「仕事」とは「マネタイズ」。
その概念を外したとしても、
「他者から必要とされること」。

仕事でなければ「趣味」だ。
人生で趣を味わえばいい。

それはそれで大切なこと。
「ライフワークバランス」と
近年は名詞化され、
重みを持っている。

それでも、
やっぱり「仕事」が
優先されてしまうんだよね。

*************

お金を得ることに
困っているわけではない。
という現実はやってきた。

というか、
それを認めた現実が辛い。

お金を得ることが
「仕事」の理由だったら、
「音楽」を使って、
いかに小銭を稼ぐかより、
もっとダイナミックに
お金は動き、
動かす人たちが
社会にはたくさんいる。

「音楽」を使って、
「小銭」じゃない方法も
たくさんあるけど、
「音楽」のことを考えるより先に
もっとダイナミックに
お金を動かす方法を考えなければ。

そして、
だとしたら、
「音楽」を使う必要がない。
必要に応じて
「音楽」を使えば良いだけだ。

*************

イベントを決めて「仕事」とする
手法にしても、
優先されるのは
「我が歌うこと」ではない。

いかに出店者さんが喜び、
来客者が喜び、
お金を支払う人のニーズが満たされ、
お金を受け取る人が利益を得られるか。

そこに必要とあらば
必要とされる音楽を添え、
みんなが喜ぶ1日を創る。

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幸か不幸か、
皆そうなのか、
真実はわからないが、
僕の現実として、
「会場にいる誰もが聴いてくれている
わけではない。」

それは場合によっては当たり前。

「誰もが喜んでくれたとして、
得られるお金は、喜びの総量ではない」

喜んだから、
幸せになったからといって、
その人から
お金をいただけるわけではない。

それとは全然別に、
「お金をいただく約束」が
必要なのだ。

*************

喜びも、幸せも、
その人が得た「味わい」なので、
「あなたのおかげで幸せになれました。
どうぞ感謝の印として
このお金を受け取ってください」

と、お金を受け取るのは
氣持ち悪い。

どうにかして
その依存性を解けないかと
想ってしまう。

でも、じゃあ、
どうやって、
市場でお金は巡っているのかな?

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「お金をいただく約束」

「感謝の対価」というより
「ニーズ」「必要性」の
有る無しが
その契約を決定させる。

しかも、
事前に決めることが主だと想う。

だから、
僕がそうだから
どうしょうもないんだけど、
何かお金を支払うときには、
「それが僕にとって必要かどうか」
で、判断してしまう。

支払ったあとに
「やっぱり必要なかった」
と思っても、
それは後の祭り。

払い戻しの手続きはめんどくさいし、
食べてしまっては
返却も出来ない。

だから、
今、飲食店にとって
インスタ映えは必須なんだろうな。

実際、金銭を受け取るためには、
「食べて美味しい」より
「美味しそう」が全て。

支払っていようと、
支払っていなかろうと、
得た快楽も苦痛も、
その人のものであって、
誰に感謝したり、
責めたりすべきものではない。

実際に美味しく在る必要性は
今後のリピートと、クチコミを狙うもの。
リピーターになってもらうために
合法的な中毒性のある
有害物質を混入する手だってある。

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多くの現代の一般人は
ご存知ないとは想うのですが、
ここ20年ほど、
売れないミュージシャンが
自活のために
何とか考案した料金システム
「投げ銭」
というものがある。

これを如何に
しっかり支払ってもらおうかと、
ザルではなく封筒を配ってみたり、
「ハートマネー」と呼んでみたり・・・。

僕ら界隈では苦心してきました。

「心に響いた分だけのお金をください」

・・・・・。

「投げ銭」は投げ銭なのだ。

求めるものではない。
と悟り、
最近はずいぶん氣が楽になった。

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托鉢、虚無僧、お坊さんの概念に
「浄銭」とかいう概念ありますよね?

お金を払って、何かを祓うのかな?

すると、
受け取ったら
何かが憑いてしまう感じがするね。

だから
あまり「有る」「無し」に
左右されない境地への修行なのかな?

なんて想いました。

*************

一番長い音楽キャリアが
「路上ミュージシャン」なんだけど、
日本人の概念も
だいぶ変わったと感じています。

僕が路上で歌い始めた1997年頃は
酔っ払いが
「頑張れよ」とか言って、
チャランチャランとお金やお札を入れてくれた。

箱やギターケースを開けば、
そこにお金を入れるもの。
という概念があったんだろうな。

そのうち「ゆず」が売れ、
「ストリートミュージシャン」という
名詞が定着し、
高性能のバッテリーアンプが普及し、
駅前での音楽は、
「宣伝活動」と体が増える。

CDを売ったり、
ライブの宣伝をする場になった。

お金は物品との交換になった。

「今」はどうなんだろう?

僕は相変わらずで、
「マネタイズ」の成功事例とは
縁遠いけど、
みんな、
遠くからスマホで撮影して、
そのまま通り過ぎて行くな・・。

僕自身も、
博多天神の路上行って、
タイコ叩き歌い、
Facebookでライブ配信したら、
ライブ配信を見てくれる「友達」
の方が多かったな。

路上で知り合った友達は別にして、
ライブやイベントで知り合った友達にとっては
「かっこいい姿」なのかなぁ?
なんて想いながら。

*************

でも、
わかんないんだよ。

本当のことなんて。

どうやればうまくいくのか?

どんなことを「うまくいっている」
とするのか?

これだけ分析しといて、
何もしないのは
「失敗が怖い」のか?

いやいや(笑)

その時代やニーズに合わせた「成功」、
望んでないから。

でも、
ゲンゴロウのように
水の綺麗なところでしか
生きられないから
絶滅してゆくのは
ちょっと避けたい。

ただ、
綺麗な場所にしか住めない。
環境の、
心地好いところでしか
生きられないキリギリスです。
(「綺麗、汚い、好い、悪い。
これらは比喩で、相対的なものです)

*************

レコーディングを進めたい。

詩を歌っていたい。

想ったなら
すればいいのに・・・
誰にも見せない大学ノートに
徒然と書いて、
途中からnoteに切り替え、
またつらつらと書くことに
時間を費やしてしまう
早朝の僕です。

*************

noteやブログを書いていた方が、
youtubeや、サブスクで
音楽を聴いてくれるより

アクセス数が多いので
ついついこちらの
「書く」活動の方へ
「仕事」を見出してしまいがちです。

じっさい、
音楽作ったからといって、
プロモーション、宣伝、お知らせをしないと、
誰にも認知してもらえないから、
こんな「宣伝」に向かない
長文になってしまう性分でも、
noteに書くんだ。

*************

もうすぐ夜が明ける。


外は寒くなり、
キリギリス、
なかなか外で歌えなくなってます。

またnoteも書きます。

こんな長文、読んでくれてありがとうございます。

初心を忘れず、
音を奏で、歌っていきます。

やればいいんだ。

もう

ずっと決めていたことなんだ。

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