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ファイナンスで、「fin」なんすか?

最近、いろんな想い付きが
浮かび上がって、
全体的には
生きるチャンネルが
変わった感じがするんだけど
あれもこれもと
いろんな人の声とかが
折り重なって、
結局、前提条件さえも
すっ飛ばしてしまうと
誤解されかねないんで、
ひとつひとつ
つぶやいていこうと思います。

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例えば「洗脳」。

「そのカウンセリング、
洗脳じゃないの?」

「いや、洗脳じゃないよ」

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「洗脳」・・・。
脳みそしっかり洗うのは
とても良いこと。

でも一般で言われている「洗脳」は
信念の強制的な上書き。上塗り。

ぜんぜん洗ってないじゃん!

ってね。

言葉通りの「洗脳」は
とても良いこと。

いろんな汚れを浮き上がらせて
流して、綺麗に生成りに近づくほど
人生は軽くなる。

本当の「洗脳」はバンザイだよね。

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すいません。
これは例えで、
今回ここに書き落としておきたかったのは、

finance(ファイナンス)」です。

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いくつかの「経済」や
「資本主義」について語っている
ポッドキャストで、
サラッと語られて、

「おいおい。僕、それ、
知らんかった」

と、大いに衝撃を受け
世界観がガラッと変わったかんじ。

financeの語源は
フランス語の「fin」から来ている
とのこと。

フランス映画の終わりに出てくる
「fin」ですよ!

「終わり」ってことです。

一般的な意味は、うん、
「金融」とか、「資金調達」のことね。

間違ってない。
僕もそんなニュアンスで
「お金のこと」として捉えていました。

「お金」・・・
お金とは何か?

マルクスの資本論でも言っていたニュアンス。
(コテンラジオで得た知識ですが)


で、僕が「なるほど!」と
感じたニュアンスで、

お金ってのは、
所有を交換して、
その関係を終わらせることなんだ!
と。

良い意味でも捉えられるし、
悪い意味でも捉えられるが、
確かに概ね、現実、お金の在り方って、
そういうもんだな。って。

お金とサービス交換して、
もう、君と僕との関係は終わりだよ。
サヨナラ。

っていう、殺伐としたイメージが
僕には浮かんでしまったけど、
「機能」として、
「お金=ファイナンス」は
そういうもんで、
まずは情緒と偏見を取り除いてみる。

この機能を利用するのは人間であって、
そこに血を通わすも冷徹に通すのも
人間。

とりあえず、
物やサービスと
お金を交換して、finさせるわけだ。

これは私が受け取ったモノで、
それはあなたが受け取った
あなたのお金ね。

そしてあなたは
そのあなたのお金を持って、
また誰かと関係を結んで、
お金と交換してfinさせる。

私は晴れて、
私の所有となった
手に入れたモノを、
消費、もしくは投資する。
(この「投資」は広い意味でね。
健康への投資、
人間関係の投資。
役に立てるということ)

でも、やっぱり
消費より投資に多く回さないとな。

このfinさせて、得た何かを
誰かの望むカタチに仕上げて、
また誰かと関係を築いて、
それを何らかの資本として、
お金と交換してfinさせなきゃ。

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なんか、
この実態が理解できると、
お金を得る度に、
関係を終わらせてしまうんだな。
大人の社会って・・・寂しい。

とも、子供心に想ってもしまいました。

子どもの約束に、
そんな打算、デバイスする関係はなく、
みんな数珠繋ぎになっていた。

それはただ、未成熟で、
体系化されていないルールを
子ども社会で築く途中の
混沌の中で、
こじれると、
誰も判断できず、
とても残虐なことに
なったりもしたけど・・・あれ?

今の大人世界でも同じか・・・。

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僕らは今も学んでるね。

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お金を得ることが苦手で、
いつも社会を恨んでいた僕は、
お金を得ないことの
正当性を得たようで、
ちょっと氣が楽になった。

受け取れても、
受け取れなくてもいいや。

僕ら、「今を生きる人」は、
関係し合いながら生きている事実の方が
元に在るんだから。

financeのこんな機能を
有効的に、友好的に使うか、
僕らの関係を悪くするようなものだったら、
変えるか、やめるか、
新しい方法を考えた方がいい。

今、考えてる。

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人間関係をめんどくさがる
都会的な「僕」は
finした方が楽だな。
と想う。

お金を払ってしまえば、
そのモノ、サービスを
どう扱おうと、勝手に
自分だけの感性で満喫出来る。

ということになる。

金払って解決!

「これ以上、私の領域に踏み込まないで!」
という時に有効だよね。

自分で家賃も学費も出すから、
もう一切、両親には干渉させない。

みたいな、
子が自立するのにfinさせるのは
有効かね?

では、その子どものお金は
どんな「所有」を切り払って
得たお金なのか・・・?

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finして、
他所へ行き、
新たな関係を築き、
またfinして。

映画とかでも、
物語が終わっても、
この人たちの世界は
ずっと続くんだよなぁ・・・

なんて想って観ていた頃も
ありました。

うまく、
終えて、始めて、終えて、始めて。
余すとこなく廻ればいいけどね。

finして、関係を終わらせたまま、
次の関係が結べない人には
このfinなんす社会は
厳しいんじゃないかと
想うのです。

廻らずに、
淀んだ地帯から、
また新しい文化が生まれるものさ。

その勢力は、
今後の社会を
どんな風に変えてくれるか。

朝方、映画「ジョーカー」を
観終えた僕は
晴れやかな世を望むことにする。

そこが元にあれば、
finしようが、
sustainしようが、
どっちでも好い。

だいぶ長文になりましたが、
よかったら
今朝書いたブログの方も
読んでください。

そして、こんなことを書いた僕は、
この詩が歌いたくなったので、
これから公園で歌ってきます。

↑そうだ!
この2曲、一番上に貼り付けるよ。
そしたらみんな、聴きながら読めるじゃん♪

明日の天ヶ瀬のハッケンマルシェでも
この詩、歌ってきますね!


うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。