見出し画像

雨の横浜駅で歌った

横浜駅。
本当に、離れてから
30年弱ぶりに降り立った。

いや、横浜在住から離れてからの方が
横浜でライブだとか、
寿町でアートの合宿だとか、
年末の夜回りのボランティアだとか、
何かと、関東に住んでいるうちは
度々訪れたりしてたんだけど、
横浜駅から徒歩15分の、
斉藤アパートまでは
足が伸びなかったな。

まぁ、無くなってたね。

今どき、風呂無しのアパートなんて
あるのかね?

せっかく来たのに
雨の横浜だったけど、
雨の日にも、横浜駅は
しょっちゅうフラフラしてたから、
いろいろ懐かしかった。

ジョイナスの階段登って、
勝手に足が伸びる。
しかし、何のお店に
よく行っていたのか
思い出せなかった。

*************

歩く。
残像が見える。
けど、
僕は、あの日々の僕ではなく、
街は、あの日々の街ではない。

あの頃の僕のような若者が、
たむろしている姿が愛おしかった。

シャッターの閉まっている
あの日々と同じ場所で
ウクレレを弾いて、
詩を歌っていると、
自然に微笑みがこぼれる。

曲はさすがに
あの頃の曲じゃないけど、
あの日々から、
積み上げられて、
今の詩があるんだな・・・
と、
苦笑も混じった笑みだった。

もちろん、
誰が聴いてくれているわけでもない。

あの頃と変わっていないことが
自覚される。

*************

でも、あの頃は
もがいていたな。

叫んでいたな。

誰かに認めてもらいたいのに、
認めてもらえない現実を創って
嘆いていた。

・・・僕が認めるよ(笑)

君は「主流」には
馴染めない人だよ。

証拠に「今」の僕がいるよ。

本当は
それを望んでいたんじゃなかったかな?

僕は、何かの証拠を誇示することを
やめたら、
本当に「唯一」の人生を歩めて
有り難いと想っている。

あの日の君にも感謝するよ♪

*************

歌っていると、
あの日の「君」「僕」「彼ら」が
やってきた。

若い人が立ち止まって聴いてくれた。

若い人に、
難解かもしれない僕の詩、
聴いてもらえるだろうか・・・。

途中でNHKのど自慢の
「カーン」て鐘が鳴りそうで緊張した。

期待はしない。
今だって、あの頃だって、
何か掬ってくれるんじゃないかって
求めたってしょうがない。

僕はただ、
詩のとおりの
「想い」とひとつになることに
努めるんだ。

そこで響き合わなければ、
僕が歌っている意味がない。

*************

幸い、彼女たちは
最後まで聴いてくれ、
いくつか会話をすることも出来た。

目を閉じて集中して歌っている間に
若い、軽い感じの(褒め言葉ね)男性が、
ナンパ(なのかな?)して、
母校が近かったり、
共通の友達がいたりして
盛り上がっていた。

よくチャリをこいでそこまで行っていた
地名が出て、僕も
懐かしくて嬉しかった。

*************

まぁ、今はSNSや、youtubeがあるから、
僕のことも、
思い出したらアクセスして聴いてくれぃ。

*************

また、
僕の隣に腰かけた、
だいぶ酔っ払った
赤ら顔の若者男性が一人。

「バズればいいっすね〜」
と言っていた。

友達のラッパーさんは
サブスクに曲をあげて、
バズって、
100万再生で、
来月70万入ってくるとか・・・

僕も計算する。
1000再生でもすごいなぁ
と思うんだけど、
100万再生で70万なら、
1000再生だと700円かぁ・・

TikTokが、けっこうバズる秘訣らしいね。

僕はTikTokはやれてないや。
ショート動画の方が
見易いのはわかるんだけど、
僕、短く要点をまとめるの苦手だから
TwitterもTikTokも
向いていないと思っている。

noteで、親近感持てる人が
意外といて、「スキ」ともらって、
こんな長いまとまりのない文章を
読んでくれる人がいるってことが
奇跡だね。

ここまで読んでくれて
ありがとう!

ちなみに僕のサブスクは
こちらから聴けます。

*************

3時間くらい歌っていたな。

今日出会った人たちは、
このnote読んでくれるかな?

まぁ、期待はしてないよ(笑)

*************

他にも、
いろんな人が
お金を投げ入れてくれたけど、
たくさんの小銭を
数えてみたら、
やっぱり1000円くらいだった。

やっぱり僕は
日当1000円くらいの男です。

*************

やり方があるんだよね。

ちゃんと時代に適したやり方で、
就職、起業、失業など
様々経験しながらも、
いろいろ乗りこなしている人も多い。

何らかの成功体験があるんだろうな。

僕は・・・
何の成功体験がないせいか、
今も「成功」しないやり方で、
「成功」の概念を変え、
僕自身の「在り方」を肯定して、
世の中の「在り方」も
「僕」を通して
変えようとしている。

「幸せな道」を歌っているからだ。

どんな生き方でもかまわない
遠回りしてどこへ行く?
近道をして辿り着いた?
美味しい草を見つけたよ
道に迷って見つけたよ
スタートとは違ったゴール
君がこんなに美しかったなんて・・・

幸せな道

何をやってもうまく出来るやつがいる。

と僕が思っても、
そいつがどう捉えて、
どんな人生を歩んでいるのか
僕にわかるすべはない。

でも、僕自身のことはわかる。

僕は、
僕が「大切」だと
想っていることを
やり続けている。

「それ」が
世の大多数にとって
「必要ののないこと」だとしても、
僕はみんなと共に必要な在り方で
在ろうと想っている。

ずっと負けてきた僕が
いつか勝つ日が来るかもしれない。

でも、
ずっと負けてきた僕は
いつか勝ったとしても、
僕の代わりに
どこかで誰かが負けていると
気づいてしまうから、
今、負けていても、
今、仮に「勝ち」にまわる流れに
なろうとも、
もう、そのゲームとの関わりを
やめようと想っている。

「やっぱり70万とか入ると嬉しいですか?
いや、あなたはそんなにお金要らなそうですね」
って、その大学生は言ってきた。

その悪意のない感想は、
嬉しくもあり、
抵抗したい気持ちも
まだ少しあった。

*************

路上で
誰も聴いてくれやしないのに、
妥当な評価なんてもらえないのに、
こんな場所で、
本気になったり、
満足したり、
何かを求めるなんて
バカげている。

プロフィールに
「ストリートミュージシャン」
のキャリアなんて
何の価値もないよ。

そこに価値を持たせるアピールや
成果を付加する活動は
あんま好きじゃない。

となりの伊勢崎町でブレイクしていた
「ゆず」と同時期に、
相鉄口の山一證券のシャッターを背にして、
ガシャンガシャンぶつかりながら
悲痛を叫び、
誰も寄せ付けないオーラを放っていた人の
30年後の人が、今の僕です。

*************

耶馬溪の田舎暮らしになり、
ストリートミュージシャンのアイデンティティが
恋しくなり、
片道2時間かけて、
博多天神の路上へ
タイコ叩きに出かけていた。

けど、
誰も聴いてくれないことを嘆いていた。

すると奥さんが、
「路上は音楽を聴く場所じゃないし、
音楽に興味ある人なんて
そんなに歩いていないよ。
そんな場所で『聴いてほしい』だなんて
アプローチが間違っている。
本気で届けたいなら、
適した場所でやるべきだよ」

みたいなことを言った。

そんな言葉に
素直に従える僕じゃなかったけど、
素直に納得できた。

僕は、
どんな場所でもいい。

そこで「詩」になるから。

僕は、出来るだけ、
いつでもどこでも、
僕が「大切」だと信じている
「詩」の波長で放送局を開設して、
僕も歌って「そこ」へ行くから、
「みんな」と
そこで出会えたらいいな。
と、
踊りながら、歌いながら、
待つことにします。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。