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大切なことを大切にする

コロナの規制が解けた2023年、
久しぶりに、家族で、車で、
遠出する旅をしてきました。

大分より、岡山、島根。
土日の週末を使って行ってきました。

コロナの規制が解けて、
いろいろな「事」を再開させる
それぞれの「暮らす地」での動きがあり、
コロナ規制中から、
「新たに始めた習慣」もある。

使える1日の時間は限られていて、
使える身体は限られている。

「あれもしたい。これもしたい」
の中、何を為していくか?

そんな日々を、
世界の多くの方々が
経験されているんじゃないかと
想います。

*************

だから・・・
もう、1年前や、3年前、
10年前と
同じようには生きられないんだなぁ・・・
と、
個人的には実感するための旅であった
ようにも感じています。

逆に、
自分が以前と同じように生きてみると、
「自分」なのか「世の中」なのか、
とにかく
「変容」を
感じさせられます。

面白く、
興味深い体験でした。

*************

20年前にできた「わたげ」
を歌う。

わたしはわたげ
風に乗ってふわふわ
どこにでも行けるんだ

突然の嵐にわたしはずぶ濡れになって
どこへも行けないわたしは
そこに根を張った

「わたげのいたり」と
懐かしくなるな
僕は「自由」だなんて想ってた

わたげ/ 平魚泳

当時、根も張れていなかった、
若干20代の僕が、
「わたげのいたり」という
ダジャレのインスピレーションだけで
勝手に自分より背伸びした詩が
出てきた。

30代になっても、
ずぶ濡れになるような経験もせず、
ぬるま湯の毎日で、
実家に甘えながら、
ふわふわと、
無賃乗車で旅をして、
お金にならない音楽ツアーを
「仕事」と歌舞いて燻っていた。

根を張れていない僕が、
「根を張った」だなんて、
歌ってて恥ずかしかった。

逆に、
社会相応に暮らしていけるギャラもない、
そんな演奏機会にキセルして向かい、
頑張って歌って、
野宿して実家に帰る。

意地を維持する意志だけに
今も根を張っているのかもしれない。

20年の歳月が流れ、
ずぶ濡れになる経験を
したかどうかはわからないけど、
田舎の地に住み、
田畑を育て、
家庭を持ち、
両親のことも
(いろいろあって、今は施設だけど)
世話している。

*************

ずいぶん昔に
こんな詩を創った。
だから詩のように
生きることになった。

必然なんだな・・・と想う。

*************

そして、
自分は、
音楽をして、
有名になるとか、
せめて、
全国各地にファンがいて、
旅芸人のように生きることも
「叶わなかったな・・・」

と、痛感する。

だって僕は、
いつもそんな
うまくいかない人の人生を
歌ってきたから。

10代くらいの若い頃は
「特別」になりたかった。
I wish I was special・・・

でも、
僕はそんなキャラじゃなかった。

突出した、個性も経験も無い、
「小さな自分」を
肯定するような詩を
歌いたいと
想うようになって、
そんな詩ばかりが
できるようになった。

今回の旅、
予定していた尾道、岡山、島根のツアーで、
唯一、実現したライブ。
岡山、美作の
ホシメグリさんで、
歌った曲を
youtubeに上げているいる限りを
載せてみます。

旧友夫婦のみずきちゃんと龍ちゃんが、
岡山に移住してカフェを始め、
「遊びに行くなら」と、
ライブを企画してくれ、
8人ほどの人が
お客さんとして足を運んでくれた。

最近、僕は、
去勢を張るような
自分の経歴とかを
誇示したくなく思っている。

だって、本当に
自慢になるような経歴、無いんだもん。

それでも、
8人もの人が、
何者かもわからない僕の
ウクレレライブに
足を運んでくれた。

ずいぶん昔から創って歌っている
(「あの坂をのぼれば」は
中一の国語の教科書に載っていたお話です)
どこにでもいる、
何者でもない
ひとりの命の詩ばかりです。

小さな世界では
喜びと悲しみがあった
誰になんと言われても
ホントさ

大きな世界では
測りきれない物語が
君から始まっているんだ

空が見ていた / 平魚泳


そして後半の曲、

あまりにもあるがままで
在ることもわすれ
有り難くなって
「ありがとう」と言ってみる

天から見れば (仮)/ 平魚泳

僕は「ありがとう」と言うのが
苦手です。

なんか、
有り難いことって、
有り易く、在ってほしいな。

なんて思っちゃう。

そのくせ、
なんでもかんでも
「ありがとうございますぅ〜」
と、なかなか軽々しく言うのは
苦手でして・・・。

苦手でした。

でも、やっぱり、
「ありがとう」と言って、
「ありがとう」って気持ちを
創ろう。と、
敢えて創った詩たちです。

*************

どのくらい、
この想いが、
そこに居てくれた人たちに
届いたかはわからない。

どのくらい、
たとえ感動を与えられたとしても、
今後の自分の活動につながるのか
わからない。

何を期待してるんだ?

何を期待するんだ?

*************

今後とも、
定期的に、岡山を訪れて、
僕の大切に想う詩を
歌える「自分」にさせてくれたら
本当に有り難いと想うけど、
それはたしかに
有り難いことで・・・

ニーズがあり、
それを一定の「金銭」に
置き換えられなければ、
なかなか次の機会には
つながらない。

僕も、
僕以外の人も、
「僕がなっていたい『詩』の僕になる」ことに
どのくらい労力を注げるか?

・・・タイミングですよね。

「年内にまた」
という話もちらっとしたので、
ま、また機会を待ちます。

*************

尾道、岡山、島根の
思い当たる友人に連絡して、
今回の家族旅行を、
出来れば音楽ツアーとなることを
望んだけど、
なかなかそんな機会にはつながらなかった。

「平魚泳のライブ」を
望むニーズを感じられないから、
それは仕方がない。

そもそも誰も平魚泳を知らない。
地元でも、
「なんか、音楽をやってる人」
という認識はあるかもしれないけど、
平魚泳の詩を
知る人は少ない。

少なくもないような感じには
なってきているけど、
そんなにいつもいつも
ニーズがあるわけじゃない。

平魚泳の音楽を
一番必要としているのは
僕自身だ。

仕事をもらったり、
集客するには
「カテゴリ」が必要だ。

もしくは
「どんな人か」という
本人の知名度か
認知度の高い言葉が必要だ。

僕自身でひとつだけ、
世の中の認知度と
自分のカテゴリがマッチするのは
「ウクレレ」というワードくらいしか
思いつかない。

それ以上の脚色は
誤解を与えてしまう。

無理して脚色しなくても、
心地好く生きていける生き方が、
これから先は出来るのではないだろうか?

そんな風にも
最近は想っています。

だから、
いっさい内容を示唆する宣伝をしない
「君たちはどう生きるか」が、
多くの人に、観られたり、
観られなかったりしている現状が
嬉しいのである。


多くの人が歓ぶであろう
エンターテイメントも、高揚感も、
社交辞令も、忖度も要らない。

多くの「みんな」と集まって
意識を分かち合うのもいいけど、
自分に湧いた「心」を
自分自身でまず味わえる場に
居たいし、創りたい。

創って居たい。

*************

焦らず、
大切なことを大切にしていこう。

とりあえず、
僕が音楽や詩を
やめないためにも、
彼の身(かのみ 神)、
誰かに届ける氣持ちで
發する必用がある。

求められる機会を求める他にも
ライブ配信やレコーディングなど、
表に現す手段はたくさんある。

田畑、子育て、介護、地域交流 etc

いろいろこなしながらも、
大切なことを大切にしていこう。

*************

またしばらくは、
大分の耶馬溪に暮らしつつ、
田んぼ、畑、草刈り、盆踊り、
コミュニティスペースづくりの手伝い等、
やりながら、

折りを見つけては
ツイキャスライブもしていこうと思います。

地元の中津駅前とか行って、
勝手に路上演奏をしたりもしたいと思います。

8/20(水)には近所の
これまた同志の「括りを越えた活動」を
実施している友人の
「多機能型福祉サービス事業所」の
1周年イベントでタイコの演奏を予定しています。

そして、9/4(月)には、
千葉の実家に帰り、
西千葉の「平凡」さんでもライブ予定。

風の音楽家で9月後半、九州ツアーも予定。

人生にしろ、時代にしろ、
いろんなタイミングがあります。

成功とか、挫折とか、
チャンスだとか、
失墜だとか。

大切にしていることを
大切にしよう。

それが
「しあわせの道」
なんじゃないかと、
今、想いました♪

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。