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賢い選択

「これをこうすれば、
こういう物理(心理)が働いて
こういう結果になる。
簡単でしょ?」

聡明な人は、
そこらへんが簡単に見えるらしい。

愚鈍な人は
いくつもの経験とかのフィルターがかかって、
混乱して
その道すじが見えない。

田んぼも
収量などの結果で
人と比べると、
自分の行為が正しかったとか、
愚かだったとか
一喜一憂してしまう。

でも、
要因は一つではない。
また「目的」も
一つではない。

それがホッとさせてくれる。

何とか自然の摂理を攻略して、
想いの通りの結果を出してやろう。

そこから輝かしい声も聞くし、
「失敗」という経験も聞く。

「オデバ、アタマワリィカラ…」
と独り言ちながら、
要領の悪い仕事を繰り返す。

何があるかわからないし、
何が要因で、どんな結果が出るか
わからないから、
ただ、出来る限りをする。

******

成功体験を理由に
自信を持っても仕方ないのだが、
成功体験を
あまり思い出せない僕にとっては
田んぼをやって
お米が採れるっていうのは、
数少ない成功体験に
なっているのかもしれない。

******

うまくいくときもあるし、
うまくいかないときもある。

それでも、
「うまくいく」という
経験があるのは
やっぱり頼りになるし、
拠り所になってしまうな。

では、
「うまくいく」
という経験がなくても、
信じて、黙々と続けられている
そんな行為の自信の根拠は
どこにあるんだろう?

例えば僕。「音楽」…。

いや…

成功体験、
あるのかもしれないな。

描きたかったものを描けた時。
唄って、それが現れた時。
それがたとえ一人でも、
「誰か」に届いたという経験。

導かれている実感がある。

命が運ばれてるね。
まさに「運命」だ(笑)

******

音楽活動が
うまくいっていない
と感じている時に、
声かけられて始めた田んぼ。

家族もそうだし、
こうして流れ着いた大分、
耶馬溪もそうだ。

恩があるし、義理もある。

それは負担にもなり得るけど、
自ら担った運命だ。

この運命に殺され、救われる。

あるがまの「今」を
嘆き、歓ぶ。

生きている。

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