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売れなくても豊かに生きることはできる

僕は基本的に
資本主義社会に疑念を感じている。

と言っても、
とても個人的で、
「疑う」というより
僕自身にとって「都合が悪い」
と言った方がいい。

ただ、この個人的感覚が
もし、僕一人じゃなければ、
僕らの都合の良い方へ
社会を変えていった方がいいんじゃないか?

そうも想うから、
主観で考えるべきとも思うのです。

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ひとつ、今、ご飯食べながら
想ったことを
書き留めます。

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今、現在、
ライブ会場でライブをする
という事業は
どんどん縮小気味な僕ですが、
この事業を拡大するためには
何が必要かと考えました。

きっと、
「人気」が必要でしょう。

例えば、
「平魚泳」というアーティストに
お金を支払って差し支えないような
「価値」を
消費者に提供しなければならない。

「平魚泳」という商品(ブランド)を
消費者のニーズに合わせるわけだ。

僕がどんな表現をしたいのか。
なんて、そこはあまり重要ではなく、

どんなニーズがどこに有って、
僕の現したい表現を、
どこのニーズが受け取ってもらえるか。

そこのニーズに合わせた振る舞いが
出来ることも、
社会人として必須の才能かもしれない。

マッチさせる能力が
成功の秘訣かもしれない。

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欲求を満たすことを
現代では「趣味」と呼ぶ。

趣を味わうことだ。

「それってただの趣味でしょ」と、
「仕事>趣味」という感覚で言われることもある。
が、そのことは今回置いておく。

僕の中では徐々に過去形になりつつある。

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消費者のニーズに合わせる。

それは適したマーケティング戦略を練れば
デザイン次第で、
マジョリティの顧客でも、
ニッチなニーズを掴むでも、
ローカルでも、グローバルでも
どうにでもなるとは思う。

要は
誰かからお金をいただく手段を
確立するのです。

市場を確立するのです。

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僕が、演りたい音楽をする。

そんな「平魚泳」に
価値を感じてくれる人が
何らかのサービスや商品として
「お金」を払う。

「自分のやりたい事」を
どこかに顕在する
「顧客のニーズ」に合わせる。

今は、何らかの手段で
「お金を得なければ生きていけない社会」
だとすると、
「自分のやりたい事」< 「顧客のニーズ」
となる。

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自分のやりたいことを
社会に通用させていく。
そのためにスキルを磨く。

磨いたスキルを使って
自分のやりたかったことを
社会に通用させていく。


・・・「やりたいこと」って
何だったんだろう?

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自分がずっとやりたかったことを
社会的に承認されてやっている。

反社的な社会でも「社会」です。

それは夢が叶った
とても幸せな状態だろう。

そして想う。

自分のやりたかったことって
ただやればよくて、
どんな状況だとしても
幸せになりたければ
勝手に幸せになればいいだけで、
唄えばいいだけで、
踊ればいいだけで・・・。

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今、ライブ活動が
社会的、金銭的に
うまくいっていない。

仮に
「うまくいっているとき」って
どんな時なんだろう?

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仕事がたくさん入ってくる。

平魚泳の持っている
個性とスキルを活かして
様々な注文が入ってくる。

例えば、
ライブイベントへの出演依頼。
ウクレレを習いたい人が現れる。
何らかに使いたいと楽曲を頼まれる。

きっと、
あっちからもこっちからも、
平魚泳のパフォーマンスを
求められるってことなんだろうな・・・。

新譜が出ることを
楽しみに待ってくれている人がいて、
かつてだったら、
CDを買ってくれて、
そこらへんの
出演料と、CDの売り上げで
生活していければ・・・。

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「生活」という言葉を
しっかり定義し直さなければ!
と最近思う。

「生活」っていうのは、
必ず支払わなければならないお金を
払える金額を稼ぐこと。

「必ず払わなければならないお金」
というのも、考えなければならない。
それはただ僕らが
「払って然るべきもの」と
合意しているだけのものである。

ちなみに今住んでいる空き家だった古民家は
改修にお金はかけたものの、
無料で住ませてもらっている。
固定資産税は大家さんが払っていて、
「住んでくれてありがとう」の
合意で成り立っている。

でも、他にも支払いを請求されて
払わなければ暮らしが
成り立たないのならば
それなりの金額を稼げなければ
「生活」はできないことになる。

そんな社会で稼がせてもらえない現実
ってのは
その生き方では「ダメ」ということになる。

でも、
「ダメ」と言われても、
僕は生きている。

意志を持って生きている・・・。

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仮に「売れる状況」に
辿り着いたとする。

それは
売れるために多大な努力を
注いだ結果だろう。

それはきっと嬉しいことでしょう。

それだけの努力を
いろんなものを犠牲にして
頑張ってきたんだから。

・・・「犠牲」にした?

何を犠牲にするんだろう?
その「努力」で「犠牲」にしたものは
何のために犠牲にしたんだろう?

売れるため?

多くの人気を得るため?

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例えは違うが
平和のため、発展のため、正義のため、
今まで起こした争い事は
必要だったのだろうか?

「発展」自体が幻想であったのではないか?
ということに
近年の人類は
気づき始めている。

人種に優劣はなかった。と。

そもそも優劣で測れる存在など無い。と。

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やりたくないことだったけど、
我慢して、
売れるためにやった。

売れると
何が手に入るのだろうか?

売れたお金で、
また「贅沢」と言われる行為に
エネルギー注いで。
・・・また疲れそうだ。

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売れたらどうなる?

人気を獲得したらどうなる?

今、僕が獲得している
一人、二人、
多く見積もって10人くらいからの人気では
現代の貨幣価値では
一人、10万円払ってもらっても、
ようやく年収100万か・・・。

もっと多くの人からの
人気を獲得しなければならない。

もっと多くの人から
お金を回してもらえる事業をしないと
「生活」ができないことになる。

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この10人弱のファンは
僕を好いてくれている。

本当に嬉しい。
本当に有難い。

僕の心の支えになってくれている。

あなたの心の支えになれているなんて
嬉しい。

この10人のファンのために、
心と生活を支えてもらうために、
この10人の望む「僕」になるか?

それとも、
これでは「支え」として足りないから
100人、1000人が望んでくれるような「僕」
になるか?

そんな「僕」を創っていこうか?

で、
「僕」は何になりたいのかな?

で、
「僕」は何になりたかったのかな?

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売れる状況を「優」とし、
お金のあまり動かない状態を「劣」
としてきた。

近年は
お金が動くことで
失われるものへの「価値」が
見出されるようになってきた。

戦闘機を売る?買う?
万博でお金が動く。治安が失われる。
電気が売れるから
森を開き、メガソーラーが立ち並ぶ。
お金にならなければ
誰も田畑を耕さず、
人とお金の行き交う「街」を
開発すれば、富む者の傍で
貧困に困る人がいる。

貧しくても
豊かに存在できていた共同体が、
貧しくて、支払えない者は
存在できなくなってきている。

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売れなくても
豊かに生きることはできる。

友達100人できなくても、
一人でも、二人でも、
虫でも草でも空でも
出会うことはできて、
唯一独りの「自分」と
出会うことができる。

生きることができる。

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様々な犠牲を払って
今、僕ら人類はここにいる。

「良かれ」と想ってやってきたことが
「悪い」結果で今、現れていることもある。

「優秀」と思われてきた価値が、
「蛮行」へ変化する時もある。

「無価値」「劣悪」と言われていた価値に
光が差す時もある。

如何様にでも変化する世界を
50年近く生きて実感して、
せっかくなら
自分の人生、
自分の都合の良いように
変化してくれる社会を望んで生きても
構わないのではないだろうか?

現れた、
「現在」「現代」は受け止めます。
そこを
この身体、アイデンティティで映しながら、
この身体、アイデンティティに気付きながら、
ちょっとでも
生きやすい世になる力となれるように
この身を整えていこうと思うのです。

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それぞれの得手不得手。
「生」にも「滅」にも価値を見出し、
見出した価値もいつか手放して。

不生不滅・・・。

不垢不浄。
昔から何も変わらないのかもしれない。

「そうだな」と思われる現実を、
「そうとは限らないのかもしれない」
という認識に変える。

認識を変えれば
生きる世界も変わる。

都合よく
変えていこうと想う。

僕の生きる世界だから。


うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。