Give&TakeそしてGIFT②
ウクレレとタイコを持って
家を出る。
徐々に暗くなる
人気のない公園で、
タイコを叩いて、
創造の詩を歌う。
大きな声で歌う。
練習をする。
来週の日曜日に
久しぶりに平魚泳のステージがある。
5/14(日)の12:35〜13:00
別府公園の野外ステージにて。
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これは本当に有り難い。
自分の「やりたいこと」に
需要があって、
声をかけてくれる機会があるのは
本当に有り難い。
「やりたいこと」で
供給出来る機会は
有り難い。
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でも、
その「僕のやりたいこと」でも、
様々な「需要」は
イベントごとに趣旨が違う。
需要に合わせて、
どれだけgive出来るか?
それが「デキる人」
なんだろうか?
僕はそれが出来るのだろうか?
出来たとして、
僕はそこに「よろこび」を
見出せるのだろうか?
見出さねばならぬのだろうか?
見出せたとしても、
それだけでいいんだろうか?
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練習を終えて、
僕は
寂れた街の
駅前へ向かう。
もちろん
田んぼの真ん中にいるより
通行人が歩いている。
先日は、
知り合いと出会い、
話に花が咲いて、
あまり歌えなかった。
でもそれはそれで楽しかった。
「演奏の邪魔をしてすいませんでした」
と言われ、
本当にそんなことはなく、
楽しかった。
でも、
それはそれで物足りなかった。
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あんまり歌えなかった日。
いろんな人と話せた日。
お金をいただけたり、
何らかの機会へ繋がったり。
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たくさん気持ちよく歌えた日。
誰も足を止めず、
人通りも少なく、
まるで僕は
そこに存在しなかったかのように
片付けて、帰ることもある。
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誰にも何も与えられなかった。
誰からも何もとれなかった。
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帰り道の月明かり。
家に着き、
寝静まった家で
ビールを飲む。
「飲み会」より
僕の需要を満たしてくれる。
(これからイベントの打ち上げなんだよ〜
それはそれで楽しいんだけど・・・
飲みすぎないようにしよう)
【執筆中断】
【執筆再開】
ただいま。
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やりたいことが出来ぬまま、
なりたい自分でいられぬまま、
その「場」の空気に合わせ、
需要を満たし、
不完全燃焼の一日を
晩酌でぼやかして
やり過ごす。
「今日もおつかれさま」
と言って。
子がいる。
伴侶がいる。
家庭がある。
人生が過ぎてゆく。
「これでいいのか?」
と想う。
「そんなもんだ」
と思う。
↑2007年の作品「同じ舟にいる」より
「月の影」が聴きたくなって、
わざわざCDを取り込んで
編集して、歌詞つけて・・しました。
(ま、こんな勢いがないと
なかなか手をつけられない作業が
出来てよかった)
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能動的な空気の合わせ方。
受動的な空気の合わせ方。
能動的な空気の創り方。
受動的な空気の創り方。
いろんなやり方がある。
僕は何が欲しいのか、
よくわからない
わけではなく、
うまく説明できないんだと思う。
ただ、いつも、
挫折感、満足感、充足感、焦燥感の
コントラストの中にいて、
あらゆる角度から見える
「現実」がここに在って、
僕がここにいる。
数十年後には
僕はいないかもしれない。
数百年後にには
僕は居ないに違いない。
そして、
僕みたいな「誰か」が
そこに居てくれたなら・・・
そんな「想い」に
「願い」を込めて、
今の「僕」は歌うのです。
歌っていたい!
と
強く思うので、
歌い、奏でられる機会を、
創り続けようと
想うのです。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。