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「自分」

「自分」ってものを考えている。

「自分」って言って使っている言葉を
考えている。

「自ず」を分けた存在が「自分」だ。

「自」をどこかで分けている。

「分けている」ということは
どこかに境目があるはずだ。

確かに・・・
自分は目、鼻、口、
皮膚を境に「自分」が終わっている。

物質的にはね。
物理的にはね。

でも、「氣」やら霊感やらを駆使すれば
「自分」の境目はまた曖昧になる。

自分でキーボードを打って書いた
この文章は「自分のこと」。

それを読んで
「なるほど〜」と思ったあなたは
そう「自分」で思った。

僕の心と君の心が
出逢うところは
心の外です。

君の心が
僕の心で
感じるところは
心の中です

ゲーム / 平魚泳

と、
ふと自分が20年くらい前に創った詩を思い出した。
さらに、友達がyoutubeのBGMに使ってたな。
と思い出し、「ミニ織り機 平魚泳」で検索してみる。

あった!

コメント読んで傷付いた。
(笑)。まぁ、BGMにはならないよね。

こんな世間から、
さらに潜ります!

*******

「自分」。
「自ず」を分けた存在。

「自」って何だ?

「自然」という、
元は仏教用語らしい
「じねん」という言葉があります。

「自ず」に「然」とは?
「然」とは?

「然し(しかし)」
「然るに(しかるに)」
という言葉がある。

「し」で逆説し、
「る」で流動的な順接をしている。

・・・もういい加減、
「言葉」の限界ですね(笑)。

******

「然」は
そのまんま、あるがまま、
そんなニュアンスだな。

******

で、「自」は?

分け隔て、デバイスした「自分」の
デバイスしない状態のことが
「自」ではないのか?・・・と。

・・・でかいね。無限だね。
どこかで区切るか。
自分で。言葉使って。

******

だから、
「自らやる」ってのと
「自分でやる」ってのは
意味が違うし、

「自ずとやっている」ってことは
「自分でやる」こととは微妙に違う。
with「自」でやっている。
ってことなのか!

でも、誰が「自ず」とやっているんだ?
「自分」です。

自分は自ずと生きていきたいですね。
自ずと自分、うまくいくといいな。

「自分」と「自ず」の境目の
曖昧は模糊。

とりあえず、
生きているうちは
「自分」やります。

境界線を日々、自分で感じながら
自ずと運命に導かれて、
命に運ばれて。

自我で苦しみ、
自我で悦び。

この外側にも
何かが在るように
自ずと感じながら。

とりあえず、
今、ここに現れている「自分」で
命を全うしようと想います。

P.S.
貼り付けたyoutubeの曲を
聴きながら読んでいただけたでしょうか?

ここまで読んで、聴いていただけたなら、
ぜひyoutubeのサイトへ飛んで
コメント欄を読んでみてください。

みんな、
こんなこと考えなくてもいいのか・・・
僕がこんなことを考えて
その念いを表現するのって
「うざい」かもな(苦笑)。
と思ってしまいますね。

でもまぁ、
こんな「自分」も、
あんな「自分」もいるんで、
「よきにはからえ」です。

自ずと世は
動いてゆくでしょう。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。