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デジタルデトックスをしたい

シャットしたい、でも

心身が疲弊した時は、なるべく情報をシャットしたい。
スマホもPCも見ない。賑やかなテレビなども見ない。
情報は新聞を読むぐらいで済ませる。

それぐらいが理想。

でも見てしまう。

今やスマホは必要不可欠な連絡手段である。
大事な連絡が来ることもあるし、電話も必要だ。ある程度は致し方ない。
しかし明らかに「ある程度」を越えた時間をスマホに費やしてしまう。

別にSNSに依存しているわけではない。歩きスマホをするレベルでもない。
何を見るでもない、もはやただのクセだ。
例え一日我慢したとしても、夜中にふと目が覚めついスマホを見るという一番体に良くないことをしてしまう。

私の子供時代はスマホどころか携帯電話もインターネットもそれほど身近な存在ではなかった。
「調べ物は図書館で行う」「友達への連絡は家の電話を使う」
あの頃を知ってるはずなのに。

ネットに頼らない時代を体感しているはずなのに何故できなくなってしまったのだろう。
昔どうやって友達と待ち合わせをしていたのかも思い出せない。

強制デジタルデトックス

私は登山が趣味で、山によっては普通に電波が通じないことがある。
強制デジタルデトックスだ。

せっかく自然の気持ち良い空間にいるのだ。
俗世間のザワザワした空気になんて触れたくない。

でもスマホを使って地図アプリを見る。紙地図でもいいのに。
夜はテントの中でダウンロードしておいた映画をスマホで観てしまう。読書をすればいいのに。
「スマホを見る」という行為からは結局離れられていない。

離れられるかも?

しかし最近風向きが変わってきた。
ここ数年インターネットが玉石混交すぎて、正確な情報を得るツールではなくなっていると感じていた。
ただでさえ薄かった信憑性が近頃ますますうすーくなっている気がする。

古のオタクの端くれとして一通りのネットリテラシーは備えているつもりなので、ゴミの山から有用な情報を拾うことはまだギリ可能だ。
だが明らかにゴミの量が爆発的に増えている。
これ以上ゴミの山を漁るのはうんざりだ。

そしてSNSのスパムの多さにもうんざりしている。
Xもインスタも他人の写真を勝手に使った怪しい日本語のフォロー申請が定期的に来る。

先日久しぶりにFacebookを開いたら、
「知り合いかも」欄の3人に1人ぐらいがAIで生成された、存在しない美女の写真だった。
プロフィールを見ると人工的な美女が「よろしくネ ♪」とおじさんが考えたみたいな不自然な文体で自己紹介していた。
ゾッとする。

今は何かの過渡期なのかもしれない。
うまく言えないけれど、近い将来ネット界隈がもう少し整備されてくれることを祈る。

そしてカオスな世界にうんざりしてきた今こそ、自分の内面と向き合える時間なのかもしれない。
「用も無いのについスマホを見てしまう」を控え、もっと実のある生活を過ごせるかもしれない。
電話とメールとLINEだけあればいい。

というこの文章を、パソコンに向かって書いています。


最後までお読みいただきありがとうございました。

英李(hirari)

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